孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

個人意識丸出しでもって生きることは罰当りでも恥さらしでもありませんで正直者です。

2017年12月15日 | Weblog
人類誕生のアダムとイブのころから欲と不満の繰り返しでもって時代が進化してきました。

然るに…これではダメだ何とかしなければの不満と欲からして自己満足に至るその苦と楽の喜怒哀楽の繰り返しが時代を進化させてきたのです。

と言うことは…生まれながらにして持っている欲からして喜怒哀楽となっているのですから、なんで自由にして・差別のない・人殺し戦争のない平和や調和の時代になるでしょうか、
たとえ天地がひっくり返っても絶対に無理なのです。

ちなみに私は働き盛りの自己拡大真っ盛りのころ…ふと人間関係に違和感が出たことからして…結果的には人間離れした・人里離れた限界集落の過疎地での単身年金暮らしが始まったのです。

その自己拡大中もそんなに欲張っていたわけではありませんで、ただ自分にできることを楽しみにやりながら、家族夫婦円満・セックス円満でもって楽しく暮らしていたいだけでした。

また私が幼いころから放任で育ったことからして遊び惚けて楽しんでいましたから、我が子にも放任にして・余計な口出しもせずに・個人の自由にして任せていました。

また夫婦円満からして妻にも余計な口出しをせずに好き勝手に任せていました。

しかし仕事関係の中での人間関係でもって今まで楽しんでいたビデオの仕事が色あせて・飽きてきて・どうでもいいことになりました。

また夫婦円満セックス円満も妻任せの妻しだいでしたし、その妻が不機嫌でも文句も言わずに・その妻まかせにして・成り行き任せになります。

そんな不調和な人間関係でもって私が巻き込まれることが違和感となり…それが別荘感覚で始まった人里離れた過疎地暮らしが私に似合った結果となり・すぐさま馴染めました。

そして過疎地暮らしの中で自己満足するために必然性の乏しい余計なことを・苦労を買って出ていることに気付き、尚更に自己縮小となり現在があります。

然るに自分一人のことなら何とかしながら生きていけるが、仕事や家族の人間関係が絡むと不調和になり気兼ねしながら生きていくことになるのです。
だから生きていても何だか虚しく物足りなくなるのです。

だから尚更に自己満足を欲しがることにもなっているし、それがキリもなく続くのが精神未熟な私たちなのです。

また欲張って何が悪いのよとばかりに・欲張る者同士が寄り集まり団体組織化することからして…私は正しいと主張することにもなり…それがテロや乱や維新革命や極悪人の人殺し戦争にもなっている事実を自覚納得確信となっている人はごく少ないようです。

何はともあれ…欲から始まり欲で終わる人生となるのです。

そんな生き方生き様に違和感があるのであれば…欲から離れた生活を実践するしか他に道がないとして書き続けています。

然るに…この世人間関係をどうすることもできないが、自分のことなら何とかできるのです。

だから…持って生まれた仕組みの…自分さえ良ければの個人意識丸出しでもって・自己責任の自己結果を味わいながら生きていくしか他に道がないのです。

またそれが己の人間人生の学びとなり精神力ともなり先々で活かされるのです。

然るに…宇宙・神・愛の仕組みに反することでもなく、罰当りなことでもなく、また恥じることでもなく、堂々と・平然と・当たり前にして・心穏やかな普通にして生きていけばいいのです。

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