孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

矛盾偽善の人間関係からして=孤独の自由=自力自信の精神力が=人間の本命=となりました。

2016年03月01日 | Weblog
良い悪いで判断したことでそれが自己満足と不平不満になることからして素朴謙虚に生きる実践が言われる以前からの過疎地でもって孤独の自由を味わいながら素朴謙虚に生きることが今年で16年になります。

その中で自己満足になることをどんどん減らしていったことからして不平不満が出てこない、然るに食って寝て糞をしながらにして生きていることだけで十分になった経緯があります。

しかも健康で生きているからこそ生きているだけで十分になるのであって、それが頭痛耳鳴り目まいや内臓の調子が悪かったり足腰が痛むようなら、
それが憂鬱になったりイライラしたり生きていることが虚しくも苦痛にもなるのも当然だとわかりました。

そして同じ孤独の自由を味わっているホームレスやニート・山奥ニートやBライフ・サイレントテロなる形となれば自己縮小の極め付けにはなるが、一般的な普通とは違うから(誰もが簡単には真似できそうもないから)同じ自己縮小にしても中味が異なることもはっきりしてきました。

何はともあれ自己満足が麻薬同然であり、不平不満が諸悪の根源だと言うこともわかりましたから、先ずは自己満足の無い生き方の実践から始めるほうが賢明です。

それにはやはり見栄・世間体・プライドを捨てなければなりません。
その持っている過去を捨てるからこそ新たなことが仕組まれるのであって、それを後生大事に守っていれば過去を引きずったままになるのは当然です。

ちなみに心優しい夫や妻に恵まれて何の不自由も無い生活をしていれば捨て難しも当然ですが、
常に愚痴小言を言い合う仲だったり不機嫌な顔をするのが当たり前だったり自我を押し付け合う仲だったりすれば何の惜しげも無く捨てて孤独の自由になればいいのです。

それが結果に互いが持ちつ持たれつつ馴れ合いの他力依存から脱却できることになり…自力が身に付き生きる自信にもなって…お互いの為になるのは私の事例が証明しています。

もっとハッキリ言えば…孤独の自由にして生きるのが個人意識を持って生まれた人間の定めなのです。
それなのに寂しいから不安心配で怖いからと、また都合が良い時に便利だからと引っ付き合っている、その自力自信の無さが自分の首を絞めているのです。

然るに人が集まるところに出掛けたがったり、同じ仲間を作るために身近な人を誘ったり、また好きになった相手を情愛で誘惑したりしているのです。

だから同じ仲間なのに、また好き合った仲なのに、また同居しているのに、また夫婦なのに、何か事あるごとに我がままを通したり否定反発したり束縛制限したがるのです。

また生きて行く為の仕事や働きの中での人間関係が色々とあるでしょう…私も嫌と言うほど味わってきました。

そこで自分に自力自信があれば孤独の自由になれるのです。

そして自力自信のない者が他力依存で助け合うのです。
ところがいつまでも助け合うことは無理です…偽善だから心身が疲れるのです。

だから裏切り関係が成立しているのです。

ちなみに自己満足を求め続けて(私を巻き込んでの)我がままし放題だった私の妻は(貧乏くじを引いたとして)私が裏切ったことになっています。

しかしその妻のお蔭で現在があるし、その夫婦関係や子育て教育などで様々な見聞経験になりました。

そして矛盾偽善のあるこの世人間関係からして=孤独の自由=自力自信の精神力となるのが=人間の本命=となったのです。