孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

…死ねば…過去の生き様や記憶が…死後の世界で…夢ごこちながらも現実的になる。

2017年04月09日 | Weblog
前回投稿の…この世・あの世・夢の世…に付け足します。
睡眠中は無意識ですから時間の感覚がありません。
然るに丸一日熟睡していたり意識不明で何日も寝ていても…その時間的感覚はまったくありません。

また睡眠中に見ている夢を…夢だと…自覚しているはずもありませんから、その間は夢なのだが・実在している事実が如くになっています。

そして目覚めてからはじめて・今までが夢だったと自覚することになります。

然るに死に様がどうであれ、その死に至れば深い眠りの無意識と同然になりますから、当然ながら己が死んだという自覚もなく、また時間的経過感覚もありません。

だから地球時間で何日・何カ月・何年・10年~100年~も無意識のままが続くかもしれません。

ところが生前中の深い眠りの無意識の中で夢見ることがあるように…
当然ながら死後の魂・精神体・生命体も夢を見ることになります。

然るにその夢を見ている間は(その夢の中で=夢とは知らずに)あたかも事実にして・今を現実が如くに生きているのと同等な感覚になっています。

然るに…その夢の内容となれば…生前中の拘り執着や未練だったり・思い思惑期待していたことだったり、また苛立ち不安心配恐れていたことだったり・嫉妬や憎悪だったりするかもしれません。

また夢がいったん途絶えても(無意識で時間的感覚は全くありませんから)次の夢を見れば(途切れ途切れながらも)全部が連続しているのと同じ感覚になります。

然るに生前中の生き様に似通った夢を見ることになりますから(死後の世界の夢の中であっても)如何にも現実に生きている感覚になっています。

また過去の記憶の現実的な夢ですから…
その持ち前の思い思惑・拘り執着や性格個性や感性に似合った事柄になりますから、結果的には思い思惑や感情のみならず・現実的な知識能力技能アイデアなどが浮かんでくることもあるでしょう…
となれば…夢の中であれこれと思い考え想像してそれを高め磨くことになるかもしれませんが…
しかし…夢の中のことですから…その思い感覚だけで終わり(絶対に)現実化できません。

そして地球時間にして数十年・50年・100年~後に目覚めたときは…生まれたての赤ちゃんですから…頭脳面からして今を生きていくのに精一杯だから…
やがて死後の世界の夢がごとき記憶(前世の記憶)もしだいに消えていきます。
…しかし潜在意識で残るようです。

そして成長とともに・成人しながらも自分に似合った・自分の好みに見合った方向性を選んで・それを現実化することに励み精出すことでしょう。

ちなみに…万が一にも目覚めないままに意識不明になってしまえば死んだも同然の深い眠り状態になりますが、
その意識不明になるまでの記憶が夢となって蘇りますから、結果的に己が意識不明の状態であることは自覚できませんし、
またその意識不明のままに死に至っても、己が死んだとは自覚できないままにして此れまで通りに生存中の記憶の夢を事実が如くに見続けることでしょう。

ちなみに私の場合は…遊ぶために仕事をしていたようなものですから…
此れまで幾多の新物を先駆け手掛けてきましたが…
それらを惜しみなく捨てながら次なる先取りをしていましたから…

結果的には…一本道が如くに仕組まれ続けて…今では肉体や感情体から卒業して…精神体でもって生きていく「自己縮小の実践」を先駆けることになりました。

ちなみに現在の私が睡眠中に見る夢は平々凡々ですから…私の死後の世界で夢見るのも概ねにして平々凡々でしょう。

ところがどっこい…睡眠中に見る夢を自分好みに選択するなんてことは絶対に無理ですから…ごく平凡であっても…私としては見たくない夢が容赦なく出てくることもあります。

然るに奥底に隠している己の思い思惑が現実が如くに夢で現れて出てくることもありますから、その夢から目覚めたときに私の中に邪な見栄や欲や偽善が隠れていることにも気付かされます。

だから自己縮小していると言えども…持って生まれた矛盾意識・偽善意識だけはどうしようもないのです。

しかし…既に自己縮小をしていますから…その矛盾・偽善・苦楽に執着しないで済みますから…
結果的に己の心身の苦楽から救われ助かったことにもなります。

何はともあれ…今のままの平々凡々な穏やかな精神のままに睡眠するように…この先の私の死に目・死に様も…現在と同じように穏やかなままの死の眠りとなればいいと思っています。