「良い悪い」で判断して、良い事をしても悪い事はしない、その良いとこ取りをして悪い事は排除する、その自分さえ良ければの個人意識・矛盾意識・不完全意識の集合意識(闇意識)によって、その時代ごとに様々に進化発展してきましたが、その成りの果てが地球人類の滅亡に突き進む(後戻りできない)状況になっています。(詳細は何度も書いているので省略します)
そして昨今では地震と津波の震災と原発の放射能汚染で今もなお騒がれていますが、その性もあって震災意識・防災意識・避難誘導意識・互助精神・絆意識も高まりつつありますが、その意識が高まったところで(前頭に書いたように)もう既に取り返しの付かない「どうしようもない」状況に入っている事に気付いている人は少ないでしょう。
更に震災や放射能を恐れる恐怖心・危機意識が強くなるほどに、その悪い事に対する防御・守り意識の集合意識も強まります。
すなわち此れまでに「良いとこ取り」してきたその裏の弊害副作用の悪い面が出てきたことで更に守り意識が強まったのです。
だから防災意識が高まりその対策が急がれ、また原発に頼らない意識も高まりその対策が急がれ、それと同時に被災者を守り助け合う精神やその絆意識の高まりが言われるようにもなりましたが、一般的には良いことが言われているようですが、その裏では更に地震や津波や放射能汚染に(悪い事に)対する不安恐れの恐怖心も同時に高まり、またその不安恐れの恐怖心と戦い守るその守り意識やの集合意識も高まっています。
ところが「すべては意識の世界」であって、その意識はひとつですから、その守り闘う意識が強くなるほどに更に悪い事を排除したがることになり、それがまた更に不信感・不安心配を強めることにもなり、その不信感・不安心配からのその守り意識が更に潔癖症や完璧主義や正義感を強めることにもなります。
そうなると不信感で排除される側も同じく「私は正しい」の潔癖・完璧・正義でもって守り戦う意識が強くなりますから、結果的には「イタチゴッコ」が繰り返されて、解決するどころか更に互いの不信感・敵対心を強める結果になります。
すなわち何をやっても解決する事無く最終的には「破壊」「滅亡」につながるのです。
それを雑菌・ウイルスと人間の関係やまた人間同士の関係や国家国際関係に当てはめても同じ結果になるわけです。
その現在の状況からして(無知で無ければ)、誰もがその破壊・滅亡に至る不安心配は(無関心を装っていても)持っているはずです。
そして「どうしようもない」ことも直感・感性や潜在的に気付いているはずです。
そして自力や他力でもっても絶対に解決する術もないことだし、そのイタチゴッコの繰り返しにもうんざりしていて、そのやり場のない虚しさを紛らわすために(近年ほど)自己満足・刺激・変化を追い求めているわけですが、その自己満足・刺激がまた破壊意識・破滅につながっていることには気づいていないかも知れません。
だから世間ではヒーリングだの癒しだのカワイイだのと思えるものと(若者らが)接していたがることであったり、タレント・芸人の装飾された自作自演や企画演出で仕組まれた人工的なお笑いやの癒しに触れ合うことであったり、歌手のライブに似た者同士が大勢一同に集まることだったり、街中でたむろする事であったり、反対に閉じこもることであったりするわけですが、それだけでは十分ではありませんから、その破壊意識・闇意識から抜け出すことは絶対に出来ません。
また世直し人救いを看板に掲げている信仰宗教の中でさえ、他と違う特別な神を奉り、また人集め金集めで勢力を競い合い、その特別意識でもって良いと悪いで判断することが原因のその不信感から守り闘う意識でもって更に説教・布教しているようですが、その当事者自らが不完全な闇意識の泥沼に首まで入っているのにも気付かずにいるのですから、何で人救いが出来るのでしょうか。
また完全真理を学んでいたとしても(意識面では)概ね似通った同じことが言えますから、人様を救うことも、また自分が救われることもなく、既に「どうする」ことも出来ない状況・状態です。
だからせめても、ヒーリングや癒しやカワイイや何となく集ってたむろする必要のない精神・意識に戻って、そして無理のない自分に似合った悠々自適の素朴な生き方をして、日々元気で明るく暮らせる意識になることしかなさそうです。
ところが万が一にも引きこもりやうつや自殺願望を持つようであれば、その自らの命を閉じ込め破壊に至らしめる寸前にでも、その自分の自我(欲と守り意識)を捨てることにすれば大丈夫になります(その事例を多く書いています)。
すなわち、自分の命を自らが捨てる前に、また自分の死が来る前に、その自分の自我・エゴを捨てれば、その死する時がくるまで楽チンで生きられ、そして死後の意識の世界でもその楽ちん意識でもって宇宙の時を過ごせるようにもなるのです。
そして昨今では地震と津波の震災と原発の放射能汚染で今もなお騒がれていますが、その性もあって震災意識・防災意識・避難誘導意識・互助精神・絆意識も高まりつつありますが、その意識が高まったところで(前頭に書いたように)もう既に取り返しの付かない「どうしようもない」状況に入っている事に気付いている人は少ないでしょう。
更に震災や放射能を恐れる恐怖心・危機意識が強くなるほどに、その悪い事に対する防御・守り意識の集合意識も強まります。
すなわち此れまでに「良いとこ取り」してきたその裏の弊害副作用の悪い面が出てきたことで更に守り意識が強まったのです。
だから防災意識が高まりその対策が急がれ、また原発に頼らない意識も高まりその対策が急がれ、それと同時に被災者を守り助け合う精神やその絆意識の高まりが言われるようにもなりましたが、一般的には良いことが言われているようですが、その裏では更に地震や津波や放射能汚染に(悪い事に)対する不安恐れの恐怖心も同時に高まり、またその不安恐れの恐怖心と戦い守るその守り意識やの集合意識も高まっています。
ところが「すべては意識の世界」であって、その意識はひとつですから、その守り闘う意識が強くなるほどに更に悪い事を排除したがることになり、それがまた更に不信感・不安心配を強めることにもなり、その不信感・不安心配からのその守り意識が更に潔癖症や完璧主義や正義感を強めることにもなります。
そうなると不信感で排除される側も同じく「私は正しい」の潔癖・完璧・正義でもって守り戦う意識が強くなりますから、結果的には「イタチゴッコ」が繰り返されて、解決するどころか更に互いの不信感・敵対心を強める結果になります。
すなわち何をやっても解決する事無く最終的には「破壊」「滅亡」につながるのです。
それを雑菌・ウイルスと人間の関係やまた人間同士の関係や国家国際関係に当てはめても同じ結果になるわけです。
その現在の状況からして(無知で無ければ)、誰もがその破壊・滅亡に至る不安心配は(無関心を装っていても)持っているはずです。
そして「どうしようもない」ことも直感・感性や潜在的に気付いているはずです。
そして自力や他力でもっても絶対に解決する術もないことだし、そのイタチゴッコの繰り返しにもうんざりしていて、そのやり場のない虚しさを紛らわすために(近年ほど)自己満足・刺激・変化を追い求めているわけですが、その自己満足・刺激がまた破壊意識・破滅につながっていることには気づいていないかも知れません。
だから世間ではヒーリングだの癒しだのカワイイだのと思えるものと(若者らが)接していたがることであったり、タレント・芸人の装飾された自作自演や企画演出で仕組まれた人工的なお笑いやの癒しに触れ合うことであったり、歌手のライブに似た者同士が大勢一同に集まることだったり、街中でたむろする事であったり、反対に閉じこもることであったりするわけですが、それだけでは十分ではありませんから、その破壊意識・闇意識から抜け出すことは絶対に出来ません。
また世直し人救いを看板に掲げている信仰宗教の中でさえ、他と違う特別な神を奉り、また人集め金集めで勢力を競い合い、その特別意識でもって良いと悪いで判断することが原因のその不信感から守り闘う意識でもって更に説教・布教しているようですが、その当事者自らが不完全な闇意識の泥沼に首まで入っているのにも気付かずにいるのですから、何で人救いが出来るのでしょうか。
また完全真理を学んでいたとしても(意識面では)概ね似通った同じことが言えますから、人様を救うことも、また自分が救われることもなく、既に「どうする」ことも出来ない状況・状態です。
だからせめても、ヒーリングや癒しやカワイイや何となく集ってたむろする必要のない精神・意識に戻って、そして無理のない自分に似合った悠々自適の素朴な生き方をして、日々元気で明るく暮らせる意識になることしかなさそうです。
ところが万が一にも引きこもりやうつや自殺願望を持つようであれば、その自らの命を閉じ込め破壊に至らしめる寸前にでも、その自分の自我(欲と守り意識)を捨てることにすれば大丈夫になります(その事例を多く書いています)。
すなわち、自分の命を自らが捨てる前に、また自分の死が来る前に、その自分の自我・エゴを捨てれば、その死する時がくるまで楽チンで生きられ、そして死後の意識の世界でもその楽ちん意識でもって宇宙の時を過ごせるようにもなるのです。