孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「知りたがる」「やりたがる」意識でもって多くの苦楽・裏表を味わい知ることが人間の役割使命になります。

2012年06月25日 | Weblog
「良い悪い」で判断する矛盾意識が原因から自己満足や不平不満になっていますが、その矛盾する意識を持っているからにはその裏と表を味わい知ることにもなっていますが、その中に自己拡大と自己縮小があります。
またそれが人力・自力を多く使う生活と他力を多く使う生き方になります。

だから他力を多く使う他力依存が自己拡大につながり、自力を多く使う生活が自己縮小につながっています。
その他力依存の自己拡大によって商業化され近代化されて都市化にもつながりますが、自力を多く使う必要がある状況の所は第一次産業・地元産業が多いだけにその自然界が多く残っています。
それだけに食糧難や政治経済が破綻しても「生き残る」ことができます。

その自己拡大もあれば自己縮小もあり、自力を使う場合と他力を多く使うこともあります。
だから都会があれば田舎もあり、便利なところと不便なところがあります。
そして田舎でいた人が都会に憧れて理想目的を掲げて行く事もあれば、反対に都会でいた人が自然の豊かな田舎の生活を求めて行く場合もありますし、快適便利な街中で暮らす事をやめて自力を多く使う田舎暮らしを始める人もいます。

すなわち自分が望めば自己拡大の裏も表も味わうことが出来るし、自己縮小を望めばその裏も表も味わうことになります。
そして他力依存の裏表や自力を使うことの裏表を不平不満と自己満足の苦と楽で味わうことになります。

と言うことは完全真理で説かれているように不完全意識の人間界の矛盾する裏表を自らが味わうために生かされ生きていることになります。
そして自己拡大の裏表を味わいそして自己縮小の裏表を味わうことで多くを学び知り気付き実感でもって味わったことになります。
そして他力を多く使う快適便利な自己拡大で生きることよりも自力を多く使う質素素朴の自己縮小で生きることが楽ちんな事を実感でもって悟ることにもなります。

しかし自己拡大を意識し続けてその自己拡大の裏表・苦楽しか味わっていない人には自己縮小の正味・中身を味わうことにはなりませんから、その自己拡大で生きるその苦楽ばかり味わうことになります。
そうなると「良い悪い」で判断する人間の矛盾意識の全てを丸取りし実感していない半端な片手落ちの意識の人間となるわけです。

そして自己満足と不平不満・不安心配・恐れや嫉妬仕返し意識ややけくその破壊意識を出して生きることが多くなります。
しかも快適便利な衣食住や趣味嗜好娯楽に恵まれている事や名声名誉肩書き・権威権力・財産を持っていることの自己満足・自惚れがありますから、それが人間のお手本が如くに思い、私は正しいを主張し顕示することになるのです。

しかもその自己拡大のお手本に憧れ敬い尊ぶ同じ特別意識の人がピラミッドが如くに存在していますから、その集合意識によって人間界が支配されている形にもなっています。
だから自由・平等・調和のない比較競争差別意識に満ちています。

私がそのピラミッドを支えていた自己拡大の意識から離れることになったのは(過疎地暮らしは)成り行き任せの必然ご縁で仕組まれたことですが、その成り行き任せのままの独自独歩の自力と自信の精神でもって生きることからして味わうことになったのが完全真理で言うところの「自己縮小」だったのです。 だから完全真理が先ではなくして成り行きからなったものです。

だから私の場合は戦後の物不足を味わい、次に高度経済成長期を味わい、その次に過疎地暮らしを味わうことになったのです。
それを形で言えば生まれながらにして「下」を味わい、そして流れのままに「上」を味わい、そしてまた「下」に戻ったのです。
そして昔の戦後の生活も味わい深かったし、高度経済成長期も変化刺激に満ちて味わい深かったし、現在の自力を多く使う単身生活の自由な暮らしぶりも十分に味わえています。

そんな中にも数多くの趣味嗜好娯楽を味わい、そして「見えない世界」全般を学び知り、精神世界・霊魂の世界にも関わってきましたし、自然界の極まれな現象やUFOなどの異次元現象を何度も見ています。
しかし今も食わず嫌い・苦手意識の「納豆」と「幽霊」を見たくない思いがありますが、それ以外は「知りたがる」「やりたがる」ことからして数多く味わうことができました。

だから実感でもって書く文書が多いわけです。
しかしこれ等を実感でもって味わっていない人には想像するしかありませんから、それが「信じるか否か」の形になるのです。
だから「知りたがる」「やりたがる」その意識でもって多くの裏表を味わい知ることが人間の役割使命を果たすことにつながるのです。
だから三次元界で生きている事の裏表を十分に味わえているとも言えるわけです。
しかし知りたがる・やりたがる中に選り好み選択したり忌み嫌っていることが多いと(否定反発することがあれば)全部を丸取りで味わえませんから、片手落ちのつまらない人生や空虚・虚しさが残る人生や死んだも同然の生き方にもなっていくのです。

だから宇宙・神・愛の仕組みのままに生きる自然体・成り行き任せにしている中にも、何でも知りたがる・やりたがる意識を持っている事から仕組まれて、その必然ご縁のあったことを学び知り味わうことにすれば、必然だけに無理もなく面倒くさくもなく、当たり前の如くに、それ一筋・一本やりに、真面目・真剣にして、それを十分に味わうことになります。