虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきた上野塾ブログ。塾長として、男として、父親として感じたことをそのまま記した夢記録。

私が伝えたいこと ①

2021-04-18 | 塾長日記
今年から中学の英語指導が大きく変わった。小学5年と6年で英語の教科化が始まり、高校受験までに小学5年から中学3年までの英語5年教育が始まる。文科省や教育委員会が描く流れに乗るまでには、どのくらいの時間を要するのか、生の教育現場を見守って欲しい。

小さな上野塾でも地域の子どもたちの英語指導を担っているので、方向性を定め、1年間の指導カリキュラムを作成した。特に1年にエネルギーを使った。
今年の教科書には…、
◆unit1では、be動詞、一般動詞、頻度副詞、助動詞can
◆unit2では、指示代名詞、疑問詞what、who、how、
◆unit3では、疑問詞where、不定詞名詞的用法、複数形

ここまで書くだけで、中学1年生の英語指導の根本改革が必要に感じる。新しい文法が出てきたところで一つ一つ教えて行けば、本文内容は理解できるが、英語力の定着、入試英語の基盤を作ることは難しい。私は時間も手間も掛かるが、4月と5月でbe動詞と一般動詞、助動詞、疑問詞を丁寧に指導して行くことにした。教科書内容は、期末試験前に一気に板書指導をする。これで行くと……。

上野塾の中学1年生には小学3年生から私が英語を教えた塾生がいる。中学1年生の文法も単語もほぼマスターして、中学定期テストをやらせてみるとリスニング問題を除いてほぼ正答を書き込むところまで上り詰めた子どももいる。こういった子どもは、現学年の英語指導に加えて、中学2年生の英語を先輩に混じって頑張ることを提案し、本人も親御さんも納得の上で次学年指導を受けている。今年から上野塾に入塾してくれた子どもの中にも同様な事例があったので次学年英語指導を提案し、中1英語と中2英語の二刀流を開始した。

こういった事例がある中、小学校の時はスポーツ少年団の野球漬けで英語は一切習っていない子どももいる。小学校で外人講師の英語会話を耳にしただけの子どもだ。今までは春休みで補講を組んだり別日フォローでクラス指導に合流出来たが、前述のように今年の英語指導は一筋縄ではいかないものになっている。この子たちの応援こそ私が一番やらなければならないと思っている。

事例をわかりやすくするために少年団塾生を一朗(仮称)として綴る。一朗は今年の3月に体験を受けて、4月に正式入塾となった。英語は小学校で会話を少し嚙った程度。書くことはほとんどしていない。もちろんアルファベットもこれからと言う状態。10年前はこういった子は当たり前であったが、今は少なくなってきた。しかし、ゼロではない。これからもこういった子どもたちを受け入れることは出てくる。

一朗は自分なりに努力をしてアルファベットの大文字、小文字を書けるようになってきた。しかし、時間が周りの者と比べて2倍も3倍も掛かる。これはやむを得ないことだ。アルファベットの並べ替えでも、さっと26字書いて並べ替えをできる塾生もいるが、一朗はアルファベットを書くだけでも時間が掛かる。必然的に時間内に回答が出来ずに合格点が取れない。一朗は授業中に涙を堪えきれなかった。溢れる涙を拭いながら私の授業についてきた。苦しくても前を向いて自分のできる範囲で精一杯闘ってみること、このことが伝えたくて一朗を応援した。

「You are not〜の短縮形が言える者!」と私が言葉を発すると、
一朗が手を挙げた。
「You’re not〜、You aren’t 〜です」と答えた。
私は涙が出た。良くぞ自分の意見が言えた。褒めてやった。今日は一朗も元気にお母さんの車に乗り込むだろうと思ってその日の授業を終えた。

すると玄関で私を呼ぶ嶋津の声がする。
玄関に行くと一朗のお母さんが立ってみえた。
「一朗がもう塾なんか行きたくないと車の中で泣き弱っています。何があったのですか?」と。
私は「一朗君は頑張って自分の意見が言えましたよ。私は今日の授業で褒めました」と言って一朗がいる車に近づいて行った。

(続く)




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職人の技

2021-04-16 | 古民家再生
その道のプロとの出会いは感動がある。
完成されたものを見るのもいいが、
途中経過を見るのも味わいがある。











全ての仕上がりが近づいてきた。


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新たな幕開け

2021-04-12 | 塾長日記
わたくしゴト・・・

4月に入って、昨年度の疲れが出たのか、咳が止まらない日々が続く。
今日も名医がいると聞き、羽島まで朝一番で出掛けた。

生憎、コロナ禍であるため、受付を済ませたら自動車で待機。
そこに電話が掛かって電話での問診状態。
症状を伝え、薬と吸入剤を処方してもらい、
同じく車内で薬を受け取る。
まぁ、徐々に回復することを願って一日を大切に過ごすだけ。

本題・・・

昨年の岐阜新聞テストはすべてが自宅受験となった。
自宅受験では、公平性に欠けるため偏差値を出しても何ら意味がないと私は思ってきた。
だから昨年は、一昨年度の資料を基にして、独自で偏差値換算をした成績個人表を作成した。
今後の岐阜新聞テストの運営の仕方を私なりの案を取りまとめて提案書を昨年送った。
今年はどうなることか...。

そんな矢先、先週岐阜新聞情報センターから電話が入った。
「塾長先生の話を聞かせていただきたい」と。
新たな幕開けに繋がることを期待しつつ、今日を迎えた。



私の提案を組み入れていただけるような提案書を本日拝見させていただいた。
是非とも、地域に根ざした学習塾の塾長さんたち、
今後の自塾の立ち位置として、今回の「協力塾登録」は前向きに考えていただき、
登録されることを願います。
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わが家の西の顔

2021-04-11 | 古民家再生
Before



After

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すっきりしない。

2021-04-11 | 男日記
1週間経ったが、すっきりしない。
先週末病院に行って薬をもらって飲んでいるが、
夜中に咳き込んで、眠れない日が続く。

明日は、家内が咳きが止まらなかった時に探して行った
羽島の病院に行ってみる。
何とか咳が収まって欲しい。

……………………………………………………………

我が家の駐車場も完成した。







後は玄関のアプローチと庭周り。
最終完了日、4月26日(大安)。
本当に丸一年の古民家再生である。




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まったりと…。

2021-04-04 | 男日記
2、3日前から体調が優れない。
熱もなく、味覚もあるのでコロナではないと思うが、
すっきりしない日が続く。

今日は明日の本校の準備をして薪ストーブの前でゴロゴロしていた。
髪の毛もセットせず、寝癖のついたまま。
服装はジャージで1日を過ごす。

私が家内に「こんな日は珍しいかな?」と聞けば、
家内は「初めてだよ」って。
まぁ、これからは自然体で行きます。

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高校進学説明会

2021-04-04 | 塾長日記
15の花道。
新中3生にとってこの1年は、自分の人生の方向性を示す大切な一年になる。
今までは好むと好まざる関係なく、地元の小学校や中学校に進学した。
しかし来年の道は自分で決めることになる。
行けるところ、なんとなくこの道に決めたと言う者と、
ここに進みたいから今、これをやり切るという者では、
結果も異なるがそれ以上に自分が掴んだ物の大きさが違う。
これからの生き方の為にも、この一年はゴールを見定めて、
早くスタートを切って欲しい。







今年高校にした先輩たちが4名駆けつけてくれた。
先輩の話を交えながら、今年の受験生に火をつける会にしたかった。
いつも言うが、「夢は逃げない。自分が歩みを止めない限り必ず近づいて行く」
そんな夢実現を体感できる一年にして行く。







この会が終わった後、卒業生の親御様からこんなメールをいただきました。
ありがとうございます。

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お世話になりました。
今日も息子が上野塾で本当に良かったと言っておりました。
中2の時にバスで行った特進講座が刺激的でいい経験だったと話していました。

娘は上野塾でいい仲間達と出会う事が出来ました。
学校の友達よりも厳しい合宿を乗り越えた上野塾の友達の方が絆が深いと話していました。

先生方の一人一人真剣に向き合ってくれる指導。
本当に感謝しております。

ありがとうございました。

……………………………………………………………………

私は「上野塾で良かった」と言う言葉が聞けた時、
責任を果たしたと感じます。

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たまには…。

2021-03-29 | 男日記
今日は仕事が休み。
それでもぼーとすることもなく、
新年度の準備に動き回る。

午後7時には酒が入る。
午後9時には床に着く。
普段は日にちが変わって12時半、1時の就寝生活だが、
今日は早めに床に着ける。

明日は定期検診だ。
お酒は普段通りきちんといただきました。
検診だからと言って特別なことはする必要もありませんので。



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素敵な時間

2021-03-28 | 男日記
素敵な家族とのひと時。
ありがとうございました。

核は家族。
今日の出会いに感謝。
笑顔の向こうに深い過去。
誰しも過去が今を創り、
今が未来を創る。
乾杯!


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上野塾卒業式 **15の花道**

2021-03-28 | 塾長日記
15の花道

本日は上野塾卒業式に参列してくれてありがとう。卒塾式ではなく卒業式にした訳を話します。あなた達はひとつの業(ぎょう)、[業とは仕事、技、なりわい、学問を指します]にひとつの区切りをつけ、新たな旅立ちの日を迎えました。区切りを付けることは「節目」を付けること。これから更に伸びていくため、自分自身を強くするため、幾多の困難に遭遇しても折れない心と行動力を備えるために一区切りの節目を付けることが必要だと感じたから上野塾卒業式を開きました。



今年度はコロナ禍の中での生活でした。ずっとマスクをしたままでの学校生活。ほとんどの部活動の大会もなくなりました。修学旅行も体育祭も文化祭もすべて中止の年でした。塾でもそうでした。合宿も特訓も夜学も朝カレーも年越し蕎麦も何一つやってやれませんでした。本当に心残りです。



だからここに約束します。3年後あなたたちをもう一度上野塾に招待します。今度は「卒業式」ではなく、「旅立ち式」としてあなたたちを迎えます。今年の3月22日、高3生の先輩達から高校の勉強の仕方、将来の道選択、夢を持つことの大切さを年齢の近い先輩達から聞くことができました。それはまさに実学としての声、言霊でした。あなたたちは高校に進学したからもうこれで好きなことがやれて楽(らく)が出来るなんて思っている者はいないと思います。



今年の岐阜県公立高校英語の長文に No rain ,no rainbow .がありました。雨が降らなければ虹も出ない。苦しんだ経験があるからこそ、この喜びがあるのです。また「努力した者は必ず報われる」といいますが、すべては当てはまらないと思います。でも「報われた人」を良く見ると、間違いなく「努力している」と言えるのです。



Now, you are on the stating line. こんなフレーズが受験講座の教材にありましたね。覚えていますか。今、全員が一斉にスタートラインに立ちます。輝かしい過去も苦しかった過去も書き換えることは出来ません。しかし「今」と「未来」は自分でどんな色にも、どんな器にも変えられます。



3年後、成長した姿を是非見せてください。今は夢が見当たらなくても、3年後にはきっとおぼろげながらにも見えてきます。夢を諦めないことです。夢を追いかけることです。夢は逃げません。自分が歩みを止めない限り、夢を掴めます。その後どうするか・・・。それを3月22日に高3生に話しました。あなたたちも聞いていました。覚えている者はいますか?忘れてしまってもいいのです。道に迷ったり、道が分からなくなったらまた会いに来てください。何度でも話します。私の生き方は変わりませんので。



今日という日は、決してあなた一人で迎えられた訳ではありません。私が「尊敬する人は誰ですか」と問えば間違いなくあなた達は「お父さん、お母さん」だと答えるでしょう。親にとって子どもは宝者。親は自分の子どもに命を賭けられます。自分の子どもの命が危ない時、躊躇せず自分の命を投げ出すのはあなた達のお父さんでありお母さんなのです。これは親になって初めて分かることです。あなた達もその年齢になったらきっとこの言葉の真意が分かると思います。



でもあなた達のことが可愛くて可愛くてたまらないから、大事に大事に育てるのか?腫れ物に触れるように接するか?・・・。いや違います。それはあなた達の自我が育っていない幼少の頃は溺愛することもあります。しかしこの十五歳の歳を迎えたあなた達をオブラートに包むように接する親はおりません。現に上野塾に通わせていただけたことがあなた達の自立を願うお父さん、お母さんの思いなのです。それに応えたく私たちはあなた達と接してきました。





今日はその節目です。
黒田、嶋津、佐村、そして私が、あなた達に上野塾塾の卒業式を贈ります。
あなたたちの未来のある「15の花道」です。
おめでとう。
そしてありがとう。

令和3年3月27日 
                       上野塾 塾長 上野義行

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お世話になりました

2021-03-25 | 塾長日記
上野塾バス1号車は、
2007年の9月から上野塾の送迎車として活躍してくれました。
13年6ヶ月上野塾で活躍してくれました。
熱海、敦賀、浜松、森の家、星の家、Nagashima・・・、
思い出作りにいっぱい動いてくれました。





ありがとうございました。
本日お別れの日=旅立ちの日となりました。
多くの子どもたちも感謝していると思います。





これも節目です。
ありがとうございました。

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こんな塾・・・いいな。

2021-03-23 | 塾長日記
今日は高校3年生が中学3年生にエールを送りにやってきた。
私達高3生の経験が、中3の後輩たちの役に立てばという思いが、
今日の時間を作った。





教師の私達の話も必要だが、
3つ年上の高3のお兄さん、お姉さんの話は、
中3生にとって親近感があり、生きた実学を聞くことができる。
一生懸命メモを取っていた。
本当に嬉しかった。
ありがとう。



先輩が後輩に自分が歩んだ道を伝える。
穏やかな道、険しい道、曲がりくねった道、イバラの道・・・。
後輩も素直にその道の経験談に聞き入る。
こんな塾ができたこと・・・。
いいなと思う。

スタッフの黒田さんから私に、
高3生に何か話して欲しいと言われた。

私はこんな話をした。
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高3のみんなは、自分の将来の夢がおぼろげながら見えてきたようだな。
中3のときは見えなかったものが少しずつ鮮明になってきたことと思うよ。
*宇宙物理学を学びたい。
*医者になりたい。
*看護師になりたい。
*薬剤師になりたい。
*大手企業の研究室に残って新薬を開発したい。
*臨床検査技師になる。
*建築士になる。





いろいろな具体的な職種が聞こえてきた。
良いことだ。
夢が決まればあとはそれに向かって歩むだけ。
その歩みは今までの受験勉強で頑張ってきたから、
あなた達が諦めない限り、そして歩みを止めない限り、
きっと夢を掴めると思う。

さぁ、その夢を掴んでからが大事だ。
看護師でも建築士でも臨床検査技師でもどんな職種でも、
自分の仕事に誇りを持ち、心を込め、愛情を持って、
魂を込めた仕事をすること。
そうすれば、その道のプロに近づけると思う。

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今度は今の中3生が3年後この場に集って、
後輩たちのためにこれからの3年間の足跡を聞かせて欲しい。
楽しみにしている。




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旅立ちの日に寄せて

2021-03-22 | 塾長日記
上野塾が生まれたのは、2005年4月。今年の4月で丸16年。卒業生も891名を数える塾に成長させていただきました。私の塾屋人生、この16年間は喜怒哀楽満載の深い愛情と、厚い情熱で綴られた年月(としつき)でした。自分自身の塾屋人生が終わった訳ではありませんが、現段階で「わが塾屋人生に悔いなし」と言い切れます。
そんな思いを今持たせていただけるのは、今日ここに集ってくれている上野塾仲間がいてくれたからです。私ひとりで今日(こんにち)の上野塾を創ることはできませんでした。16年の歴史の中で、皆が上野塾の御輿を担いでくれたから今日があるのです。
振り返ってみると・・・





◆2005年4月、上野塾は60名でスタート。永田さんが週2日大治から応援に来てくれました。永田さんも四畳半スクールが軌道に乗って、1年で上野塾を去ることになりました。さぁ・・・困りました。

◆2006年4月、西国原さんが加わってくれました。西さんが加わってくれた4月に上野塾は100名になりました。ひとつの節目でした。100名の塾を創るのに1年半を要しました。このころやっとコピー機のリース契約をできるようになりました。それまではA4専用の複合機を購入するのがやっとでした。



◆2008年4月、黒田さんが加わってくれました。この年に上野塾は150名をカウントして印刷機のリース契約ができるようになりました。地域こども支援もこの年に始めました。月謝1,000円の地域支援は小学生本科生への大きな核になりました。



◆2012年8月、第1回極合宿開催。熊谷さんとのコラボが始まりました。同年10月、本校前で◯◯◇◇君が交通事故に遭いました。「もう伊自良で上野塾が出来ないかもしれない」と頭を過ぎりました。この事故は幸いにも大事には至らず、ほっと胸を撫で下ろしたことを今でも覚えています。これを契機に本校前の県道に出迎えスタッフを配置するように義務付けました。同年11月、渡辺ちひろさんが加わりました。前職の長良校での私と黒田さんの教え子です。塾教師として一歩一歩階段を上がっていきました。

◆2013年2月、急遽上野塾西郷校の出店を決めました。特別塾生制度を地域に発信しました。一気に西郷校は100名教場に名乗りを上げました。同時に塾生数300名が確定し、平野佳奈子さんが加わりました。そして2014年1月6日に株式会社上野塾が生まれました。

◆2014年4月、亀山英典さんが前職を退職し、法人格を取得した上野塾に入社してくれました。正社員の平均年齢が一気に若くなりました。



◆2015年3月、北島さんが入社。マイクロバス運行に必要な中型限定解除の免許を入社前に取得してくれました。本校から芥見校、西郷校から芥見校の送迎が可能になりました。



◆2015年4月、上野塾関校を開校。学区によって英語の教科書がクラウンとホライズンと異なるなるため、美濃学区にどうしても教場が必要でした。この関校がこのあと上野塾を支えてくれることになりました。教室長は亀山さん。開校以来順調に右肩上がりの成果を出してくれました。

◆2017年3月、加藤さんが入社。本校の教室長候補としてスタートしました。同時に渡辺ちひろさんが退職しました。



◆2017年7月、上野塾在籍塾生最高値「394名」。決算賞与も出せる塾に成長させていただきました。

◆2019年2月。どんなことでも順風満帆ばかりではありません。上りもあれば下りもあります。晴れの日もあれば雨の日もあります。芥見校と西郷校が40名台まで在籍が落ちてきました。大手塾の芥見進出、西郷進出。正に上野塾がターゲットでした。芥見校は15年の幕を下ろすことにしました。西郷校は上野義塾として再生することにしました。と同時に、西国原さんを独立させる舵を切りました。それが2019年2月15日。私のブログにも「記念日」として記しています。激動のど真ん中の上野塾に教え子の嶋津陸が入社してくれたのは、その年の4月でした。



◆2019年は2020年を準備する1年でした。芥見校の閉鎖。西郷校の義塾創設。事業部制の導入。2020年3月末に上野塾本校を休校し、上野塾高富校へ本校生を移籍。コロナ禍の中、3月・4月・5月は毎月時間割が変わる不安定な時期もありました。休業要請もかかり塾を休校にしました。授業料の返金も行ないました。初めてのZOOMを使ったオンライン授業も行いました。本当に激動の2020年でした。売上が落ちた補填として、持続化給付金・雇用調整助成金・家賃補助給付金等、様々な給付金や助成金申請を行いました。そんな大変な中、念願の自宅の古民家再生は2016年に令翠学で私と家内を見てもらった際に一番良い時期として2020年と言われたのを信じて、予定通り古民家再生工事を実行に移しました。



◆そして本日3月22日。西国原さん、亀山さん、北島さん、加藤さんを送り出す日になりました。これからは西国原さんが舵を握り、3人が西国原さんを支える組織体をつくり、物心共に豊かな人生を勝ち取ってください。それぞれが夢を持ち、その夢実現の為に歩み続けてください。遠くからずっと見ています。

◆西国原さん、今日まで私に付いてきてくれてありがとうございました。あなたの新卒時代からの付き合いでした。名古屋の南光時代は本当に濃厚な時間でした。上野塾になっても私を支えてくれて最高の番頭役でした。これからは岐関塾の社長として、そして塾長として、自信を持って堂々と歩んでください。今日まで本当にありがとうございました。感謝しています。

◆亀山さん、あなたの魅力は人を笑顔にできることです。子どもを見る目にも優しさと厳しさがあります。そして学ぶ姿勢に謙虚さと素直さを持ち備えています。もっともっと伸びて行きます。岐関塾を成長させてください。目標を△△さんに定め、関校を250名まで成長させてください。そして美濃学区№1にしてください。

◆北島さん、あなたの斬新な人事、時間割作成、計画的業務進行など、あなたの得意な分野で西国原さんを支えてください。塾長補佐としてあなたの役割は大きくなります。

◆加藤さん、立派な高富校の教室長に成長しましたね。高富校の新年度説明会で親御さんとお子さんの気持ちをきちんと掴んでいました。お母さんたちがあなたを見る眼差しに信頼感が溢れていました。山県市で№1の学習塾に成長させてください。





最後に、私からの送る言葉。
「過去が今を創り、今が未来を創る。」
未来のために、今を本気で生きてください。



上野塾 塾長 上野義行

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今年の実績として

2021-03-21 | 塾長日記
今春の進学実績

上野塾は「◯◯高校◇名」と進学実績をチラシに謳う塾ではありません。
しかし、1年間の足跡を在籍されている塾生さんや親御様に
お伝えすることは大切だと思います。
志望校全員合格の大目標を毎年の指針として歩んでおり、
この数値には表れない『努力の軌跡』を
重んずる塾であり続ける方針は変わりません。

** 令和3年春 上野塾卒業生62名の高校進学先 **

・岐阜高校 2名
・岐阜北高校 4名
・岐阜高専 2名
・岐山高校 2名
・長良高校 2名
・関高校 4名
・県岐商 9名
・岐阜農林 4名
・各務原高校 3名
・岐阜城北 5名
・武義高校 3名
・山県高校 2名
・岐阜工業 1名
・岐南工業 2名
・岐阜総合 1名
・関商工 7名
・郡上高校 1名
・鶯谷高校 1名
・大垣日大 1名
・岐阜第一 2名
・富田高校 1名
・美濃加茂 1名
・済美高校 1名
・福井工大 1名

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太郎へ

2021-03-21 | 塾長日記
本日は岐阜県公立高校合格発表日。
上野塾中3生62名の進路先が決まる。
今年はコロナの関係で学習塾関係者の
発表時間立ち会いの自粛要請が入った。

本部には嶋津を配置して、塾生からの連絡を待つ。
私と黒田は午前9時の発表を避け、9時15分に高校の門を入った。

門を入る時だった。
残念だった親子だろうか出口に向かって行く姿を目にした。
15歳には辛い時間だ。見る方も辛い。

気になる塾生(仮称:太郎)の番号を探す。
第1志望の学科には番号がない。
第2志望の所、第3志望のところへを目を送る。
ない………。

直ぐ本部に確認する。
太郎から電話がないかと…。
自分の携帯から親御さんの携帯に電話をする。
繋がらない。

他の塾生の番号を確認し、本部に戻った。
本部からもう一度お母さんの携帯に電話する。
繋がらない。

すると、太郎から電話だった。
私が大丈夫かと尋ねると
「大丈夫です。」と張りのある強い言葉で返答が帰ってきた。
「これから会いたい。塾に来れるか」と私が言うと、
「わかりました」と。

10分程して、教室の玄関が開いた。
太郎とお母さんだ。
教室に案内して、私がお母さんに言葉を掛ける。
「私どもの力が及ばす、大変申し訳ありません」と深く頭を下げる。
お母さんも太郎も「今までありがとうございました。」
太郎はこう続けた。
「後悔はしていません。行きたかったところに挑戦できました」と。

公立高校の合格だけを考えるなら、
倍率の低いところへ願書変更をすることもできた。
実際、私達は変更期間ギリギリのところでその提案をした。
しかし太郎はその選択をしなかった。「僕はここで行く」と。

安易な道を選ばず、自分の決めた道を選んだ太郎。
立派に成長した。男坊主から男青年に成長した。
今日の4時~6時の報告会にも顔を出すと言う。
強くなった。

太郎が卒業にあたって記載する一行決意にこんなことを書いていた。
二十歳の自分へ.・・・「嫌なことから逃げない人になる」
親さんへ・・・「必ずお母さんを守る」
これからもずっと見ている。
応援している。

太郎に贈る言葉を記す。 
(画像は今日の山裾の雨に濡れた山桜)



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最高の人生を送る8カ条

◇やり方はいくらでもある。ひとつに決めつけないこと。

◇問題にぶつかったらシンプルに考えること。複雑に考えない。

◇曖昧にしていることがあれば、今すぐ終わらせること。

◇過去を変えようとせず、今を変えること。

◇恥ずかしがらずに、いつも感謝の気持ちを回りの人に伝えること。

◇傷つくことを恐れずに、ありのままの自分を見せること。

◇今までの自分がやらなかったことに敢えて挑戦すること。

◇どんなことがあっても一番大切な人と一緒に過ごすこと。

そうすれば、いつでも人生は自分次第で最高になる。

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