孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間の役割使命として・・・アダムやイブがリンゴを食べる必然があったようです・・・

2009年12月18日 | Weblog
どうやら・・・アダムとイブがリンゴを食べる・・・必然・必要があったようです・・・
それは人間の「役割・使命」として・・・今の不完全意識の人間が改めて「完全」を知るため・・・だったようです。

・・・前書きが長いですが・・・
相当以前から自然学者や環境保護活動している人らから酸性雨による酸性化現象や地球温暖化が言われていたが、やっとのことで地球温暖化対策が始まったばかりですが・・・それでも経済優先で取り組んでいる以上は言い訳程度で終わりますから・・・温暖化の影響がもっと深刻になってから慌てても・・・もう如何しようもない後の祭りになります。

今年の10月頃の完全真理の講演会録音テープで始めて知ったのですが・・・
活用するのは・・・最初から終わりまで使い切る・・・すると成仏することになる。
利用するのは・・・途中まで使って不用になれば捨てるから・・・殺生になる・・・すなわち「良いとこ取り」の切り捨て・使い捨てになる。
まさしく今の人間関係・社会関係を映し出しています。

そこで私の自慢話になりますが・・・
リサイクルで購入した3000円の二層式洗濯機が排水できなくなったときに、排水弁に針金をつなぎ合わせてから手動で引っ張りあげて排水できるようにして、此れまで約9年間使用していますがまだまだ活用できそうです。
同じく9年目になる電気オープントースターも毎日使っていますが、内側はサビで熱効率が悪いのでアルミ箔を敷き詰めて使っています・・・他にもありますが省略します。

15万円で買い取った四輪駆動のハコバンに乗っていますが・・・荷物が無いときは殆ど中古のオートバイで移動していますが、移動中に雨や風があれば・・・車のありがたさが味わえます。 また凍えるようなときにも防寒対策して出来る限りオートバイを使用しているだけに車の中の温かさがありがいことになります。
そのオートバイがパンクして動かなくなると・・・(不満に思うのではなくて)そのオートバイのありがたさを知ります。
そして山間過疎地だけに・・・車両の使えない積雪の時に此れまで3時間以上何度か歩いたことがありますが、それが苦になるどころか新雪の雪道を歩くことを楽しんでいます。
それだけに・・・我が身の健康を喜んでいますし、健康の大切さやありがたさが実感できます。

ここ半年ぐらい肉牛の餌やりのバイトをしていますが・・・一日二回の餌やりで正味3時間ですが、二交代で15日働き5万円以上の収入になりますが・・・体を使うだけの単純作業で、しかも元手いらずで丸儲けになります。
それを(過去)社長と呼ばれていた頃のカッコよい働き方と比べると相当見劣りがするようですが・・・さにあらず、気疲れしない単純作業の良さが理解できましたから、気苦労の多い過去の働き方に二度と戻りたくないのが今の心境なのです。

また過去の贅沢三昧の時よりも今の方が何でも美味しく頂けて、質素でも食べることに喜びや楽しさがあるのです。
すなわち生老病死・喜怒哀楽・趣味思考娯楽を意識していなければ・・・当たり前の「食べる」ことが楽しい事になるのです。
また人様から頂くことの喜び感謝もぜんぜん違ってきました。

今はそんな私ですが・・・過去は感謝の無い贅沢三昧をしていただけに・・・完全真理で言われることが実感で素直に判ることが出来るのです。
すなわち此れまでの生き方を変えて新たな生き方を実践したからこそ、その過去の生き方を実感で振り返ることが出来るのです。

・・・そこで本題になりますが・・・
生まれ育つ苦労をしながら、老いて苦労、病で苦労、そして死ぬ時も苦労の・・・その苦の連続である「生老病死」が何故に人間にあるのかが理解できたのです。
それは・・・人間として生きて苦労していれば・・・それだからこそ・・・その「苦労も無く」生きていられることが・・・「ありがたい」ことになり、喜び感謝になるからです。

すなわち「今を生きている」ことのありがたさを知るために、その反対の苦労するという矛盾になっているのです。
すなわち・・・今まで知らなかったことを「知る」ため・・・だったのです。

だから有事による喜怒哀楽や生老病死を味わっているのです・・・だからその有事にこだわり未練執着していれば更に長く止まることになり・・・(喜び感謝を忘れて)不平不満・不安心配・恐怖や嫉妬や仕返し報復・・・などの苦・苦悩が長く続くことになるのです。

そこでどうやら・・・表を知って尚裏も知る・・・その「裏表」矛盾を知る必要が人間に課せられていたようです。
すなわち(完全真理で言われる)不完全を知ってのち、完全を知る必要があったのです。
・・・先ほど書いたように・・・苦を知って楽を知る・・・必要があったのです。
すなわち元から完全意識・神意識であれば(裏が無いから)不完全を知ることが出来ないからです。

例えば・・・地獄(不完全)を知ったものが天国(完全)を味わえれば、その天国の幸せ・喜び・楽しさが意識に深く残りますが・・・元の始まりから天国に居続けていれば地獄を味わい知ることが出来ません。 すなわち、天国と言われる幸せ喜び楽しさが普通の当たり前ですから・・・それ「ひとつ」しか知らないのであれば片手落ちに思えたことから・・・
(光や神と言われる次元界から)地球の人間にだけ不完全意識・善悪で判断することを教えた(授け与えた)・・・と思われます。
どうやら昔話の・・・アダムとイブがリンゴを食べる・・・その必然・必要があったようです。

そして「最初で最後となる」有史以来の完全真理によって・・・今まで不完全だった人間が元の完全な神意識に戻ることになり(役割使命を果たすことになり)・・・不完全を知った完全意識・神意識の「命・意識」が宇宙にはじめて存在・実在することになるのです。
・・・ゆえに・・・★新たな宇宙が始まる「宇宙維新」とも言われているのです・・・

だから特別に無理して・・・苦を買うことでもなっかたのです・・・「あるがまま」に生きて楽しんでいればそれでよかったのです。
だから今の位置・居場所・状況で苦しむことよりも、まして病気で苦しんだり死を目前にして苦しむことより・・・早く意識変わりをして苦労・苦しみを味わうことのない(喜怒哀楽や生老病死を伴わない)普通意識(あるがまま)の自己縮小に向けた実践をすることです。

それを・・・知らないでいると・・・当然ながら「知らない」で終わるが・・・
新たなこと(完全)を知ることによって有史以来の完全真理を学び知ることになり、その今までの不完全な生き方に気付き、その悟り・確信でもって悔い改めることが出来るのです。
・・・リンゴを食べて眠り続けていたものがやっと目覚める時が来た・・・ようなものです・・・
言い換えれば・・・頭の中で思い想像する非実在の白昼夢から目覚めて・・・実在で生きる始まりが来るのです。