孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間の役割使命に「選ばれし者」が完全真理を学び知りその実践をしている私達とも言えます。

2011年12月07日 | Weblog
このブログに訪れる人達すべてが完全真理を学び知り納得理解できるわけではありません。
まして実践意識にまで至る人となると更に限られます。

だから完全真理の講演会もめっきり減っていますし、それに集る仲間内が一向に増えていないわけでもあります。
まして友人同士や恋人同士や夫婦が共に完全真理に触れ合い実践している事例は先ずありません。
だから殆どの人が自前の独自独歩から始まったはずです。

そして(過去性を含めて)精神的な学びやその体験経験の自力とその自信とその意識力と実践力を持っていなければ(不信感や否定反発心から)完全真理を素直に理解できるはずもありません。
まして特別が好きな人がその反対の自己縮小を説く完全真理に魅せられるはずもありません。
だから名誉名声の肩書きや権威権力を欲しがる人が完全真理に引き寄せられることは先ずありません。

だから皆さんが必然ご縁で完全真理を学び知る事になったことは、自らの意識で選んで起きた事でもありますが、すべてはひとつの意識の世界だけに、その大元の宇宙・神の必然ご縁で仕組まれた「選ばれし者」でもあるのです。
・・・ただしそれを特別な「選民」意識になると不完全意識になります。

だから此れまでに、この世の不完全な形やその人間関係の矛盾にいい知れぬ違和感を感じていたり、その人間関係で内心的・精神的に気疲れ苦労していた人が多いとも思います。
また過去性やの潜在意識や持ち前の霊感・感性や先見性からして、何かしらの「捜し物」(自分探し、天職探し、この世探し、あの世探し)をしていたとも思われます。
・・・そうでなければ「良い悪い」で判断しない完全真理(知名度の低い形)に引き寄せられ、また魅せられるはずもないからです。

何たって国民皆が自己拡大を目指している中でその反対の自己縮小の実践を意識するのですから、その自己縮小の本質を十分に見極めた理解力・精神力・自力・自信が無ければ(到底ながら)実践意識になれるはずもありません。
・・・だから「選ばれし者」と書いているのです。

しかし完全真理は信仰宗教とは違っていますから、完全真理やその耕栄さんやファバラエネルギーを「信じて」いるだけでは他力依存ですから確かな実践になるはずもありません。
だから信じるのではなくて、何故に「自己縮小」が必要なのか!その<本質>を学び知り自覚することが先決になります。
しかも自己縮小に限りはありませんから(不完全意識を持っている限り)その自己縮小が止まることはありません。

だから前もって思い考えることよりも必然ご縁の自然体の成り行き任せに生きることが必要になるのです。
そして自己縮小が進むほどにその本質の「あるがまま」の調和意識の大切さを自覚することになります。
すなわち特別を目指していたことで(自己拡大で)味わったその不完全意識に気付くことが人間の「役割」であり、この世で初めての最後となる完全真理の実践意識で学び知った宇宙・神・愛の調和意識を自覚悟ることが<使命>となるのです。