私の個性に「新しいことに興味を示す」があります。
そして新しい事だけに、創意工夫、独自性を見出すことに熱心になります。
そして長所短所も見抜けるようになりますから命取りになることはありません。
此れまでに説明しているので簡略しますが・・・約50年前の高校生の時に大型の8mm録音テープデッキを購入して以来、初登場のグラスドット・オープンリールの投げ釣竿から「アクアラング」潜水になり、新登場の水中写真機や水中8mm映写機がキッカケでビデオカメラになり、その時代に初めての民間のビデオ撮影制作が仕事になりました。
そんな稼業・生活の中にも、今で言うネットワークビジネス・会員紹介ビジネスで日本初上陸の「スワイプ」商法を展開した経験から、色んなネットワークビジネスを展開してきましたが、それもすべて収益性追求ではなくて「目新しいもの」「はじめて知る効果効用の優れた物」を追いかけていました。 だから大儲けもしなかったが大損もしませんでした。
ネットビジネスの情報交換で探求追求するそのご縁が、今度は摩訶不思議な宇宙エネルギーの「水の世界」に巡り会い、やがて精神世界にも関わることになりました。 そして相変わらず探求追求し続けた結果、この世で初めての良い悪いを持たない「完全真理」に巡り会い今に至っています。 しかも宇宙エネルギーが常温核融合という名前で登場し、それらの製品が此れまで経験した以上の効果効用を示しているだけではなく、毎回の製造毎にパワーアップしているのが実感できるだけに、いままでの道のりがすべて完結したという感じですから、もうこれ以上のものは絶対に存在しないと言い切れるから、もう他のことに興味を示すことが無くなってしまっています・・・だから暇で退屈しているとも言えます。
初めて知る、新たな事を知る、そこで接し触れ合いながら更に知り続ける、そしてまた新たな事を知る、そして知り続けやり続ける・・・始まりがあって終わりがない・・・追求探求することが極めになるが、その極め続けることから更に奥や幅が広がり、それで極めているようだが極めに到達していない、だから尚も続き続け、やり続けることになる。
すなわち極める経過途中にそれ以上のものの実在を知れば、今までのものをあっさり見放して次のことに接し触れてみる、引きずらないで手放すことを惜しまないで執着しない、それが極めることに向かっていることになる。
一つの技能を磨くことで極めたとも言えるが、その極めたと思えばそれで終わるからそれ以上は本当の極めには至らない。 だから一つを極めるのではなくて、一つのことをあれこれと極めているうちの知らぬ間・自然体で多くを極めている、すなわち無限の全てを自然体(欲を出さない)で極めることになっていく仕組みが宇宙・真理にあるようです。
そして「極める」ことは大げさなことではないのです。
極めることを大げさにするのは特別意識・差別意識になります。
役割個性で天才といえるものを極め持っていても、その極めたものを特別にしないで、名・権・財で左右されたりしないで、持つものを勿体がらずに惜しげなく出せるのが本物になります。
その役割個性が天才秀才や技能者でなくても、日々の家庭生活の中の子育てや家事ごとの中にも自分なりに極めた自信があります、だからあれこれ思い考えないで即座にあたり前のように日常の行動表現ができるのです。
仕事でも同じです。 自分に自信があることなら即座に出して行動表現できます。 やっているから自信や極めにもつながっていくのです。 実際にやらないで思い考え想像することで極めることはできません。 やっている実践から結果が出るのです。 不安心配や恐れていると、やりたいことがやれないで焦り苛立つのです。 とにかく失敗を恐れずにやるしかないのです。 それも結果を良い悪いで判断するから失敗したと後悔執着することにもなるのです。
だから極めることを思い考え想像しないで(目的理想にしないで)、いまやっていることを真剣に続けていけばいいのです。 それがいい加減な意識で続けているのであればやっている意味がありません、勿体無いことになります。 何気ない日々の暮らしに意識を向けると、いままで感じていなかったことを新たに感じることが出来たりするので、その感じたことの結果原因やその意識・心を知りたがることの追求探求が、更に新たなことに気付いたりして接し触れ合うことにもなっていくのです。
人間は意識体であり、その意識で動いていますから ・・・人間は意識次第なのです・・・
そして新しい事だけに、創意工夫、独自性を見出すことに熱心になります。
そして長所短所も見抜けるようになりますから命取りになることはありません。
此れまでに説明しているので簡略しますが・・・約50年前の高校生の時に大型の8mm録音テープデッキを購入して以来、初登場のグラスドット・オープンリールの投げ釣竿から「アクアラング」潜水になり、新登場の水中写真機や水中8mm映写機がキッカケでビデオカメラになり、その時代に初めての民間のビデオ撮影制作が仕事になりました。
そんな稼業・生活の中にも、今で言うネットワークビジネス・会員紹介ビジネスで日本初上陸の「スワイプ」商法を展開した経験から、色んなネットワークビジネスを展開してきましたが、それもすべて収益性追求ではなくて「目新しいもの」「はじめて知る効果効用の優れた物」を追いかけていました。 だから大儲けもしなかったが大損もしませんでした。
ネットビジネスの情報交換で探求追求するそのご縁が、今度は摩訶不思議な宇宙エネルギーの「水の世界」に巡り会い、やがて精神世界にも関わることになりました。 そして相変わらず探求追求し続けた結果、この世で初めての良い悪いを持たない「完全真理」に巡り会い今に至っています。 しかも宇宙エネルギーが常温核融合という名前で登場し、それらの製品が此れまで経験した以上の効果効用を示しているだけではなく、毎回の製造毎にパワーアップしているのが実感できるだけに、いままでの道のりがすべて完結したという感じですから、もうこれ以上のものは絶対に存在しないと言い切れるから、もう他のことに興味を示すことが無くなってしまっています・・・だから暇で退屈しているとも言えます。
初めて知る、新たな事を知る、そこで接し触れ合いながら更に知り続ける、そしてまた新たな事を知る、そして知り続けやり続ける・・・始まりがあって終わりがない・・・追求探求することが極めになるが、その極め続けることから更に奥や幅が広がり、それで極めているようだが極めに到達していない、だから尚も続き続け、やり続けることになる。
すなわち極める経過途中にそれ以上のものの実在を知れば、今までのものをあっさり見放して次のことに接し触れてみる、引きずらないで手放すことを惜しまないで執着しない、それが極めることに向かっていることになる。
一つの技能を磨くことで極めたとも言えるが、その極めたと思えばそれで終わるからそれ以上は本当の極めには至らない。 だから一つを極めるのではなくて、一つのことをあれこれと極めているうちの知らぬ間・自然体で多くを極めている、すなわち無限の全てを自然体(欲を出さない)で極めることになっていく仕組みが宇宙・真理にあるようです。
そして「極める」ことは大げさなことではないのです。
極めることを大げさにするのは特別意識・差別意識になります。
役割個性で天才といえるものを極め持っていても、その極めたものを特別にしないで、名・権・財で左右されたりしないで、持つものを勿体がらずに惜しげなく出せるのが本物になります。
その役割個性が天才秀才や技能者でなくても、日々の家庭生活の中の子育てや家事ごとの中にも自分なりに極めた自信があります、だからあれこれ思い考えないで即座にあたり前のように日常の行動表現ができるのです。
仕事でも同じです。 自分に自信があることなら即座に出して行動表現できます。 やっているから自信や極めにもつながっていくのです。 実際にやらないで思い考え想像することで極めることはできません。 やっている実践から結果が出るのです。 不安心配や恐れていると、やりたいことがやれないで焦り苛立つのです。 とにかく失敗を恐れずにやるしかないのです。 それも結果を良い悪いで判断するから失敗したと後悔執着することにもなるのです。
だから極めることを思い考え想像しないで(目的理想にしないで)、いまやっていることを真剣に続けていけばいいのです。 それがいい加減な意識で続けているのであればやっている意味がありません、勿体無いことになります。 何気ない日々の暮らしに意識を向けると、いままで感じていなかったことを新たに感じることが出来たりするので、その感じたことの結果原因やその意識・心を知りたがることの追求探求が、更に新たなことに気付いたりして接し触れ合うことにもなっていくのです。
人間は意識体であり、その意識で動いていますから ・・・人間は意識次第なのです・・・