ふくろたか

札幌と福岡に思いを馳せるジム一家の東京暮らし

追悼ウオーク2020

2020年03月14日 | 日記・その他

東京都慰霊堂がある両国・横網町公園のオオカンザクラ
今年はまだ三分咲きといったところ。昨年よりも少し遅い。

さて今年の追悼ウオークは、打首の無観客ライブに触発されて、
出発点を変えてみた。新型コロナの鎮静を願った「88」にあやかり、
ワタシもまずは四国八十八カ所巡りができる場所に赴こうと考えた。


その場所とは港区高輪の高野山東京別院
このお寺のみで四国八十八カ所のお砂踏みができるとか。
足を運んでみると、大きな本堂(遍照殿)がお出迎え。
右下の掲示板に「うがい手洗い」というありがたいお言葉も。


残念ながら、正門の移設を含む境内の大規模改修中で
八十八カ所のお砂踏みはかなわなかったがorz


ただ、おかげで、すぐ近くにある国史跡の東禅寺に足を運べた。
幕末期に日本初の英国公使館が置かれ、
1861年(文久元年)には攘夷浪人に襲撃された寺である。
この「東禅寺襲撃」は、桜田門外の変や生麦事件などの
幕末期の大事件に挟まれて、あまり知られてはいないが、
「風雲児たち」25巻でかなり詳しく説明されている。

東禅寺を訪れ、その「風雲児たち」もスルーした事実に気づいた。
「風雲児たち」でもおなじみの蘭学の重鎮・大槻玄沢のお墓がある
一関藩医から仙台藩医に取り立てられたので、
てっきり仙台にお墓があるものと思っていた。
このお寺は、開基の飫肥藩伊東家(境内は伊東家の十陽紋だらけ)を
はじめ、仙台藩伊達家や岡山藩池田家の菩提寺だったとか。
なるほど、江戸常勤だった玄沢が葬られてもおかしくはないのか・・・

それにしても、新暦の元日に「オランダ正月」を催すほどに
異国に憧れた玄沢が眠る寺で、大英帝国の外交官が
日本のサムライに襲われるとは、歴史の皮肉としか言い様がない。
幕末期の世情不安のひどさを物語っている。
相次ぐ大地震とか、国外からの伝染病(コレラ)流行とか・・・
うん? 令和の現在と似ている?

さて、未遂に終わったとはいえ、四国八十八カ所巡りを
志した者が、てくてく歩いているうちにお腹が空いた。
ここで食べるべきは・・・もう分かりますね。


うどん♪ うどん♪

以前から行きたかった森下の「こがね製麺所」へ。


ぶっかけ温うどん(390円)に野菜かきあげ(150円)を添えて満足。


でも、やっぱりうどん一杯では物足りない。となると、

ニクタベイコウ! そうしよう! (食べてばかりで終了)