「欲」を持っていると色んな問題に巻き込まれやすくなります。
例えば、嘘話しに騙されて苦痛・苦汁を味わうのも、金銭物質の詐欺で損をするのも、何らかの欲な心が原因にあります。
だから特別な秘宝・埋蔵・宝探しで騙されるのも、儲け話の融資や投資で騙されるのも、自分が得をしたい欲があったからです。
また、お金に困っている人を助ける思いから低金利や無金利で金を貸して結果的に損をすることになるのも・・・善行・良いことをすれば何かの形で見返りがあると欲張り期待していたり、人助け・救世主に思いたがる欲や善人ぶって己の野心・野望を叶えたい欲が潜んでいたりするからです。
また、医者や薬で何らかの被害に遭うのも、苦痛を和らげて欲しい欲や早く治してもらいたい欲が絡んでのことです。
また、信仰や宗教や神頼みで騙され損をするのも、何らかの思惑・望み・野望の欲を持っていたからです。
そして欲を持っていると、騙される心配から「不信感」を持つことにもなります。
しかも自分の知らない「見えない世界」のことになると更に不信感が強くなりますから、実在する神やその真理の話はもとより、UFO目撃や異次元現象・奇跡現象などの話を反発否定したがる人がいます。
自分が知らないだけなのかもしれないのだから(反発否定することでもないのに)、ところが常日頃から人に騙される心配をしていることからか(親子家族・友人知人の話であっても)自分が知らないことは不信感を持ったり反発否定したがるのです。
・・・自分の知らないことを認めたら・・・知っている相手が優位に思われ、知らない自分が劣る立場に思い、自分のプライドを損って損をするかのように思うのかもしれませんが・・・
完全真理で言われる良い悪いで判断して自分に都合が良い「良いとこ取り」をする<欲>が少なくなるほど・・・鵜呑み丸呑みの自己暗示他者暗示や洗脳などで惑わされることもなくなり、また自らが人を惑わすことも無く、信頼・安心安全の安定した生き方が出来るようになります。
言い換えれば・・・欲が多いから不安心配・怒り・苦悩・苦汁を味わう生き方が続くのです。
それを損得で言い換えれば・・・欲を出して得をしているのではなくて、(欲に目がくらみ)「損」をしていることにまったく気付かないでいて、その事実をまったく知らないでいるのです。
また、欲が大きいほど喜びも大きくなければ気に入りません。
そればかりではありません、当たり前の中の小さな喜びが喜びでは無くなり、特別な差のある大きな喜びを探し追い求めることにもなり、それが叶わないと不平不満の原因にもなります。
反対に欲張ることも無く、常日頃の小さな喜びを確かに味わっていればそれで十分満足していますから、それ以上の大きな喜びを無理してまで欲しがり捜し求め・欲張らなくなりますから、その分だけ無理の無い気軽な生き方で十分満足した生活になります。
だから無駄の無い質素倹約なエコ生活を強調したり特別に目指さなくても元からその生活が当たり前に実践されていますし、比較競争して「隣の芝生」をうらやむことも無く、また威張ることも蔑むことも無く、浮き沈みも無く、平々凡々と安らかに暮らしていけます。
それを損得で言えば・・・楽をして得(喜び満足)をしていることになるのですが・・・それを否定的に捉えているのは「事実・真実」を知らないからです。
そして、喜び・満足に大きい小さいはありません。 喜びは喜びであり満足は満足にかわりはありません。
ところが大きな喜び満足に思えるのは自分の思い・価値観が入っているからです。
例えば難関を切り抜けよく頑張ったとか、艱難辛苦に耐えたとか、人並み以上のことをしたという自惚れ慢心が価値観を高めて大きな値打ち評価にして差を付けているのであって、それは特別な自惚れの喜び満足であり、他と差を付けたがる差別意識から出ていることにもなり、その価値観や差を自己主張・自己顕示・誇示することにもなりますから、心穏やかな喜びや安らぎの満足にはならずして、常に欲張り続け苦労し続けることにもなります。
しかも世間では苦労をしているからこそ大きな喜びがあると言われているから、(その苦労を買ってでも)大きな苦労をして得る特別な差のある価値観の高い喜び満足を得ようと無理していますから・・・どうしても日常生活の中にある当たり前の小さな喜び満足に気付けないでいるのです。
★その結果★ たとえ名誉名声権威権力や財を持ったとしても(この世で名を残しても)・・・人間の肉体が滅びて「永遠の命・意識」が実在する(あの世と言われる)意識の世界・意識次元へ行ったときに・・・人間としての優しさ思いやり感謝の愛の心を学んでいなければ・・・私が真坂こんなことになるとは、何で私が・・・と、しきりに後悔することになりますが、もう手遅れですからどうしょうもありませんことを付け加えておきます。
また生活に必要な収入を得る仕事も価値観・差は無く自由平等ですから、高度な仕事であれ単純な仕事であれ、違いはあっても仕事(役割)は仕事なのですから、自分に与えられた仕事・役割を果たしていればそれで十分なのです。
ところが、その仕事に(欲から出た)価値観や差を付けることから仕事に差が表れ、その仕事の喜び満足にも差が表れ出て(自己拡大に進み)、それが比較競争の差別(不自由・不平等)不平不満の原因にもなっているのです。
だから、自分に似合った仕事・役割であってもなくても、また誰にでも出来そうな単純な作業の繰り返しであってもなくても、その仕事の価値観や差を持たなければ何も無理することも無くなり、自分の今の役割・仕事をすることで生活に必要な「収入が得られる喜び」を味わえるのです。 そして自分の収入に見合った生活ぶりを心から喜び楽しんでいれば欲(思惑・理想)が無くなり(自己縮小され)、優しさ思いやり感謝の愛の意識に目覚める時が来ると思います。
例えば、嘘話しに騙されて苦痛・苦汁を味わうのも、金銭物質の詐欺で損をするのも、何らかの欲な心が原因にあります。
だから特別な秘宝・埋蔵・宝探しで騙されるのも、儲け話の融資や投資で騙されるのも、自分が得をしたい欲があったからです。
また、お金に困っている人を助ける思いから低金利や無金利で金を貸して結果的に損をすることになるのも・・・善行・良いことをすれば何かの形で見返りがあると欲張り期待していたり、人助け・救世主に思いたがる欲や善人ぶって己の野心・野望を叶えたい欲が潜んでいたりするからです。
また、医者や薬で何らかの被害に遭うのも、苦痛を和らげて欲しい欲や早く治してもらいたい欲が絡んでのことです。
また、信仰や宗教や神頼みで騙され損をするのも、何らかの思惑・望み・野望の欲を持っていたからです。
そして欲を持っていると、騙される心配から「不信感」を持つことにもなります。
しかも自分の知らない「見えない世界」のことになると更に不信感が強くなりますから、実在する神やその真理の話はもとより、UFO目撃や異次元現象・奇跡現象などの話を反発否定したがる人がいます。
自分が知らないだけなのかもしれないのだから(反発否定することでもないのに)、ところが常日頃から人に騙される心配をしていることからか(親子家族・友人知人の話であっても)自分が知らないことは不信感を持ったり反発否定したがるのです。
・・・自分の知らないことを認めたら・・・知っている相手が優位に思われ、知らない自分が劣る立場に思い、自分のプライドを損って損をするかのように思うのかもしれませんが・・・
完全真理で言われる良い悪いで判断して自分に都合が良い「良いとこ取り」をする<欲>が少なくなるほど・・・鵜呑み丸呑みの自己暗示他者暗示や洗脳などで惑わされることもなくなり、また自らが人を惑わすことも無く、信頼・安心安全の安定した生き方が出来るようになります。
言い換えれば・・・欲が多いから不安心配・怒り・苦悩・苦汁を味わう生き方が続くのです。
それを損得で言い換えれば・・・欲を出して得をしているのではなくて、(欲に目がくらみ)「損」をしていることにまったく気付かないでいて、その事実をまったく知らないでいるのです。
また、欲が大きいほど喜びも大きくなければ気に入りません。
そればかりではありません、当たり前の中の小さな喜びが喜びでは無くなり、特別な差のある大きな喜びを探し追い求めることにもなり、それが叶わないと不平不満の原因にもなります。
反対に欲張ることも無く、常日頃の小さな喜びを確かに味わっていればそれで十分満足していますから、それ以上の大きな喜びを無理してまで欲しがり捜し求め・欲張らなくなりますから、その分だけ無理の無い気軽な生き方で十分満足した生活になります。
だから無駄の無い質素倹約なエコ生活を強調したり特別に目指さなくても元からその生活が当たり前に実践されていますし、比較競争して「隣の芝生」をうらやむことも無く、また威張ることも蔑むことも無く、浮き沈みも無く、平々凡々と安らかに暮らしていけます。
それを損得で言えば・・・楽をして得(喜び満足)をしていることになるのですが・・・それを否定的に捉えているのは「事実・真実」を知らないからです。
そして、喜び・満足に大きい小さいはありません。 喜びは喜びであり満足は満足にかわりはありません。
ところが大きな喜び満足に思えるのは自分の思い・価値観が入っているからです。
例えば難関を切り抜けよく頑張ったとか、艱難辛苦に耐えたとか、人並み以上のことをしたという自惚れ慢心が価値観を高めて大きな値打ち評価にして差を付けているのであって、それは特別な自惚れの喜び満足であり、他と差を付けたがる差別意識から出ていることにもなり、その価値観や差を自己主張・自己顕示・誇示することにもなりますから、心穏やかな喜びや安らぎの満足にはならずして、常に欲張り続け苦労し続けることにもなります。
しかも世間では苦労をしているからこそ大きな喜びがあると言われているから、(その苦労を買ってでも)大きな苦労をして得る特別な差のある価値観の高い喜び満足を得ようと無理していますから・・・どうしても日常生活の中にある当たり前の小さな喜び満足に気付けないでいるのです。
★その結果★ たとえ名誉名声権威権力や財を持ったとしても(この世で名を残しても)・・・人間の肉体が滅びて「永遠の命・意識」が実在する(あの世と言われる)意識の世界・意識次元へ行ったときに・・・人間としての優しさ思いやり感謝の愛の心を学んでいなければ・・・私が真坂こんなことになるとは、何で私が・・・と、しきりに後悔することになりますが、もう手遅れですからどうしょうもありませんことを付け加えておきます。
また生活に必要な収入を得る仕事も価値観・差は無く自由平等ですから、高度な仕事であれ単純な仕事であれ、違いはあっても仕事(役割)は仕事なのですから、自分に与えられた仕事・役割を果たしていればそれで十分なのです。
ところが、その仕事に(欲から出た)価値観や差を付けることから仕事に差が表れ、その仕事の喜び満足にも差が表れ出て(自己拡大に進み)、それが比較競争の差別(不自由・不平等)不平不満の原因にもなっているのです。
だから、自分に似合った仕事・役割であってもなくても、また誰にでも出来そうな単純な作業の繰り返しであってもなくても、その仕事の価値観や差を持たなければ何も無理することも無くなり、自分の今の役割・仕事をすることで生活に必要な「収入が得られる喜び」を味わえるのです。 そして自分の収入に見合った生活ぶりを心から喜び楽しんでいれば欲(思惑・理想)が無くなり(自己縮小され)、優しさ思いやり感謝の愛の意識に目覚める時が来ると思います。