孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

<人間死んだらどうなるの>

2011年12月31日 | Weblog
この世に人間として生まれたその役割は「良い悪い」で判断するその矛盾・裏表を色々と味わいつくす事にありますから、誰もが不平不満とその自己満足の苦楽の繰り返しから自己拡大する事になり、その時代ごとに文化文明が進化発展してきました。
その苦楽の矛盾を味わったからこそ、その矛盾のない「あるがまま」の宇宙・神・愛の調和意識の素晴らしさを完全真理によって知ることになり、その矛盾のない調和意識・完全意識になることが人間の使命だと知りました。

ところが人間としてこの世で生きている限り「良い悪い」で判断することから抜け出せないことも知りましたから、この世で生きている限りにおいてはやはりこの世の矛盾を味わうことになりますが、それは人間として生きているからこそ味わえるアリガタイことであって、死して人間の肉体・姿形の無いあの世に行けば味わうことが出来なくなります。

例えば肉体が無ければその肉体美・スタイルが良いとか悪いとかで判断することもありません。
また髪形や肌のことや健康状態などを良い悪いで判断することにもなりません。
食べることも衣装を着ることもありませんし、天気や気候や季節などの自然界の影響も受けませんから(味わえませんから)、それらを良い悪いで判断することにもなりません。
物質金銭も必要ないから生産や収入の多い少ないの判断もありません。
この世の形である医科学や芸術技術も各種免許もあの世にはありませんからそれらを学ぶ必要もありません。
事故や怪我や病気もありません。
また趣味や嗜好や娯楽もありません。
忌み嫌う形もありません。
異性関係・同姓関係・恋愛関係・セックスなどの人間関係・家族血縁関係もありませんから不倫浮気や裏切り関係もありません。
・・・漫画「ゲゲゲの鬼太郎」で歌われているように「時間も勉強もなんにもない!」意識・命だけの世界です。

と言うことからして人間の時は日々忙しく過ごしていたのにあの世では暇で退屈することでしょう。
それでも人間の時の意識記憶は残っていますから、その思いだけで宇宙時間を過ごすことになります。
しかも自己満足は殆ど記憶から消えていますが、その分だけ不平不満・後悔未練は数多く根強く残っていますから、そればかりが多く蘇ってきて、時と次第では地獄に思えるかもしれません。

どうやら、この世にあった形が消えて何にもない意識だけの世界において、何を成すこともなく、観掛けは平然と、それぞれがその意識・命から出ている意識エネルギーを「感じあう」「感じ取る」ことになるようですが、自殺した霊や怨念の強い霊は成仏していませんから、三次元の霊のままに(怨念を持ったままに)永遠に漂うようです。
私が若い頃に丹波哲郎の映画「人間死んだらどうなるの」を観ましたが・・・成仏できた霊が明るいところで何を成すこともなく平然と穏やかに過ごしていることが描かれ、また自殺したり怨念・執着心から成仏できなかった霊が暗い地底の地獄のようなところから這い上がろうとうごめいているのが描かれていました。

ところが、宇宙・神の必然から仕組まれて起こる地球の進化と人間意識の進化によって三次元界と死して後の四次元界が無くなりますから、その宇宙の流れに乗れなかった意識・命は他の銀河惑星で地球のような人類の進化が始まるまで人間の意識・命に転生することは無いと言われています。
そうなると人間だった頃の思いだけで宇宙の時を過ごしますから、それを人間時間にすれば何百年何千年何万年になることでしょう。

と言うことからして自己縮小が必然になるのですが、そこまでの理解力や自信や自力がなくて今は無理ならば(逆も真なりで)、完全真理を学び知りながらも同時にこの世の幾多の矛盾を意識して味わい尽くすことです。
その矛盾を味わい尽くすことと完全真理の真価を知ることからして(裏表を知ることで)自ずと自己縮小の実践の必要性を知ることにもなるでしょう。