孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

(孤独の自由)先陣先駆けた人がいたから、それが広まるのが道理にあります。

2016年03月03日 | Weblog
初期の南極観測隊が連れて戻れなかった南極犬が一頭だけ生き延びたのは仲間の共食いや死体を食べることで生き残ったことは間違いありません。

またアルプス山脈に旅客機が不時着に近い形で衝突遭難して十人前後の人が奇跡的に生き残れたのも、先に死んでいる遺体を誰かが食い始めたから残る者も真似をして生き延びることが出来たのも間違いありません。
然るにそれが嫌だとして遺体を食べなかった人は死んで、その遺体を皆に食べられたかもしれません。

ところで人間が死んでも、その遺体を犬畜生に食べられないように土の中に埋めるだけでよかったのに、
それではダメだと言い始めた占い師・魔術師・霊能者などの特別な者が出て来て、それらの言う通りのことを始めた者がいたから、それぞれの国や地域で異なる風習となって今日に至っています。

然るに大昔に大きな災いや疫病などが流行ったときや、また大工事・難工事を始める前に占い師・魔術師が人柱・人身御供・生け贄を差し出すことを言い出したからそれが広まったわけです。

だから超能力者が神懸かりと言われ崇め奉られたのも、誰かが=あんたは凄い=と言い出したことからして先駆け的に始まったからです。

然るに現在の国家社会・政治経済・教育指導や伝統風習や道徳観念や常識などの諸々も我先に先んじた者や私は正しいと主張堅持する者がいたことからして形作られたのです。

そしてその形に馴染めない者が世間の片隅に追いやられたり異端者や造反者や反逆者とされたり、
またそんな形をひっくり返したい者が現れて乱や維新や革命にもなりました。

然るにBライフ・サイレントテロなる形や山奥ニートと言われる形が始まっているのもその先覚者がいたからです。

ちなみに生涯独身を決め込んでいる者や離婚別居になっている人が増えているのも、自らが孤独の自由になりたいがためかもしれません。

ところが一昔前は離婚別居は恥だと言われて我慢辛抱する人が多かったのが、20~30年ほど前から向こう三軒両隣に離婚者がいる時代になっていますが、それも先陣を切り出した人が次々と増えたことからして恥が恥ではなくなり当たり前が如くになったのです。

とにかく書けばキリがありませんが、
個人の自由なくして生きていても死んだが同然の生き方に思えるような意識に変わり、国家社会・政治経済や人間関係に縛られることのない孤独の自由を求める人がどんどん増えてくるのは間違いありません。

然るに今は前兆的に先陣を切った者の氷山の一角が見えているだけですが、その底には大きな塊が隠れています。

しかもそれが表面に出てくるのに都合が良い状況環境・ネットワーク化になりつつありますから、これからもどんどん出てくることになるでしょう。

(家族葬):今の時代も先駆けた人がいたからです、だから新たな時代が始まるのも先駆け人からです。

2016年03月03日 | Weblog
昨日のことですが、新年度から縁が切れる予定になっている施設への米納入に地元に帰って娘孫や妻がいるところに立ち寄ると、先ほど甥が死んで病院から帰ったばかりだと悲しげで悪露悪露オロオロながら妻がいいました。

そこで本来なら葬儀法要に関わらない私ですが、たまたま地元に帰っていたのだから、仕組まれたと思い、そこで死に顔だけでも見て山に帰ることにしました。

そして家族親族が集まる中でお通や葬式には参列しないことをハッキリ言ってから帰宅しました。

然るに世間的・常識離れしたことを恥じることなく見栄張らずに世間体を思わずにしてしっかり伝えられました。

また甥本人も友達3人と私の過疎地に何度か来て自己縮小生活の話を聞いていましたから、その影響を受けたのか生前に家族葬でいいと前もって伝えていたのですが、妹が友達も呼べないのでは可哀想だからと、質素ながらも葬儀法要を行うことになりましたが、その甥の友達も私の影響を受けているから内内の葬儀で済ませることを常に言っている人たち3人ですから、弔いのお経をあげている最中にそっち抜きで山暮らしの話で盛り上がっていました。

然るに私がご縁あるごとに葬儀は無用と話していることが私の身近な人たちだけでなくその周りの人にも広く伝わっているから次第に家族葬で済ませると言う人が増えているのです。

だから先だって言う者・先覚者がいるから、それが世間に広まることにもなっているです。

ちなみに16年前に孤独の自由・自己縮小を初めたのも先駆けているのですが、今どきの若者も同じく孤独の自由を求める人が増えているのも宇宙の流れ・時代の流れなのです。

然るにこのブログは時代を先駆けているのです。

そして気付く者が静かにゆっくりと広まっているのです。

そして意識することでそれが現実化してくる仕組みがあるのも事実ですから、孤独の自由・自己縮小する者の集合意識からして更に世間に広がっていくのです。

とにかく特別意識の他力依存が強い人はそのままに惰性的な生き方になりますが、国家社会・政治経済・人間関係に関係なく、孤独の自由と自力で思うがままに生きることに目覚めた人ほど更なる生き様に変化していくのは間違いありません。

然るに孤独の自由を味わっているホームレスやニートやフリーターの意識も時と共に更に変化して、
然るに自己満足も不平不満も無くして、ただ「生きている」ことを味わえているだけで善しとなる意識の人も増えて行くことでしょう。