愚痴小言不満が出る人は己の思い感情で生きている人であり、生きていることの事実だけを味わっていない人となり、しかも私は正しいの思い・潔癖完璧性が強く出ている人にあたります。
然るに己に都合が悪いことになると否定反発したがる…はた迷惑な人になります。
それでも自分は正しいと思い込んでいますから・そのことに本人は全く気付いていません。
ところが自分の心に正直な人は…己の思い感情の過ちに気付き…不満が出る前に気付いて事無く済みます。
然るに謙虚な人にあたりますが、しかし殆どの人は自己主張をしたがります。
となると…謙虚な人ほど…この世人間界で生きずらい思いをしながら世間の片隅で心静かに生きることになります。
ということからして…世間で目立つ人ほど自己主張していることになります。
そして謙虚な人を押しのけ抑え込み邪魔だと片隅に追いやっているのです。
ちなみに何がしの優れた能力を持っている人となると…事の始まりは謙虚であっても…事がうまい具合に進みだすほどに自惚れ慢心となり…謙虚さは見せかけだけになり、内心では欲と見栄が大きく膨らんでいるようです。
だから結果的には世間に目立ち、更にめでられ羨まれ尊ばれる格好になって、その名をとどろかせる一門の人となるのです。
ところがどっこい…己が一門の立場になっていても…自惚れ慢心陶酔していない限り・内心では本物ではないと自覚しているから…それがバレない様に神経が張り詰めているはずです。
然るに心安らかな日々ではないはずです。
またその様を見破ることができる人は…その謙虚さを見失っていない心精神を持った人となります。
またそれだけに邪な輩に巻き込まれることもなく・被害者や加害者になることなく・平穏無事な人生が続くことにもなります。
何はともあれ…私が正しいが強く出る人ほど…自分の首を自分で絞めて己を苦しめることにも・墓穴を掘ることにもなるのです。
また己の思い思惑や感情を出して人に押し付けたがる意地っ張りで我が強い人がその自己満足が味わえても・本当の幸せを味わえるはずもありません。
また人の心はか弱いところ・誘惑に惑わされるところがありますから…持ち前の謙虚さを見失いためにも素朴に生きる必要があるのです。
然るに…思い感情を捨て…素朴謙虚にして生きることで・その衣食住に恵まれた地上の天国が事実にして味わえるのです。
然るに己に都合が悪いことになると否定反発したがる…はた迷惑な人になります。
それでも自分は正しいと思い込んでいますから・そのことに本人は全く気付いていません。
ところが自分の心に正直な人は…己の思い感情の過ちに気付き…不満が出る前に気付いて事無く済みます。
然るに謙虚な人にあたりますが、しかし殆どの人は自己主張をしたがります。
となると…謙虚な人ほど…この世人間界で生きずらい思いをしながら世間の片隅で心静かに生きることになります。
ということからして…世間で目立つ人ほど自己主張していることになります。
そして謙虚な人を押しのけ抑え込み邪魔だと片隅に追いやっているのです。
ちなみに何がしの優れた能力を持っている人となると…事の始まりは謙虚であっても…事がうまい具合に進みだすほどに自惚れ慢心となり…謙虚さは見せかけだけになり、内心では欲と見栄が大きく膨らんでいるようです。
だから結果的には世間に目立ち、更にめでられ羨まれ尊ばれる格好になって、その名をとどろかせる一門の人となるのです。
ところがどっこい…己が一門の立場になっていても…自惚れ慢心陶酔していない限り・内心では本物ではないと自覚しているから…それがバレない様に神経が張り詰めているはずです。
然るに心安らかな日々ではないはずです。
またその様を見破ることができる人は…その謙虚さを見失っていない心精神を持った人となります。
またそれだけに邪な輩に巻き込まれることもなく・被害者や加害者になることなく・平穏無事な人生が続くことにもなります。
何はともあれ…私が正しいが強く出る人ほど…自分の首を自分で絞めて己を苦しめることにも・墓穴を掘ることにもなるのです。
また己の思い思惑や感情を出して人に押し付けたがる意地っ張りで我が強い人がその自己満足が味わえても・本当の幸せを味わえるはずもありません。
また人の心はか弱いところ・誘惑に惑わされるところがありますから…持ち前の謙虚さを見失いためにも素朴に生きる必要があるのです。
然るに…思い感情を捨て…素朴謙虚にして生きることで・その衣食住に恵まれた地上の天国が事実にして味わえるのです。