最近、若い塾人に老婆心ながら私の生き方を伝える場を持つようになった。
自分の覚書として綴った文面を残しておく。
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こんにちは。
私も英語授業●●●●●を手に入れました。
読み進めていく中で「うん、そうだよな」と思うことがあります。
今の教育にはこれが必要なんだと感じるところがあります。
こういった書籍を目にすると私はいつもこんな言葉を思い出します。
「守・破・離」の心。華道の心得だったと記憶しています。
まずは、形(先輩のお手本、マニュアル)と方向性を知ることです。
今までの英語指導の根幹は「読めること・意味が言えること・書けること」でした。
最近はこれに「聞きとること・話せること」が求められるようになりました。
中学の英語授業で「オールイングリッシュ」が謳われています。
私は挑戦してみるべきだと思います。
何でもやってみて、分かることや発見があります。
しかし現状はどうでしょうか。
文科省が大きく旗を振っていますが、
これに対応して実施している中学校がどれだけあるでしょうか。
英語学習を中学と高校で6年やってきても話せる子どもはほとんどいないのが
この昭和、平成の英語教育でした。
話せるようになるには1年間日本語が一切通じない外国に身を置いて、
「生きるための英語」を体感するのが一番だと今でも私は思います。
お手本やマニュアルで改善が必要なところ、これが「破」の心。
成果が現れないのにそれを続ける、改良改善を行わないのは死への道へと繋がります。
学校教育ならば余程目立った突飛な行動、言動がなければ官が守ってくれます。
飯は食っていけます。でも我々在野の民間塾人は生きていけません。
綺麗ごとで済まされないのが我々の生き方です。
「守」「破」の体感ができたら、どう自分は生きるかを考えるのです。
塾で生きていくためには前述の「読めること・意味が言えること・書けること」、
加えて「聞きとること・話せること」ができるようになっても、
塾としての役務は果たせていません。
塾の役務、それは「成績をあげること」です。
これができないと親が終止符を打ちます。
子どもが通いたいと言っても、対象が中学生、小学生の学習塾ならば子どもの声は届きません。
高校はちょっと違うと思いますが。
自分の形が決まるまでは色々試して見るのが良いと思います。
でもしっくり行かないならば捨てれば良いのです。
「これで私は成績を上げる」というものが見つかるまで追い求めることです。
塾の色つけはそれからです。
「心を育ててくれる」「壁を飛び越えさせてくれる」「温かい愛情いっぱいの塾だ」・・・。
塾の付加価値は最初からあるものではなく、
根幹がしっかりしている幹だからこそ付加価値が映えてくるのです。
それがどんどん昇華すると「真似のできない塾」が見えてきます。
私はこの「真似のできない塾」を目指して今日までやってきたのだと思います。