大相撲九州場所も終わり、結局は白鳳の優勝かいなと相撲界のふがいなさを嘆く月曜日であります。
明治から昭和を生き抜いた民俗学者「柳田國男」という人がいます。「遠野物語」や「海上の道」等の著作が知られています。
この柳田國男先生、「海南小記」という「海上の道」を著わす前に書いた旅行記の中で、宮古島の海際の芝生の中にぽつんと立つ何も書いていない石に関して以下のような内容の解釈を記しているのです。
「昔、少年をこの石の傍らに連れてきて背丈を検し、石より高くなっていたら人頭税を課し始めたものなり」と
しかして、近世宮古の税制としては1637年から1658年までの「頭懸制(ずがかりせい)」1659年から1902年までの「定額人頭配賦税制」とが施行されており、これを「人頭税」と称しているわけですね。
この二つの税制は、いずれも「15歳から50歳まで」は納めなければならないもので、身長が低かったら納めなくても良いというものではなったようです。
ちなみに前者は収穫量、身分、年齢、性別等によって変動するもの、後者は島全体で収穫量、人口増減に関係なく一定の税を納めるもので例外なく粟か反物で納める事を強いられていました。265年もの間。
さらにこの税を取り立てるために赴任してきた役人には身の回りの世話をする女性がつき、そのうちやることやっちゃって数々の悲劇を生むわけです。
閑話休題
この史実を知ってか知らずか柳田先生、勇み足で書物にしちゃったものだからこれが今の今まで、信じられているわけですね。実際、私もここに来るまでの10年間はそう信じておりました。
この事実を改めて知らしめてくれた方が我が「歴史・文化ガイドの会会長 砂川玄正先生」なのでありまする。
高さ143センチの石(島では ぶばかり石 ともいわれておりますが測量の基準点のような役目ではなかったかと想像されます)のそばで説明する砂川先生であります。
残念ながら後姿だけですが、前面に興味のある方は、5月31日ご当地検定その4を参照ください。
かくしてまたひとつ、賢くなった爺であります。
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