孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

真理は平等・自由でなければ真理とはいえません。

2008年02月17日 | Weblog
真理は平等・自由でなければ真理とはいえません。
お金持ちでなければ真理を自覚できないとか、名誉名声を持たなければ真理を自覚できないとか、多くの学識経験体験がなければ、海外へ行って多くを知らなければ、聖書経典を記憶していなければ、滝に打たれて修行しなければ、祠・お堂にこもって瞑想しなければ、奇跡を起こせなければ、臨終体験しなければ、神の声が聞こえなければ、神の光を見なければ・・・など等はすべて個人意識・自己満足・自己主張・自己顕示・自己催眠・他者催眠・自己洗脳・他者洗脳から出たことですから不完全です。不完全には必ず差がありますから、差別意識・競争意識・戦争意識を持つことになります。 不完全からは完全を生み出せませんから、同じ不完全な差のある自己満足・主張・顕示、特別意識を持った、雨やんで傘を忘れるお蔭様の感謝の心が無い、宇宙の厄介者になります。 その厄介者の真似をしている人が大勢いるから完全真理を否定反発して邪魔をして、分け隔て差を持つことは正しいと言い張り言い訳正当化しているのです。

日々の生活からふと気付き湧き上がってきて真理が自覚できる・・・当たり前の中から真理を自覚出来るのです。
お風呂に入っているとき、便所でウンコを出しているときでも気付き学び知り自覚できることもあるのです。
お金も時間も距離も特に必要有りません。
いつでも、何処でも、何をしているときでも、目の前、聞く耳、見る目、五感、感性・個性から、真理を自覚することは出来るのです。 限られた者、制限条件が付いた形・特別は不完全なのです。

不信感を持たない、素直で謙虚であれば、いつでも真理に気付き学び知る自覚になるのです。 すなわち「特別」「差」が無ければ完全真理を自覚することが出来るのです。
だからすべてはひとつで、すべては神・愛であり、すべて一神・多神の関係なのです。
しかし形ある世界で生きている以上は裏表・二面性・両極で分離判断することもありますが、その判断の中で良い悪い・善悪優劣損得の差で比較競争しなければいいのです。 良い悪いの判断に執着さえしなければ「差」はしぜんと消えるのです。
それが「そのまま、このまま、あるがまま」の実践真理なのです。

1 コメント

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m(_ _)m (TOMOKO)
2011-10-08 01:08:50
utyu21 さま

先程は、大変失礼を致しました。

わたしは、山田耕榮さんを此まで全く存じ上げないなか、とあるブログに紹介されていて、お名前をネット検索したことで、ここに辿り着きました。

・・・これも、必然なんでしょうね。

ここまでのところ、恥ずかしながら、改めて自省を促す記事も幾つかありましたが、いま(わたし自身が)辿り着いている真理も、ほぼ同様であると云ってもいいと感じています。

そして、とにもかくにも実践あるのみと日々暮らしているこの頃です。

引き続き、読ませていただきながら、また、コメントすることもあるやも知れませんが・・・よろしくお願いします。

では (^ー^)
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