孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

完全・実在、不完全・非実在

2008年09月11日 | Weblog
すべてが神であり愛ですから、その愛を感じられる人になると、すべてが喜び感謝になります。 至福の時を味わえます。
愛される人より、愛することが出来る人
・・・優しさ思いやりを感じられる人。
感謝される人より、感謝が出来る人
・・・ありがたいと感じることが出来る人。
そして、雨やんで「傘を忘れない」人
・・・いつまでも感謝を忘れない人。
その人には至福の時があります。

目的を持って成りたくて成ったものは本物にはなれません。
 ・・・成ったと思う、思い込み錯覚勘違いや自惚れ自己満足になります。
愛を出したくて愛を出したものは本物ではありません。
 ・・・あるがままの自然体でなければ愛にはなりません。
感じたくて感じたのは思い込み・幻覚・錯覚勘違いになります。
見えないものを見たいと思って見たものは夢幻・白昼夢になります。
何故ならこれらは完全ではないからです。

人間は息をする時に・・・自分で空気を吸って息をしたいとは思っていません・・・息を止めたくても止めることは出来ません・・・しぜんに息ができています。
同じく、息を吸う肺や心臓などの臓器も自然に動いています・・・命令しなくても、意識しなくても、思い願わなくても動き続けています。
人間はそれ以外にも知識や記憶を留めて置くここが出来ます。 五体を思うがまま・自由に動かし働かすことが出来ます。 
それは「完全」だからです。 
「命」は完全です。 その命には「愛」があります。 
その完全な命の愛があるから人間は生きて表現することが出来ます。

ところが人間は思い考え判断想像します。 しかし判断想像は頭の中だけに限られるから実在の世界に現して見せることは出来ません。 だから頭の中で実在していても非実在になります。 その非実在は実在できないから「不完全」となります。
ゆえに思い考え判断想像する不完全から「完全」は絶対に生まれません。

また「完全」になりたくても完全にはなれません。 「完全」は元々から持ってあるものだからです。 神が神になりたくて神を探すような矛盾があります。
元々の「原因」が完全だから、その「結果」として完全が生まれているのです。 
だから「完全」は実在することができます。 それが私たちでもあります。 
完全な命が実在しているのだから、不完全・非実在を無くすれば完全・意識に戻れるのです。

不完全な思い考え想像した中から生まれたものは形であれ物であれ、全てが不完全です。
不完全だから有って無いようなもので非実在になります。
ガラスは(物質・命がありますから)実在ですが、ガラスコップという形は非実在になります。 車や建物も同じです。 化学薬品や薬も同じです。 薬の中の物質成分が実在で命・愛がありますが、薬と言う形や物は非実在になります。

個人意識の人は「命・愛」を見ないで非実在の形・生老病死・喜怒哀楽で生きていますから、その非実在の不完全な意識・個人意識から出るエネルギーの通りに(自分の思い通りに)生きて、これまた同じように人間の肉体・精神体・感情体を使って生老病死・喜怒哀楽で生きる事になります。
元々の完全な意識・命・愛に戻らない限り同じ繰り返しが永遠に続きます。

完全なもの(命・意識)を消滅させることは出来ませんが、不完全なものは非実在で元々から無かっただけに、完全(命・意識)をもってすれば簡単に消すことが出来ます。
非実在の不完全な形は「意識次第」でどうにでもなるのです。・・・幸福と思えば幸福に思えるように・・・
例えば、癌と思って見れば癌の形がありますが、その癌細胞を命・愛と意識すれば体に及ぼす影響が減っていき、その意識次第では形が消えて見えなくなります。 
しかし癌細胞を悪い敵として摘出排除すれば体に及ぼす弊害副作用も大きくなります。
神の手を持つというような名医が行う臓器移植手術も同じです。

ちなみに死ぬ時が来たら死ぬのであって、それが病死や事故死や衰弱という形だったりするのです。 その形である病気も肉体の死も非実在になります。 
実在の「命」は完全だから消えて無くなりません、人間に形で見えなくなるだけで命は永遠に続きます。