虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

「教」と「養」

2015-05-22 | 塾長日記
書き留めておきたいことがあったので、
ちょっと覚書。




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人をまとめる方法とは、ズバリ「教養」です。
これは個人の知識とか思考力とかいう意味での言葉ではありません。
すなわち「教」と「養」。
二つの別々の意味を読み取ります。

「教」とは、人を教え、正すこと。
純粋な「天」の正義を守るように導くことです。
そのためには、時には厳しく接することも必要でしょう。
何らかの誘惑に負けてしまった者には、
容赦なく叱りつけ、制裁を与えねばなりません。
罰を与えねばなりません。
これはいわば「父親の役目」に通じます。

それに対して「養」とは、人を優しく包み込んで、
健やかに育てることです。
愛情を注ぎ、相手のあるがままを、まず認めてやる。
過ちを犯しても、それを許してやる。
そしてその過ちの罰を一緒に受けてやる。
そうやって、まずこちらが相手を愛し、
自然と相手から愛されるように努めるのです。
これはいわば「母親の役目」に通じます。

「教」と「養」。
父の役目と母の役目。
この二つの役目を同時にバランスよく果たしてこそ、
人々をまとめることができるのです。

                      (言志録178)

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教室運営を考えてみると、
見事にこれが当てはまる。
塾の教室運営はシステムではないと私は思う。
人だと思う。
それもいくつかの顔と心を持ち備えた各スタッフの結集だと思う。

私はできた人間ではないので、
自分が父親の厳しさを子どもたちに伝えることはできても
母親の優しさを私が修得するまではまだ修行が必要だと感じる。
父親の役目、母親の役目、兄貴・姉ちゃんの役目、
それをスタッフで役割を担う。
これが教室の安定経営に繋がるひとつの条件になることは間違いない。

人としての成長段階でこの「教」と「養」を両方持ち備える人物こそ、
私の理想型である。
コメント
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