最近、本土からの複数の来島者に、路端におかれている「石敢當」について訊ねられたので、爺の知見の整理も兼ねてまとめてみましょうね。
これが対象のもの。T字路や三叉路の突き当たりや四差路の片隅や塀に置かれています。「いしがんとう」と読みますね。
ひたすら直進してくる邪気が入らないように曲り角に建てられています。
8世紀ころの中国で始まったものだとされているようですが、「泰山石敢當」と刻むのが正式なものらしいです。
写真でしか見たことはないのですが、那覇の御殿山(うどぅんやま)にある石敢當にはこのように刻まれているそうです。
中国では泰山という山(三国志に登場する諸葛孔明が愛唱した歌に出てくるそうです)の石を魔除けにした習慣があり、その石を手に入れられない人たちが、石に、勇気を持って戦う問う意味の「敢當」を加えて刻み、魔除けの役割を持たせたという事のようです。
これらを踏まえて、「泰山石敢當」とは「泰山の石をもって勇気を持って戦うぜ悪魔たち」ということになるのですねきっと。
それがいつの間にか泰山がとれて今のかたちになったわけです。
住居の近所、100m以内にもたくさんの魔除けがありますが
どこからかいただいてきてそのまま置いてあるものから
自分の車で来る魔物に駐車場を案内しちゃっているものや
間違ってないか?戦う意思があるか?
というものまで、なかなかに趣のある集落なのですよ、この地は。
沖縄=琉球の習慣にはこのような中国、特に道教の影響が多く残っていて、旧暦1月16日に墓参りをする習慣やこの自然のものを対象として祈願すること等に見られているといわれています。
日本には道教は宗教として入ってきていません。
時は8世紀、遣唐使の時代。唐の玄宗皇帝が僧鑑真の渡日に際し、道教の道士の同行を条件にしたところ、朝廷の判断は「天皇を抱く日本に仙人思想は必要なし」と拒否。日本側は鑑真の同乗を断ったが、それでも日本に行きたい鑑真は密航という形で潜り込み、唐招提寺を創建したというお話。
道教の教えは天皇制を脅かすという判断があったわけですね。
そんなヤマトの思惑とは関係なく、日本と中国の間に位置しどちらにも朝貢していた琉球の国が中国文化の影響を受けるのは理なり。
でも心配です。いつまた中国が(一部の日本人が)琉球は中国のものだといいだすのかと。
「杞人の憂い」に終ってほしいのですが。
以上の文章、史実の認識に誤りがあっても責任はとれません。あしからず。
那覇の支社周辺でも見かけてたのですが、結界みたいな役割ですね。
年度末突入ですが、今年は震災対応で仕事の季節感が狂ってます。
それにしても政府の原発への無知と無責任さにはあきれ返ってしまいますね。