2004年9月1日 独立(43歳)
生徒数29名。平均お客様単価10,000円で家賃30万の支出。講師の給与も貯金の切り崩しをして生きながらえる。やってもやっても塾生さんは増えない状況が半年続く。2005年、8名の中3生は志望校全員合格。大好きな車を売却し軽トラックを20万で購入。どこに行くにもこの軽トラが私の足となる。
2005年4月1日 上野塾本校開校(44歳)
実家に上野塾を開校。教室はお袋の縫製作業場。家族で教室を創る。黒板や机を買う金などない。恩師に頭をさげて恩師が使ってみえた黒板、机、チョークを無償で譲り受ける。開校時26名でスタート。本校の生徒を芥見校へと受験講座引率のために中古の30万のワゴンを購入。
2006年2月12日 塾生100名在籍(45歳)
本校と芥見校で念願の100名塾生達成。8人乗りのワゴンでは送迎ができなくなり15人乗りのハイエースをリース契約(購入資金などどこにもない)
12名の中3生全員合格果たせず。
2006年4月1日 上野塾芥見校開校(45歳)
芥見校を上野塾芥見校に屋号変更し、再出発。愛車は軽トラックのまま。
2007年春は30名の中3塾生を送り出すが、全員志望校合格を果たすことができず。2008年こそは「全員志望校合格」のリベンジを強く誓った。
2007年11月26日 上野塾本校・芥見校合わせて150名塾生在籍(47歳)
この頃から来年の予約申し込みをいただけるようになった。
2008年3月19日 上野塾中3生、37名全員志望校合格を達成する。
2004年9月から自分の立っているところを毎日毎日コツコツ掘り続けた。一時も休まなかった。休みたくなかった。どんな時も目標だけは持っていた。人からすればちっちゃなちっちゃな目標だと思うがそれに向かって自分の立っているところを掘り続けた。私は不器用な男だからあれもこれもできない。塾しかできないが塾ならば本気になれた。自分に厳しくなれた・・・。
そんな亀の歩みのような動きであったが今年の春、37名の高校受験生を誰一人欠けることなく志望校に合格へと導くことができる塾にすることができた。
私の大好きなichiroが成功の秘訣は「小さなことの積み重ね」だと言う。それを信じて「今できること、今やらねばならないこと」に振り回されない『時間の貯蓄』のできるプロの塾屋になろうと真剣に思った。
小さな塾の塾長だが、私のもとに集ってくれているスタッフがいる。このスタッフにも安心して現場の授業に集中してもらえるような環境を作っていかねばならない。目標を共有して同じベクトルで同じ到着点に進む方向付けを明確にしなければ成長など考えられない。私の前は真っ暗な道。それをどう切り開いていくかを他の塾屋の塾長さんはセミナーに行かれたりする。私はセミナーに行くよりも現場のことをもっと考える時間にしたかった。独立してセミナーに行ったことは一度もない。そんななか、このブログの世界で塾屋の師匠を発見した。それが『
とよ爺先生』である。先生は自身のブログで今回私のようなこんなちっちゃな男のことを書いていただけた。本当にびっくりした。
先生が仰る「波動」を本当に感じる。「言霊」として感じる。先生のエネルギーは私の現場エネルギーにまっすぐ響く貴重なものであった。毎日響いて来た。だから私は先生に今年の私が3ヶ月も時間を要した『本気のチラシ』を見ていただきたかった。塾を真剣に愛する人に見ていただきたかった。
昨日はバカ騒ぎもしましたがこれも私の姿です。どんな事でも一生懸命、本気が私の生きるスタイルです。塾生さん、保護者様、そしてスタッフのみんな。こんな塾長ですが新年度も宜しくお願いします。