孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

万物の中で不完全で非実在に生きているのは人間だけ

2009年01月20日 | Weblog
万物すべてに役割があります。
神(一神)は神の役割を果たしているだけであり、その神が神の愛・全知全能で創造した万物(人間・動物植物鉱物・微生物・液体・気体)も、それぞれの役割・使命を果たしている神(多神)になります。
その役割を特別にすると(特別に思うと)差・差別をつけたことになります。
だから神を特別にすれば他と差別したことになり、差別する事を教えている形になります。
その差別する意識がいろんな問題になっているのは誰もが知るところです。
すなわち、差別された特別な神・神意識は問題を作り出す偽善になり、その神を意識するものは「差」を持ちたがる差別意識や特別意識・救世主意識を持った偽善者になります。
だから神を特別に拝み奉る形は、自分の思い思惑を思い通りにしたい欲です。

多神である人間も、人それぞれの個性役割を果たせば、それが神の愛になります。
しかし他と差をつけたがるのは差別意識であり、それには己の欲があります。
その差・欲を持っていると愛・エネルギーは出ていません。
すなわち多神である人間が神とは言えない人間、すなわち自分さえ良ければの個人意識の人間、すなわち愛の行使・個性役割を果たしていない人間、我神なり我愛なりを見失った人間、個性役割で生きていない人間、良い悪いの差を持っている不完全な人間になり、そして過去や未来を思い考え想像する非実在のなかで生きていることになります。
すなわち、不完全で非実在の中で生きているのが今の人間です。

多神の人間以外の万物、その他の多神も役割で生きています。
生きているからには必ず命・意識があります。 
人間に見える形は単なる表現体であり、その表現体に力・エネルギーはありません。
意識が命であり、その命があるから形・表現体を持つことができるし、意識した事を表現体で使って行為行動表現することが出来ます。
そして、意識・命は永遠に存在・実在できます。 
また、形ある万物表現体がお互い様の関係でエネルギー呼吸・交換しているから、その共存と調和によって、その形ある表現体が生きていけるのです。

万物すべての意識には力・エネルギーが有り、そのエネルギーを出すことが役割使命です。
その見えないエネルギーが愛であり神と言われているのです。
しかもそれらすべてがひとつにつながっていて差が無いから完全なのです。
ゆえに、完全だから完全なものが創造できるのです。
それが一神にして多神であり、愛であり、全知全能と言えるのです。

見えない意識・命に愛があって、見える形や思う形には愛はありません。
それを知らないで、形や思いに愛があると思っているから(錯覚勘違い)、愛を形や思いで表そうとするのです。
そして、見える形自体や思いにはエネルギー・愛が無いのに、それが有ると思っていることから迷い混乱したり、思い悩んだり、思惑で惑わしたり惑わされたりするのです。

愛の無いところ(非実在)で、愛の無い(不完全な)行為行動を表現しているから愛の無い世の中になり、嘘偽りの愛を言う偽善者や差を持つ特別意識の人や権威権力を持った救世主意識などの主導者たちが牛耳ることができる世の中になったのです。

愛は意識ですから、愛を形で表すことは出来ないのです。 
その愛を形にすればそこに差・裏表が出て不完全な愛になるのです。
愛していると思うのは、己が思う思惑・欲であって真の愛ではないのです。
結論として、良いと悪いで判断している分離意識があるかぎり愛は無いのです。
そして、この世に実在するものは完全な愛であり神であり、万物すべての意識・命が愛であり神なのです。
だから「我神なり」「我愛なり」を自覚することになる、良い悪いを持たない完全真理を学び知る必要があるのです。

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