虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

いざ、京都へ

2008-10-30 | 塾長日記
今日は、上野塾の広がりを考えるために京都まで勉強に行って来た。この勉強の成果は、後日具現化し正式に紹介する。今はまだこのブログで紹介できる域ではないので。

勉強会前に「銀閣寺」に足を伸ばした。
本来の銀閣寺はこんな感じであるが・・・



生憎、観音殿は修復工事中であった。しかし、十分心を落ち着かせる空気と佇まいであった。綺麗に掃き清められた参道を登って総門をくぐって行くと、秋を満喫させる自然があった。山頂から京都を眺める景色も秋色に色づいていた。



祈祷護摩があったので、「夢実現 上野義行」と書いて奉納してきた。



また、銀閣寺で入ったお店に「落款」があった。私の名前と家内の名前の漢字を見つけて今日の土産にした。



夕食は京都ならではの料亭で夕食を堪能した。実に品があって満腹。車で京都まで足を運んだ関係でお酒がいただけなかったが、今日は充分なる「京料理」を満喫した。



お世話になった代表のT様、本当に本日はありがとうございました。
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夢に日付を打つ

2008-10-28 | 塾長日記
来月の11日に第2回塾会が開かれる。四畳半スクールと上野塾で始まったこの「塾会」に志道館学園さんとAOK青木進学塾さんが加わっていただくことになった。
今回は上野塾がホスト校になる関係上、ホスト校の塾長から自塾の試みを回顧でも夢でも自由に発表する場がある。今回私は、今までの回顧よりこれからの上野塾の夢を自由に描いてみることにした。

遠い将来ではなく2年後、つまり私の50歳の上野塾を描いてみた。「こんなことがしてみたい、子ども達とこんな共通体験をしてみたい、上野塾はこんな方向に進みたい」などを文字と画像でイメージしてみた。規制枠など何も無い中で自分の頭の中にあることをout putする作業は最高に楽しかった。ボードに「こうなるといいな、こうしたいな」というイメージを文字にし、画像を貼る。

塾に入校して1時間ずつかけて3日がかりで完成した。これを来月の11日の塾会で発表して、自らの目標・夢をいつも自分の見えるところに掲げておくことにした。
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上野のひとり言

2008-10-27 | 塾長日記
しばらくブログ投稿ができなかった。ネタもあまりなかったが、潰瘍が再発して病院に通っていた。やはり薬も続けないと効果は出てきませんね・・・。痛感した。今はきちっり薬を飲んでいるので痛みはない・・・。

第2回岐阜新聞テストの結果も出て、理科で100点が2名出た。英雄伝説登録がこれで50名となる。今週はそのphoto撮影がある。今回の模擬テスト室から送られてきたデータを見ると受験者の英語平均点が5教科で一番低いことが気になる。私の教え子も長文恐怖症がおり、長文を見ると鉛筆が動かなくなるという。先週の受験講座では「長文は読んでいく中で情景が浮かんでくるようにならないと読み込んだとは言えない。それがモノクロではなく、カラーで情景が見えてくるようになれば占めたものだ。うまく訳そうとしなくていい。先頭から訳していって、文意を掴むことを優先することが長文読解の秘訣だ」と・・・。

先週と今週の日曜日は地元の森林組合の林道伐採の仕事が入っていた。そんなに重労働ではないが、普段持つチョークとは異なる慣れない草刈機や牧草フォークを使っての仕事は息が切れる。まぁ、日ごろの運動不足解消にはもってこいではあるが・・・。しかし昨日の小雨の中の作業は寒かった。

また、昨日(10月26日)は、私の妹と家内、そして妹の友人が主催する「Music Festival」が未来会館長良川ホールで開催された。なんと今年で20回を数える会にまで成長した。毎年の繰り返しであるがこの20回継続することは妹や家内に頭が下がる。私の役目は毎年同じだが「ビデオ係り」である。今年は妹の旦那ビデオが不調だったので私の撮影に責任がかかってくる。私が撮影をするとやたら独り言が入って不評なので、今年は終始口をつぐんでいた。

その中で私の塾の教え子でもある生徒が「あこがれ/愛」を演奏することになっていた。この曲は私も昔、カセットテープに録音して車の中で聞いていた思い出深い曲だ。その生徒が練習をする音を私も聞いていた。だんだんと曲の形が見えて来た時、私が「発表会で感動したら花束持って行ってやるよ」と言葉をかけていた。

発表当日、両親共に観客席にお見えになった。私も会釈をしてその出番を待った。会場は一瞬静寂の時になった。ピアノの音色など深いことは分からないが、ひとつひとつの音に張りがあった。そして心に染み入ってきた。涙腺の弱い私は眼に涙が出てきた。隣に娘が居たので気づかれないようにしてビデオのモニターを覗き込んでいた。いゃ、これは良かった。

会は終了し、約束の花束だがここは上野らしく花束だけでなくちょっとしたサプライズを考えてその生徒の家に行った。サプライズとは『ダンボールに子どもが喜ぶような駄菓子を一杯詰め、お父さんやお母さんにも楽しんでもらうようにお酒も入れた代物』。これと花束を持って出かけた。娘達も一緒に同行して「宅急便です!」と玄関のチャイムを鳴らしていた。

その後長男の部活動のお迎えで、試合会場の岐阜農林高校まで車を飛ばした。高校に着くと体育館から大きな歓声が聞こえてきた。バスケなど私は全く興味もないが自然に足が向いた。息子は高校からバスケを始めたのでまだベンチにも入れない。2階の応援団席から声援を送っていた。「うん、それでいい」と独り言を言ってしばらく試合を見ていたが、小雨も降ってきたので車に戻った。すると車がどんどん集まってきた。子どものお迎えだ。「今の親は甘いな~」と思ってみるが、それを言う自分もこうして迎えに来ているのだから、自分も甘いなっ・・・と。
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徒然なるままに・・・

2008-10-11 | 塾長日記
ブログを始めて投稿したのが2004年の10月13日。TGのことを書いた記事が最初の私のブログ。あれから丸4年。毎日などとても書けない。コメントに投稿していただいている『とよ爺先生』は毎日4稿を目標に書かれている。それを有言実行で継続してみえる。なかなかできないことだ。

今日という日を振り返って、心に響いたことや想ったことを綴ることの難しさを感じて今日のブログを書く自分がいる。
今日は午前中、本日の懇談の資料準備と受験講座授業準備、マイクロバスの掃除で時間が過ぎ、昼からは受験講座授業を3本、夜は三者懇談4名を今終えて、本校第2教室に入って缶ビール片手にこのブログを打っている。

家族は早々と床についている。家内が「明日のふれあい運動会、お父さん行くの?」の問いに「明日は月曜日に人に会うのでその資料を作る。明日は家で一日過ごすよ」と。「あっそう・・・」静かに眠りの世界に入っていった。

子ども達も大きくなったので一緒に芝生の公園(昔はよく行ったものだ。地元の方にしか分からないが畜産センター、青空公園は定番だった)に行ったが、今、子供たちに「行こうか」なんて言っても「お父さん、一人で行ったら・・」なんて返事が返ってきそうだ。

10月末には秋休みを取っている。昨年は「石の上にも3年パーティ」を開いて塾仲間やお世話になった業者さん、スタッフに来ていただいた。今年は「岩の上にも4年パーティー」でもやろうか・・・なんて勝手に思っているが今年は自分の立てた目標にまだ届きそうな動きではない。

まぁ、こんな時ぐらいいつも私を支えてくれている家内と「近場デート」でもしてみるか・・・。結局、お互い家のことが気になってそそくさと帰って来るのが目に見えているんだが・・・。

徒然なるままに・・・・。(酔いがまわった・・・)
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10月9日

2008-10-09 | 塾長日記
10月9日は「塾の日」「トラックの日」」「徳(とく)の日」などと今までに耳にしてきた。この日の誕生日には「ジョンレノン」「ジョンレノンの息子のション」「水前寺清子」がいるようだ。

この10月9日は私の誕生日でもある。この世に生まれて48年が経つ。この年齢になるともうそろそろ50の想いが強いので、「48」の響きを聞いても「まだ2年あるな」と思ってしまう。

しかし、私の親父が49歳で他界したことを考えると、その年齢に確実に近づいてきたことも事実。「息子は親父の他界した年齢を意識する」と俳優の中井貴一さんが語っていたことを思い出した。

私も親父の年齢まであと一年。「何を家族にしてあげられたのか、お世話になった地域の方々に何のお礼ができたのか、私が生きた証はあるのか・・・」などと考えてしまう。あと一年で、地域に根ざした塾を創り上げれるのか、可愛がっていただける塾に近づいているのか・・・と。

今、塾生の三者懇談を行っているなかで一昨日、こんな言葉をいただいた。「上野塾の初年度から知っている私だから言わせていただきます。昔の上野塾はもっと厳しかった。子ども達もかなりの緊張感を持って通っていた。子ども達にけじめがあった。元気な声で挨拶もしていた。服装も気になりました。今日、そこで懇談を待っている時、前と違うなと思いました」と。

子ども達の服装も時代に応じて変わってきた。カッターシャツをズボンから出して、腰パンと言われる服装をしている者も目にするようになった。これも流行(はやり)と片付けてしまえばそれまでだが、その流行(はやり)を認めることで塾本来の質に影響が出てくるようならばこれは改めなければならない。

こういったことを言っていただける親御さんは私の宝者。本当に上野塾に信頼を寄せていただいているからこそ、この言葉を仰っていただけたのだと思う。久しぶりに頭から水をかけられた思いがした。

本物の塾を目指したい。本気に勉強をしたい、今よりも良くなりたいと思う者全員を満足させてあげられる塾にして行きたい。誕生日である今日、強く心に刻み、今日からまた土台を固めて行く。いつまでも甘いも辛いも言っていただける方が見える上野塾でありたい。

必ずこの上野塾を本物にする。 2008年10月9日 上野義行(48歳)

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写真は、本日私のデスクに置いてあった寄せ書き。スタッフが塾生に声をかけてくれたんだと思います。ありがとうございます。塾生のみんなの声もしっかり読ませてもらいました。しっかり年輪を刻みます。
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塾会

2008-10-08 | 塾長日記
今週の月曜日(10月6日)、『塾会(塾勉強会)』を愛知県海部郡大治町の四畳半スクールさんで行った。四畳半スクールさんの塾長は、上野塾本校初年度数学教師の永田久さんである。

↓永田塾長から四畳半スクール回顧


個別指導塾として地域に根ざして今年で4年目となる四畳半スクールは、現在マンションの一室を完全に塾教室として稼動している。以前は、この部屋に永田一家の生活もあった。永田塾長の子どもが居間でテレビを見ている横を通り抜けて塾生は奥の教室に入っていったと聞く。お風呂場での歌声も教室に届くこともあったと言う。正に生活感溢れる塾屋で四畳半スクールは動き出した。

お互い独立して塾を創り、それぞれに想いのある塾創りに特化した姿が今の四畳半スクールさんであり、上野塾である。対極とも思える塾舎で、お互いの塾から学びを受けようとしてこの『塾会』は始まった。

↓四畳半スクール 森さん(英語授業)


随所に四畳半スクールさんは「子どもが来たくなる塾の仕掛け」が施してあり、みんなが主役になれる塾風を感じた。温かい教場、温かい教師に迎えられる子ども達はきっと輝いているだろうなと持って見みさせてもらった。

↓上野塾 西国原さん(国語授業)


↓上野塾 黒田さん(コーチ指導)


その中で教科模擬授業、コーチング勉強会、一斉指導のノウハウなど塾屋の生命線とも言える勉強会を行うことを今月から定期的に行うことにした。現状に満足しない刺激をこれからも求めて行きたいし、発信しても行きたい。

↓すべての教室に大好きなギターが壁に掲げてある


私が2年前に訪ねて行った時の四畳半記事はこちら
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学習パレット提案

2008-10-05 | 塾長日記
今、2学期の三者懇談を行っている。こちらが思っている以上に学習時間が足りないように感じる。勉強、特に家庭学習は『習慣化』することが大切。例えば、塾の時間は午後7時~10時だから、塾のない日もこの時間と同じように自分の机に向かって学習する習慣を早い時期に確立させないといけないと思う。「学校の宿題がないから今日は勉強しない」とか「明日は土曜日だから今日は勉強しない」と言う話が懇談をしていると出てくる。

ならば毎日7時~10時までは机に向かって『何を行うのか』を習慣化させることを提案してみることにした。既に自分の学習スタイルが決まっている者はそれでいいが、型が決まっていない者には提案し、一緒に考えて動き始めて行かねばならないと思っている。

今日も夕方から懇談があるが、『学習パレット提案』が必要な者がいる。いくら口で「やりなさい」と連呼してもどう動いていいのか分からない者にはしばらく伴走しないといけない。
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清原の引退

2008-10-02 | 塾長日記
今日はこの清原を見るのが朝から楽しみだった。Ichiroもやってくる。長渕もトンボを歌う。この前宣は心を動かした。

授業を終え、スポーツニュースを見ると王監督が花束を贈るシーンが現れた。その中で「今度生まれ変わったら同じチームでホームラン競争を一緒にしよう」と王監督は清原に語ったそうだ。なんと懐の深い王監督なんだろう。Ichiroが王監督のことを語ったことも思い出された。WBC出場の報告を王監督にした時(Ichiroの携帯は『非通知設定』にしてあるのだが)王監督は先方が『非通知』の携帯電話でも「はい、王です」と電話に出られたそうだ。その対応にIchiroは王監督の心の広さを感じたと王監督辞任のコメントで語っていた。

そのIchiroもアメリカからこの引退試合に駆けつけていた。Ichiroの声はテレビで流れなかったがその表情から今は亡き永遠の師匠である仰木監督が取り持った清原とIchiroの縁。これも男気を感じた。

一見強面の清原。しかし情に厚く涙もろい面も持つ清原。ひざの故障を抱え、それを何とか克服しようと愛車ベンツを売り払って「トレーニングプール」を私設した清原。もう野球ができないかもしれないと思った時、本気で引越しセンターに「この俺、使ってくれるか」と生きていくために言葉を発したこともあると言う。

王監督の言葉から今日は泣けた。長淵の「トンボ」を聞いている清原が日本手拭で涙を拭くシーンも感動した。皆に祝福される「男、清原」 やっぱり凄い男だ。
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