孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

私が正しいの潔癖・完璧・正義感の加害者や被害者になりながら「人生が狂う」のです。

2017年03月23日 | Weblog
東西南北の老若男女の誰もが実践できる素朴謙虚に生きる自己縮小が簡単なようで簡単ではないところがあります。

ちなみに成り行きからしてニートやBライフ・サイレントやホームレスになった人たちは自己縮小の形になっています。

しかし世間で取りざたされるだけに同じような仲間が大勢いることになります。

また自らが望んで仏門に下ったり教会にこもって精神修行している人も自己縮小の形になりますが、周りに同じような仲間がいます。

ところが同じような人が集まるところには…何かと目立ちたがる・差をつけたがる・比較競争差別がありますから…自己縮小ならぬ自己拡大につながります。

ちなみに家族ぐるみで田舎暮らしをしている人が自己縮小しているか否かは見た目だけでは不確かですが…
単に町中の暮らしを田舎に持ってきただけのような暮らしぶりだと思われます。

そこで私のように自らが選んでの…孤独と自由…にしての自己縮小の実践となると…周りに仲間がいません。

となると仏門に下ったり入信する以上の勇気や決心決断できるだけの自力と自信の精神力が無ければ取り組む気にもなれません。

しかしそれだけ真剣に取り組みますから、自己縮小の実践に価値を見出すことが早まるかと思われます。

ちなみに私の場合は仕組まれ続けたその成り行きから始まったことですが…内心では誰よりも先駆けているという自惚れ慢心がありました。

然るに何かと人様に自慢したがっていました。

だからヤギや烏骨鶏を放し飼いにしたり自家菜園したり、また地域のボランティアまがいをして何かと目立つことをしていました。
そして過疎地暮らしに関心のある人を呼び込んでいました。

然るに自己縮小の形にはなっていても…自己満足を超えた自惚れ慢心と見栄があったのです。

しかし現在は…必然ご縁からして何か事を成して自己満足することがあっても自惚れ慢心と見栄からして人様に自慢することは卒業しました。

然るに人様に自慢するほどのことをやらなくなったのです。

然るに…記憶にも残らない…空白の時間がどんどん増えてどんどん暇するようになりました。

ところがその分だけ心穏やかになり、それが快くもなり、それで納得できるから、それ以上のことを望まなくもなったのです。

然るに自然界の中で…地上の天国…を味わっているのです。

何はともあれ…自己満足が過ぎて自惚れ慢心になることは…見栄張りでもあるのです。

だから世間に自慢したがるのです。

また自己拡大にもつながっているのです。

また自己主張にもなるのです。

また私が正しいの潔癖・完璧・正義感にもなるのです。

またその加害者になったり被害者になったりしながら人生が狂うのです。