島田荘司氏の「火刑都市」(86年講談社刊・89年文庫化)は、
1982(昭和57)年の12月から一年間に及んだ都内の連続放火事件と、
それに絡んだ殺人事件の謎を追う犯罪捜査小説である。
また、明治初期のごく短い間に出現した水と緑の田園都市「東亰」と
80年代の東京を対比させた都市小説にもなっている。
連載を始める前に、この小説を再読して、ひとつ再発見があった。
それは連続放火犯の菱山源一が「錦糸町育ち」だったことである。
初読の時は仙台に住む大学生だったので、東京の地理に疎く、見落としていた
この設定は、島田氏の都市論に照らすと、なかなか大きな意味を持つ。
島田都市論には「都市は川を挟み、光を西に、闇を東に抱く」という概念があるからだ。
島田氏はブダペストやプラハ、ウィーン、シティとイーストエンドを抱えるロンドン
といった欧州の都市を、そして、隅田川が流れる「江戸」を例に挙げている(注1)。
一方で、一連の事件の捜査に当たる主人公の中村吉造刑事は、
文京区小石川の旧・大塚仲町に父の代から住む「生粋の江戸っ子」である。
「山の手育ち」を自認し、小石川界隈が「下町」扱いされ、中野や荻窪、吉祥寺といった
かつての郊外が「山の手」と呼ばれる風潮に忸怩たる思いを抱いている(注2)。
「膨張する東京への慨嘆」(注3)と言い換えてもよいだろう。
この手の「江戸っ子」が「川向こう」に対し、無意識にどんな思いを抱いているか、
推して知るべしだろう。そう考えると、この小説における刑事対放火犯の構図は、
隅田川を挟んだ「光と闇の対決」にも置き換えられる。
菱山源一が育った墨田区錦糸3丁目は、JR総武線錦糸町駅の北口そばの一角である。
現在の墨田区錦糸3丁目。アルカキットやオリナスといったショッピングモールや
錦糸公園・墨田区総合体育館が近くにある商業地域である。
東に横十間川、西に大横川(現在は一部を埋め立て親水公園に)が流れ、
墨田・江東の水路が身近にある。「筏を作って遊んだ」のも無理はない(注4)。
また、この地区を東西に走る通称「北斎通り」は、かつて錦糸堀と呼ばれた掘割があり、
怪談「置いてけ堀」ゆかりの地とも伝えられる。
「錦糸堀」の名を伝える錦糸町駅南口近くの錦糸堀公園。
「置いてけ堀はカッパのいたずら」という伝説に基づいたカッパ像がある。
墨田・江東の水路への愛着と畏怖を育むには十分な環境と言える。
一方で、これらの水路を現代の我々が見ると、その名称に違和感を覚える。
地図上をタテに、南北に流れるのに、なぜ「横」十間川か? なぜ大「横」川か?
錦糸町界隈から望む現在の横十間川。墨田区と江東区の境界線の一部でもある。
川の上をJR総武線が走り、副都心のビル・マンションから東京スカイツリーがのぞく。
これは、地図上の東西南北ではなく、西の江戸城の視点から付けた名称だからである。
つまり、江戸城から見て「ヨコに流れる」という意味を持つ。
菱山少年がこれらの名称の由来に思い至ったとしたら、
「江戸城こそ中心」という、後の連続放火の原型となる概念が芽生えた可能性もある。
墨田・江東の水路の開削は、ルーツをたどると、
江戸時代前期の都市開発、本所・深川の武家地造成に行き当たる。
そして、その都市開発のきっかけは、1657(明暦3)年の明暦の大火、
いわゆる「振り袖火事」だった。江戸の大火が墨田・江東の水路を生み、
その水路が育んだ少年が長じて東京に火を付けて回ったのは、皮肉な物語と
言うほかはない。次回はこの墨田・江東の水路をもう少し詳しく語る。(つづく)
注1:「江戸人乱歩の解読」<江戸川乱歩ワンダーランド(89年沖積社刊)収録
注2:火刑都市「第一章・消えた女」55P
注3:連続放火が始まった1982(昭和57)年には、それまでの三大副都心
(新宿・渋谷・池袋)に加えて、錦糸町・亀戸を含む3地区が副都心に追加された
注4:火刑都市「第九章・失われた環」355P
*なお、火刑都市の場面紹介は講談社文庫版に基づく