孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

気にして得なのは外見(身体)ですが、気にしないで得なのは内心(感情体精神体)です。

2013年03月21日 | Weblog
私が世間ごとに疎いのはそれが私にとって重要ではないからです。
だから若い時からして新聞を広げても読む気がしないのが大半でした。
特に過疎地に着てからは世界&日本で今何が起きているのか知る由もありませんでした。

だから先般の大震災・津波・原発事故のことを知ったのは数日後の世間話からであり、しかも大きな被害を受けていることを自らがネットで確認したのも数日後でした。

ところで皆さんは新聞雑誌やテレビを欠かさず見ているとは思いますが、その世間のことを知ってどうでしたか、
その何がしを知ったことからしてそれが気になって精神的にも感情的にも良くも悪くも影響したことでしょうが、凡そ良いことよりも悪いことのほうが多いのが世間の中にあります。

ちなみに私が健康診断を受けなくなった理由も似たところがありまして、
知ったことで良かったことよりも気になることを持ち続ける(執着になる)その精神的負担が多いと言う事に気付いたからです。

皆さんは健康診断が役立つと思っているようですが診断すれば必ず気になる項目があってそれを気にするはずです。
そして医術薬剤や健康食品&サプリメントに頼ることにもなっています。
しかし(信じて頼っていても)それでも安心安全になることはありませんね。

それと同じく大震災が起きるごとにその予防対策や復興支援が取りざたされますが、それで安心安全な心持になれたでしょうか、
逆に不安心配が増したのではありませんか、

だったら(私のように)何事も知らずに、何事も気にせずに、成り行き任せに、平然と暮らしているほうがお利口さんに思えませんか、
ところがその平然と暮らすことに自信が無いから、その逆に多くを知って予防対策を講じることで安心安全になりたがっているのではありませんか、
しかしそれでも不安心配は消えませんね。
何たって人間は不信感の塊みたいなところがあるからです。

だから先々の思いや予測や予知も不確かなその天変地異や真坂の有事や事故や怪我や病気や死ぬことを前もって気にして生きることよりも、
それらを気にせずに成り行きに任せて暮らすほうが安心安全の心持でいられるのは事実なのです。

すなわち前もっての思い思惑&予測予知が必ずしも(2000年問題やマヤの暦如くに)その通りにならないことは(大や小に限らず)多く経験してきたはずです。
安全だと言われる原発も心配ですね、
前もって盗難防止策や安全策を講じていても被害が出ている現状があります、
何事にしてもキリがありません、それがこの世です。

だから家庭家族のことや仕事や世間のことで気になることを知って(自分だけではどうしようもないことに)執着するよりも、そのままの成り行き任せからして何も知らないままに過ごすほうが気楽ではありませんか、

とにかく細心の注意や最高の防御予防安全対策を強化していても安心できないのが人間なのです。
それが不信感でもあります。
その不信感が強いほど警戒心・不安心配・恐れが強いようです。
反対に不信感が少ないほど呑気気楽です。

ところで大震災や大きな有事に遭遇すれば自分の力量を超えたことですから、その事後のことは(成ることはなるが成らないことはならない)その成り行きに任すしかありません。

だったらその大震災のことも死ぬことも大病を患うことも考えずにほっといておいて、その成り行きに任せにしていてそれがいつしか事実になったところで(前もって警戒し用心していても)その事実は事実結果ですから、そんなに大きな差(損得)は無いと思いますが、如何でしょうか、

気にして得になることは外見(身体&金銭物質)ですが、
気にしなくて得になることは内心(感情体&精神体)ですが、
どちらを選びますか、
やはりどっちつかずの中途半端なほうが都合がいいのでしょうか、
それで果たして安心安全&大丈夫でしょうか、また精神世界を意識して生きているとその自信確信を持てますか、どうでしょう。

私は若かりし熱血漢の頃に悟ったことですが、執着して気にするほうが精神的にも感情的にも損だと自覚できましたから、それ以来何事も気にしないでほっとく事にしています。

ちなみに賞味期限が(不安心配&不信感で)気になる人よりも私のように賞味期限切れ寸前の半額商品ばかりを選んで(お得で&安心安全で)平気で食べているほうが得だと思いませんか、
何たって同じ賞味期限が原因で不安心配不信感が出て損する人がいるのに私は安心安全の美味しい商品が格安で賞味できるのですからだいぶ得をしています。

※ゆえに人間は物や形で生きるのではなくして「意識」で生きているのです。

だから外見を気にして損する人生と、その外見を気にしないままの人生と、どちらを選びますか、
また見えない世界のその精神世界なのに、その形やうわべを気にして選ぶ人と、またはその中身正味を実践で確かめてみるのと、どちらを選びますか、

また自分が得をすることなら他を押しのけても手にしたがる人が何で完全真理を自分のものに(本物に)しないのでしょうか!?

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。