孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

個人意識を知り、認めることで自己縮小になり、穏やかな心になれる

2009年04月04日 | Weblog
完全真理を言う中に「知識」だけではダメですよ・・・と、よく言いますが、良い悪いで言っていることではありません。 すべてが「知る」ということから実践・行為行動表現が始まっているから、知った知識は重要になります。
しかし、知った知識は頭の中の記憶ですから、その自分が知ったことを思い出して表現することになり、それは自分の意識・思いから出たものですから、私の個人意識が出たことになります。
また、良い悪いで判断して良いことをしたと思うのは自己満足や自己主張や自己顕示になりますから、人のために思ったことでも原因は自分のために行った自己愛・愛情になり、真の愛とは言えません。 それが完全を言う完全真理です。

また、ただ知っただけの知識を見せびらかして「言うだけ」の人が多いのも事実であり、ただ言うだけなら学問知識で誰でもが言えることであり、その記憶や思い想像で「言うだけ」の行為には実のある実践が少ないことになり、それに固守・執着する人も多いから、その分だけ愛意識・神意識、我愛なり・我神なりを自覚・悟るのが遅れて当然です。
でも、言うことも聞くことも実践の内ですから、言うだけ、聞くだけが良いとか悪いとか言うことでもありません、すべてが必要で必然なのです。

誰もが自己愛、自分さえ良ければ個人意識を持っています。
自己満足や自己主張や自己顕示欲も誰もが持っていることです。
ゆえに自惚れ自己慢心のプライド・優越感を持っています。
だから裏側の劣等感も持っています。
持っているものを無くすることは至難の業だと私は思っています。
だから、持っているものを無くする為に(良い悪いで)闘わないで、持っていることを認めればいいのです。 誰もが持っているのだから隠さなくてもいいのです。 隠したがるのは「悪い」ことだと思っているからです。 隠したがるのはプライドがあるからです。
そして、個人意識を無くしたいと思うと、それと闘うことにもなるのです。
だから闘わないで、もっともっと個人意識の全てを知り自覚することです。
それらを知れば知るほど見栄や世間体といったプライドも徐々に消えていきますから、その裏側の劣等感も同じ様に消えていくことになります。

とにかく、誰もが皆同じものを持っているのだからあまり気にしなければいいのです。
それらを持っている量や質は多少違っても、持っていることは同じですから、良い悪い優劣損得で判断することではありません、「お互い様」の皆同じ個人意識の持主です。

その誰もが持っている自分さえ良ければの自己愛を他者から「守る」ことが闘いになり、それが原因で数々の問題が起きているのです。
また、自分の中に有るものは自分のものですから、自分が困ったことになるだけですみますが、その自分だけが困ったことになるのが承知しかねて言い訳正当化したり、他者に責任の一端が及ぶように人を責めることもします。
その人を責める(人と闘う)のが不平不満なのです。
そして自分を責める(自分と闘う)のが後悔や未練になっています。
それら不平不満や後悔や未練に執着するほど自分が困ったことになります。
そこでまた(自分が安堵・安心するための責任転嫁で)他者の責任にしたりして自分を守ることをしますが(自己防衛)、それが言い訳や正当化をして誤魔化す他者暗示や私は正しいと思い込む自己暗示があります。

また、自分が損をした被害者になったことで(我慢できずに)人を責め、「私は正しい」と自己主張したり、その正当性を認めてもらうために顕示・行動をしたがりますから、それが時には世の中を巻き込んだ大きな混乱に至る事実結果がたくさんあります。
だから、始めは被害者だったのに(強く主張するあまり拡大していって)いつの間にか多くの人に迷惑をかける加害者の役割もしていた結果が出てくることになるのです。

そこで自分さえ良ければの個人意識を持っていることを自分が認めてしまえば、それがお互い様になり人を責めることも無くなりますから、(自分が持っている意識の全てを知ってそれを認めることで)、自分とも他者とも闘うことが無くなるから、それが自己縮小の実践になるのです。 
だから、良くも悪くもお互い様だったことを知るだけでも相当な自己縮小につながります。

自分が持っている個人意識を隠したり上手く言い訳正当化して誤魔化すより、自分に持って有るものは有るのだから、それを素直に認めていれば拘り執着することにもなりませんから、いつも平常心で心安らかでいられるから、結果的には自分が得をする生き方になるのです。
すなわち自分が損をしたと思うことでも、こだわり執着しないことで結果的には自分が得をするのですから、損をしたと騒がずに「あるがまま」に成り行き任せにしておけばいいのです。 それが「お互い様」の意識なのです。

不平不満・悩み苦しみ・不安心配・怒り・憎しみ・嫉妬などを持ったために「損」をすることになるから、その「損」を取り返したがる個人意識でまた次の問題に波及していって止めなく続き、頑固執着でいつまでも引きずることにもなるのです。
だからその問題を問題にしている限り(結果ばかり見ている限り)絶対に「心が安らぐ」ことはありませんから、結果的には「損な人生」を送っていることになるのです。

人間の意識に表と裏がある限り、得が損になったり損が得にもなって、その矛盾で思い悩んだり、良いとこ取りばかりして自己満足・主張顕示したり、時には「私は正しい」の正義感となって人と闘う戦いになり、双方互いが被害者にも加害者にもなって大きな実害が起きているのです。 
結果の良い悪いに良いも悪いも無いのです。 優劣損得に優も劣も損も得も無いのです。 ただ、その思いで思うことに実なる実害も出ているのだから、自分だけのことではすまされなくなるのです。
頭の中で思い考え想像したことを良い悪いで行為行動表現することで、見える害も見えない害も自他共に及ぼしているのです。
だが、頭の中の思い考え想像したことに良い悪いがなければ「あるがまま」になって、喜怒哀楽や生老病死がごくあたり前になって、その喜怒哀楽や生老病死に拘り執着しない心安らかな日々の生活がおくれるのです。


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