孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自己縮小の必要性を自覚納得確信するだけでも善しとなります。

2016年03月12日 | Weblog
自らの自己縮小の実践が出来なければ、その苦と楽の喜怒哀楽&変化刺激快感快楽で生きることになります。

然るにこの世で生きている限り避けて通れないのが悲喜こもごもの対人関係・家族関係・人間関係があります。

然るにこの世の常識・伝統風習や道徳に巻き込まれて生きることになります。

だから見栄や世間体絡みの冠婚葬祭や伝統風習に巻き込まれ続けます。

また子供らの教育指導や学業成績の苦楽を味わうことになったり、また子供のいじめ関係や不登校や引きこもりや将来性に悩む親も多くいます。

また自らが事故や犯罪の加害者や被害者になったり、そんな人様の原因意識とその結果に巻き込まれて面倒なことにもなります。

また同じ屋根の下で暮らせども互いの意識の疎通がなくて虚しくもなるし、また否定反発されたり束縛制限されて自由=愛が失われます。

赤の他人同士が結ばれる結婚になれば、その夫婦仲の苦楽を味わいながらも、それが浮気不倫や離婚別居となって家族親族関係までがややっこしいことになるかもしれません。

書けばキリがありませんが、
然るに巷で起きている有事に翻弄されることが多くなります。

ところが前回に書いたように
自己縮小の極めからして食って寝て糞をしながらにして生きているだけの暇で退屈な日々が
それが事故犯罪や災害被害や何事も無いままにして、また不平不満や苦しみ悲しみ苦悩も無いままの=穏やかな精神安定にして健全健康に生きていた証であり、
それがこの世の衣食住に恵まれた=地上の天国を幸せにして味わっていることになるのです。

然るに何れの生き方を選ぶかは自らが選択することですが、それが自己縮小の選択を選んでも、簡単なようで簡単でもなくなるのが自力と自信の精神力ですが、ただ思い考えるだけでは自力自信にはなりません。

それでも自己縮小の実践の必要性を自覚納得確信できれば、その意識が原因からして矛盾偽善に気付くことが多くなり、
然るにゆっくりながらも自己縮小が進んでいく結果になるでしょう…