孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「井の中の蛙」「同じ穴の狢」「皆して赤信号を渡る」如くで「ドングリの背比べ」までしているのです。

2015年02月02日 | Weblog
完全なる宇宙&神&愛の意識からしてこの世が創造されましたが、
ところが人間意識は不完全で矛盾した意識でもって自分に都合が良いシステムを構築し、その不完全で矛盾したシステムの中で生きていくことになっています。

そんな中にも私は嫌だからと他のシステムを生み出してそして仲間を集めそのシステムを充実拡大していく者が次々と出てきては引っ込むことになるのがこの世の不完全さです。

何たって誰も皆が同じ不完全意識を持っているからにはその結果も同じことになるのは当然の結果なのです。

然るにその事を「井の中の蛙」「同じ穴の狢」「皆して赤信号を渡る」如くであり、しかも同じ仲間の中で「ドングリの背比べ」までしているのです。

また過去の釈迦やイエスの類の足跡を掘り起こしてその真似をする者やその仲間を増やしたがるのも「井の中の蛙」「同じ穴の狢」「皆して赤信号を渡る」「ドングリの背比べ」と同じです。

その中の「ドングリの背比べ」からしてそれが勢力争い権力争いとなってこの世を騒がせるも、その結末結果がどう転がっても同じ不完全ですから、結果的には「どうしようもない」この世人間関係が続くのです。

そしてどう転んでも不完全な矛盾のあるこの世に生まれたからにはそれを死ぬまで味わい続けます。

そこで=あなたはどうするの?=となれば、
ちなみに己の自力自信精神の弱い者ほど「井の中の蛙」「同じ穴の狢」「皆して赤信号を渡る」「ドングリの背比べ」の巷の精神世界を信じて頼ることにもなるのでが、そこでどんなに信じきっても頼りきっても、また言われるままに無理して頑張って見栄張って欲張ってもその結果結末も不完全なままに終わります。

然るに「どうしようもない」ことは「どうすることも」出来ないわけです。

そこで「井の中の蛙」「同じ穴の狢」「皆して赤信号を渡る」「ドングリの背比べ」にはならない、然るに人の集まる集合体&組織団体に関わらずにして独自独歩で精神世界を学び知り気付きそれを実践するしか他に道は無いとして書き続けていますが、その書き続けているうちに本命となったのが「欲張らない」ことです。

そしてそれを実践したならば、どうすることも出来ない世の中人間関係の中でいても、その実践している者は孤独の自由を味わいながら楽チンにして生きていける事実を書いているわけです。

そしてそれが(間接的に)世の為・人の為になる(自然体の愛となる)事実を書き加えているのです。

だから「欲張らない」真理を越えるものは何処にもないと自負しているのです。

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