孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

完全真理で言われるところの「完全」を解りやすく説明すると・・・

2009年12月15日 | Weblog
完全真理で言われるところの「完全」を解りやすく説明すると・・・
例えば一本のリンゴの木が命を持って生まれ育ち、やがて実をつけて食べられるようになると、それがリンゴの木の使命・役割を果たしたことですから・・・ 宇宙・神から与えられた命の役割を果たしているそのリンゴの木の命は完全です。

そして、その内の一個のリンゴを二つに切っても、その二つのリンゴはリンゴです。
それを一つはリンゴで片方のリンゴを柿だと思えば、その人の意識は完全ではなくて不完全となります。
だから「原因と結果」は同じですから・・・リンゴの形がどんなに崩れてもリンゴはリンゴです・・・だから<完全>といえるのです。

また、原因のガラスがコップに形を成せば、それは「ガラス」で出来ているから結果はガラスのコップになります・・・それを省略して「ガラスコップ」と簡単に言っているだけです。
また、そのガラスコップが壊れても・・・コップと言う形が無くなっただけで、元の原因であるガラスは無くなっていませんから、いつでも再び再生することが来ます。
すなわち・・・コップの形は消えても原因のガラスに「命」があるから・・・再び「ガラスコップ」に戻ることも出来るのです。

だから・・・人間と言う結果の姿形が滅びても、その原因である「命」は永遠に続くのです。
しかも(万物の)命には意識があります。
その命と意識は離れていなくて「ひとつ」ですが、その命・意識には宇宙・神・愛と言われる全知全能のエネルギーの授受があることから、その自らの出力で動くことも出来るし、その命・意識が終わることなく永遠に続くのです。

だから・・・★すべての宇宙・万物は・・・原因(命・意識)の結果(姿形)なのです。
だから・・・その結果だけを見ずに・・・★その結果の元となる「原因」に気付くことを完全真理で説かれているのです。

その原因(命・意識)を持って人間として生まれた結果のその集まりが私達人間社会なのですが、その私達人間をそれぞれの頭の中で想像判断して、それを自分の都合が良いようにするために「良いと悪い」で分離して「差」を付けていることからして・・・「不完全」な意識と言われているのです。
・・・リンゴはリンゴなのに、人は人なのに・・・その姿形を見て(思い想像して)それを「良い悪い・優劣・損得」で分離判断して、自分に都合が良いほうを選んでその「良いとこ取り」をしたがっていることを・・・自己を中心に考えている「個人意識」であり、同じひとつのものを良い悪いで分離判断している「不完全意識」と言われているのです。
・・・そして「思い想像」は頭の中にあることですから事実・実在ではありません、だから思い想像は「非実在」になるのです。

そこで何度も書いているように・・・不完全意識の非実在で生きている人間界・この世に真実・事実は見当たらないのです。
皆の意識・原因が不完全で非実在なのに・・・何で<完全な結果>を出すことが出来るのでしょうか・・・ だから皆が寄り集まって結果を出そうとしても、良いや悪いと思う者同士の勢力権力や多数決や中途半端な妥協による解決策しかないことから・・・(原因と結果は同じだから)その結果の形が以前と少し違うだけで終わり(三角が四角になった程度)・・・また似たような問題が再発して同じことが繰り返されている格好になるのです。

だから・・・この世の不完全・矛盾に(政治経済・医科学・宗教・常識・伝統風習・道徳)束縛支配されない生き方、過去や未来に拘り未練執着しない生き方の実践によって・・・(まさかの有事に見舞われる前に)・・・己の肉体が破壊破滅する前に・・・「意識改革」して、次の新たな地球の命・意識として迎えられる「完全意識」になることしか残っていないのです。

たとえそれがまだ未熟であっても・・・完全真理を理解・納得できている命・意識であれば・・・原因と結果は離れていませんから・・・可能性がゼロではありません。
・・・そして「ファバラ」の完全意識エネルギーがどんどん高まっていることからすれば・・・今後も可能性が高くなるでしょう・・・