孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

命がけ、健気・けなげと一生懸命とは違う

2009年04月15日 | Weblog
「命がけ」という言葉がありますが、一生懸命とは違います。
一生懸命には私の思い通りにしたい結果を持っています。
命がけには「健気/けなげ」な心があり、結果を持たない一生懸命があり、欲得損得の計算がなくて、神と結びつく愛があります。

その一生懸命で知ったのと、けなげな心で知ったのとは違ってきます。
だから今の社会で起きている問題を何で解決するかといえば、「知っている」ことで解決しようとしますが、「知らない」ことでは絶対に解決できません。

その知っていることが一生懸命にした経験や体験であり、それが私は間違っていないという「私は正しい」の権威権力などの肩書きにもなっていますが、その知っている意識の投影が今の社会ですから、差別・不平等・戦争になることを「知って」いるが、自由・平等・平和を「知って」いないことになります。
だから事実ではない分離感を学んだことになり、その良いと悪いの判断基準を学んで「差」を付けることばかり学んでいるのが我々人間なのです。
だから「けなげな心」と「完全真理」で知った真実の自由・平等・平和を知らないのだから、今の不自由・不平等や戦争を解決することは絶対にできないのです。 ★重要★ 

事実ではない、全体ではない、差のある部分を見ているから「井の中の蛙」になります。
その井の中の蛙は大海を知りませんが、その大海が「愛」です。
その愛を知らないもの同士が集まって差を示しあっている形が今の社会ですから、その差を判り易く簡単に示すのが名誉名声や権威権力の肩書きであり、その肩書きが示すように「私は正しいこと」をしていると差を示すことができるのが名刺であり、その名刺で皆が簡単に理解を示してくれるので重宝な道具になっています。

その肩書き・名刺は「虎の衣」を借りたものですから、事実ではない過去の経験体験の頭の中の知識記憶を見せびらかしているだけで、けなげな心で真実を学んだ教養ではありませんから、まさかの有事の際には化けの皮がはがれて本性丸出しになり、知行同一とはならずに自分さえ良ければの行動が最優先されます。

真実の自由平等平和を知っていないから、差のある不自由不平等や戦争になるのです。
その差を付ける競争社会でありながら、その差別格差を問題にしているという矛盾に真正面から取り組まないで、いい加減な妥協や言い訳で済まそうとしているのです。
それが神や愛を説く宗教や聖職者やその道の専門家までが矛盾したことを正しいと教えてきたのです。
そしてその「私が正しい」を有史以来繰り返し引き継いできたことから、とうとう地球・人類の賞味期限切れ・末期症状が現われているのが現在なのです。

その差が付くのは「良い悪い」で判断する原因があるからです。
原因がなければ絶対に結果は出ないのです。
だからその原因である良い悪いを無くしていく完全真理とファバラエネルギーが必然でこの世に初めて現われ出たのです。

その元々から持っている分離感を無くするためにファバラ・神や愛の意識エネルギーが役立のです。
その個人意識を「けなげな心」に変えてくれる意識改革に常温核融合のファバラが役立っているのです。
その「けなげな心」になって知った教養がまさかの有事の際に役立ことになり、思いも寄らない出来事に動揺して心・精神を見失う(精神疾患)ことにもなりません。
また時代・次元を先取りしたファバラ・宇宙エネルギーですから、省エネにも役立っているし、悪化している環境を元に戻すことも可能ですし、また過去の病気やウイルス疾患から未知のウイルスや病気疾患の予防に役立ってくれています。

また、けなげな心になることでお互い様やお陰様の感謝を学び知ることができるのです。
姿形や個性役割が違うだけで「差」は無かったことを知るのです。
皆が同じで、神や愛が差のある特別ではなかったことを知るのです。
住む環境や暮らしぶりがそれぞれに違っていても、その差を示す上下左右の無い真ん中の「普通」に自由平等平和があることを知るのです。
すなわち「特別」を目指すことではなかったことを知るのです。
その特別を望むから不自由・不平等・戦争が延々と引き続いていることを知るのです。

ゆえに、先ほどの真実を確かに知ることになるのです。
だから、知らないものは知らないで終わり、知ったものだけが「知った」ことになるのです。
知るも、知らないも、それは誰の性でもなく、自分が選択した結果です。
そして、すべては自分の意識に原因があるのです。

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