孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

結果を予測・期待しない、求めない、気にしない、「あるがまま」に生きる自己縮小

2009年09月25日 | Weblog
この世は・・・「原因」が無ければ絶対に「結果」は出ません。
すなわち結果が出ると言うことは・・・その結果の見えない裏側に原因が実在していることになります。
そうすると、見えない「原因が実在」するものになり、当然ながら結果はその原因の産物・副産物ですから、その原因が変わらない限り結果・産物を変えることは出来ません。

★その<原因>が・・・宇宙・万物がもっている・・・神や愛とも言われる「意識」であり「命」と言われるものであり、その意識・命には生命力・エネルギーが出ています。 それを全知全能の愛や神の意識エネルギー・常温核融合エネルギー・宇宙エネルギーとも言いますが、概ね「意識エネルギー」と表しています。

ところがこの世はどうでしょう・・・結果がすべての結果主義の世界になっていますから(良い悪いで判断しているから)、今現れている結果を原因にして(現れた結果を原因にして探り見て)判断し善処・対処したがります。
だから時代が幾度と無く進化しても大元の原因・意識はまったく変わらないから・・・昔と形は変わっても不自由・不平等の差別や戦争が同じように繰り返されて絶えないのです。

世間体や見栄を気にするのも結果を気にしているからです。
衣食住や名誉名声・権威権力を持ちたがるのも、その結果を重視しているからです。
成績・業績の結果を出して残したがるのも、その結果を重視しているからです。
また趣味嗜好娯楽も結果を求めていると比較競争・差別することになります。
すなわち喜怒哀楽や生老病死の(矛盾や差のある)結果を気にする生き方になります。

その「結果」を気にしない生き方が自己縮小につながりますが、反対に結果を気にしていれば・・・その結果が良かれ悪しかれ・・・良いとこ取りの自己拡大で生きている事になります。
すなわち「良い悪い」で判断して、自分に都合が悪いことを排除したがり、自分に都合が良いことだけの「良いとこ取り」をしている生き方を自己拡大と言えます。

そして自己拡大で生きていると実在・事実の「価値」(あるがまま)ではなくて己の価値観で判断していますから、そこに差が出てきて一律一定ではなくなり、多かったり少なかったり・大きかったり小さかったり・上下・左右などと良い悪いの裏表・矛盾のある判断・価値観によって、平坦ではない山や谷のある喜怒哀楽・生老病死・艱難辛苦・波乱万丈の結果を選んだ生き方になりますから、日々忙しく動き回り落ち着いた生活・安定した生活になる筈もありません。
だから「今」に満足することも無く、先ほどのような「結果」を気にした生き方で得られる単なる自己満足の結果を自慢して(私は正しい結果を出したと)主張・顕示することを生き甲斐・支えにしなければ・・・「生きて」いくことさえもままなりません。

しかも、怪我したり病気になるのも意識が原因だと思わないから、その病気や怪我を自力の意識力・生命力で治すことより、良いとこ取りした不完全な科学医学の他力で治したがりますから、いつまでたっても元の原因・意識に気付き反省することは出来ません。
さらに、他力で思うような結果が出なければ不平不満になったり、もっと早く大きな結果が出るものを捜し求めることにもなります。

また、事実として現れた結果であっても、それはもう過去のことですから、記憶・記録に残っていても非実在になります。
また、その結果に拘っていると未練執着になり非実在の過去や未来を背負った重苦しい生き方になりますが、非実在の結果・過去を気にしなくなれば見栄や世間体やしがらみ等が気にならなくなり、心軽やか・身軽な気分で気長・気楽に生きることが出来ます。

ところが比較競争・差別が原因の自己拡大で生きることが人間として「正しい」生き方と思っているから、不自由不平等の差別や人殺し戦争が絶えないばかりか、自らの生活が束縛制限されて重苦しく窮屈な形や不信感の裏切り関係や裏表の矛盾関係で生きることになりますから、喜怒哀楽・生老病死や裏切りの結果や矛盾に悩み迷う苦悩の生き方になって楽しいはずはありません。
せいぜい自己満足したり、それを主張や顕示するのが精一杯な不自由・不平等・差別の生き方になることでしょう・・・