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戦争、広島長崎原爆投下。 難民救済、差別問題

2008年08月12日 | Weblog
元は「ひとつ・一元」のものを良い悪いの裏表に分離する意識がある限り、その矛盾と向き合うことになります。 例えば、戦争に善が無くて悪だけなら戦争になりません。 戦争が悪い事だけではなくて良い事もあるから戦争になります。 だから戦争が悲惨なことになって「損」をするのを知っていても、また別な「得」になる事があるから戦争が繰り返されているのです。 そして「損」よりも「得」の多い勝者を目指してあの手この手で工夫して人殺しの勝負を挑んでいるのです。 要するに善悪優劣損得計算上の判断で人殺し戦争をやっているのです。 他に原因・理由はありません。あるのは言い訳正当化です。

戦争と言う事実、ヒロシマ、長崎に原爆が投下されたという事実はひとつです。
その戦争や原爆投下が結果的に良かったと判断した人の場合は、原爆投下が戦争を早く終わらすために役立ったと判断されます。 戦争を早く終わらすには、その戦争で大勢の敵を殺さなければ戦争は終わらないとなるのです。 そして敵方を大勢殺した方が勝者になり正義が勝ったと自我賞賛して敗者を悪に見立てて制裁することにもなるのです。 逆に日本がアメリカに原爆を投下して戦争に勝っていても、たぶん同じになると思います。

原爆記念日や終戦記念日に毎年記念行事が行われていますが、その記念行事が戦争や原爆のことを忘れないために良いことだと思っている人たちばかりではありません。 過去のことを思い出したくない人には悪いことになります。 同じひとつの過去のことなのに良いと悪いに分かれるのです。 そして多数意見の方に世間は傾き少数意見は退くのです。
戦争や原爆体験のある人だけが本物を体験したのです。 しかも人それぞれに違った思いで体験をしていますから千差万別で同じひとつではありません。 それに「ありのまま」に忠実に伝えることは(過去の記憶だから)出来ません。 また事実とは違う私見、言い訳正当化されたものが主張誇示される可能性が十分にあります。 それなのにそれを後世に伝え続けることで勘違いや間違いが起きたり、国内外での新たな問題提起になって更に複雑になっていることもあると思います。
しかも良い事だと思ってした反戦教育や記念行事がもたらした影響がこの先全部が良い結果になるとは限りません、一部悪い結果が現れる可能性もあります。 知らなければ知らなくても良かったことを、知れば知ったでそれが影響して原因となり先で複雑な結果に結びつきます。 

戦争等での難民救済は正しいことになりますが、その結果がこの先必ずしも良かったことばかりになるとは限りません。 例えば、難民の中から医者や学校の先生になる人もいれば、反体制勢力を築いて闘争やテロや戦争をする側の人になって結果的には新たな難民を増やすことになるかもしれません。 それでまた新たな難民から学者先生になったり軍人になったりするかもしれません。

また差別は悪いこととして、差別を無くする活動をしている行政組織がありますが、その差別があるからと、差別だ差別だと(深く掘り下げてまでも)主張して騒げば騒ぐほど救済援助補助保護が増えたりすることがあるので、今より少しでも豊かな生活を欲しがっている人や組織勢力拡大を目論む人には差別がある意味で自分にとって都合が良いことになります。 差別が悪いと言えば自分の立場が良くなるから主張顕示誇示して熱心に取り組めているのかも知れません。

戦争が、原爆が、難民が、貧困が、差別が、と騒いで自分の立場を良くしたい人や刺激が欲しい人が問題提起して更に複雑にして己の存在感を示すのに都合よく使われているかもしれません。 さらに問題解決に至らない中途半端で複雑になるばかりで、ただそのリーダーや支配者が入れ替わり立ち代り現れては消えているだけなのかもしれません。

いま何らかの形や組織に属して活動できるだけの優しさ思いやりの心が溢れているのなら、目に見える形の救済援助にこだわらずに、その中の一人ずつでもいいから良い悪い(善悪優劣損得)で判断している個人意識を無くしていく教え教育も必要なのです。

これまで神や愛や宗教をどんなに熱心に伝え教えても不平不満や戦争は無くなりませんでした。 そこで原因である「良い悪い」を持っているかぎり、すべて矛盾のある中途半端な結果になることを悟るのです。 そして今まで得て持っているもの(知識や価値観・宗教観)を全て捨てなくてもいいのです、その中に含まれている良い悪いの分離判断を外していけばいいのです。


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