虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

法人になって初めての消費税

2016-09-28 | 男日記
法人設立時に与えられた1年7ヶ月の温存期間が本日ピリオドを打った。
消費税の一発支払い。待った無しの税徴収。
1年前から今日のことは税理士の先生から聞いていた。
だからと言って、税理士の先生が助けてくれることはない。
自分と仲間たちに頼るしかない。

誰にも甘えることなく、銀行に借りることもなく、
きっちり支払いを終えた。
金を取られたと思うとはらがたつ。
預かっていたものをお返しすると思えば良い…と松下幸之助先生は仰る。
なかなかその域には到達できないが、
いつかはそう思える男になりたい自分がいる。



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家族が集まった

2016-09-25 | 男日記
今日9月25日、家族が集まった。
一緒に年中行事の御岳山参りに行った。
皆が運転免許証を持って、道中の運転も助かり、
私もカミさんも、道中うとうとすることが出来た。
時間の積み重ねを感じた。

久しぶりに家族5人が夕食を一緒にした。
長女と付き合いをしているという若君が私の前に現れた。
若君は緊張したと思う。構えたと思う。
でも堂々としていた。先手必勝、私の心を掴んだな。
最後に長男が会計を済ませてくれた。
生意気にもカード決済していた。

皆、ちょっとだけ成長したな。
親父は嬉しかった。
そして酔っ払った……ふりをした。
ありがとう。




私の夢の形に偶然出逢った。
これぞ私が描いていた構図。
目指すお手本を見つけた。
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カミさんとの会話

2016-09-14 | 男日記
カミさんとのやりとり・・・

以下、カミさんのブログより

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どうでもいい話。


お帰りなさい!
ご飯にする?お風呂にする?

…なんていい奥さんじゃあありません。


子どもたちの手も離れつつある我が家、娘も帰りが遅かったり、
バイト先で賄いを食べてくることもあるので、
今は深夜に帰宅する主人に合わせて食事の仕度をすることが多くなりました。


だから世間の皆さまがお休みになっている時間に魚を焼いたり、
揚げ物をしたりしています。


仕事を終えて、ハァ〜としばらく自分がグウタラしたいだけで、
温かい出来たてを食べさせてあげたい・・・という
いい奥さん的要素ではありませんよ。


ブーンと車で家に到着してから、
家の中に入ってくるまでに決まったルーティンがあるので、
その間に仕度をしようと・・・


「サンマとから揚げどっちがいい?」

と声をかけました。



「サンマがいいなぁ〜。から揚げはいいわぁ。」


そうよね…秋といえばサンマ。
年齢的にも魚を食べたい歳だよね。
私も食べたくて買ったんだ。

前日がから揚げで、仕込んだのがまだ残っていたから言ったんだけど、
昨日も食べたもんね〜
と一人思いながら、サンマをグリルで焼く私。


ルーティーンを終えて、手を洗い、ビールを飲もうとしながら、サンマを準備する私に


主人「サンマはいいな。から揚げがいいって言ったやん!」

私「から揚げはいいって言ったや〜ん」


が、とか、は、とか言って会話してる両親の側を娘がニヤついて通り過ぎました。


「またバカなことを…どうでもいいしっ」
て心の声が聞こえてきました。


お肉が食べたかった人に魚が出てきたら、
そりゃさぞガッカリだったことでしょう・・・。


耳鼻科に行った方がいいのかな〜



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最後の灯火(十日)まつり

2016-09-09 | 男日記
長く続いた灯火(十日)まつりが今年で最後になる。
献灯会の狂俳が集まらなくなった。
投句していただける方が高齢化して
次世代の後継者がいないのが一番の原因だ。
この灯火まつりは十日まつりとも言われ、
古き時代から九月十日に曜日関係なく開催されてきた。
日曜日に日にちを変えて開催したらという意見もあった。
私自身も日曜日の方が参加できるので賛成をしていたが、
歴史の重みはそんなに簡単に違えることはできない。
今日まで十日を貫いてきた。  
私は大学生時代「青年団」に所属していた。
当時の青年団は伊自良村役場勤務の若手職員が多く在籍されて
いたが、地元藤倉はなかなか人数が集まらなかった。
私の先輩達の時代は多く入ってみえ、
献灯会の絵描きも皆でワイワイ言いながら
絵を描いたことを記憶している。
その後、先輩達が退団され私の代になった時は
藤倉の青年団は私ひとりになってしまった。
藤倉青年団、たったひとりでの盆踊り開催。
これは大変だった。
では藤倉の盆踊りをどうやって繋いできたかと言えば、
当時の他地域の伊自良青年団員の皆さんの力を借りて
櫓を組んだり、提灯をつけたり、踊りの輪を作ったりした。
献灯会の絵描きは1人では行えず、
すべて地元の狂俳を書かれる先輩達に甘えていた。
それがきっかけとなり、私の青年団開催後は、
この「献灯狂俳保存会」が今日まで
灯火(十日)まつりを継承していただいたわけである。

この献灯狂俳会は、岐阜県の芸術文化奨励にも
名前が挙がる文学継承になっている。
これを藤倉に住む我々はこれからも継承し、
次世代に繋いで行く責任があると感じている。
私が青年団の時に先輩から教えていただいた絵描きも
盆踊り準備も私の所で止まったままになっていることを
悔やんでいる。
そういった気持ちを抱きながらも保存会に身を置いているが、
仕事柄平日の夜は全く協力できていないのが現状。
出席できるのは夏の草刈と打ち合わせ会だけ。
十日祭り当日も、出席することがほとんどできていない。

今年の十日祭りは、最後ということもあって、
仲間教師に甘え、当日の受験講座の担当を外してもらった。
最後の十日まつり。気持ちとしては不完全燃焼の状態。
しかし、これも一つの節目。きっちりと憂愁の美を飾る
十日まつりになるよう気持ちを込めて当日を迎えたい。
今後は新しい形でこのまつりが再開できることを願っている。
たとえこれが日曜日開催になっても
「十日祭り」の名前はそのまま継承すれば良いと思う。
特定の方に甘える保存会ではなく、皆が創り上げる、
そして継承できる新たな継承保存会が生まれることを望んでいる。

私はこんなイメージを持っている。

今日は9月第2日曜の十日祭り。
すべての保存会員は朝からバザー資材の調達や
櫓組みに動き回っている。
露天商のお店も昼間から営業を開始している。
そこに集まる地域の子ども達や親戚の子ども達。
櫓横の特設ステージでは老人クラブの「カラオケ大会」や
子ども会の「ビンゴ大会」。
加えて「三世代交流ゲートボール大会」などを行って、
夜の献灯会本番を待つ。
おじいさんが孫の手を取りながらひとつひとつ灯篭を見て回る。
花火が上がる。十六拍子が響く。
その場に集った全員が自然に「かわさき」を踊る・・・。
夜は更けてゆく。

節目と成るこの灯火(十日)まつり。
私は櫓で太鼓を心をこめてたたく。
地域の皆さん、是非お集まりください。

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独立記念日

2016-09-01 | 男日記
9月1日は私の独立記念日。
毎年この日を迎えると、 20年間お世話になった
前職の社長に挨拶に伺った時のことを思い出す。
2004年、本当に裸一貫でのスタートであった。
その当時、私を助けていただいた同じ塾屋のW塾長さんがいた。
印刷機もコピー機もない私に「いつでも使いに来てください」と。
嬉しかった。とは言っても毎回毎回「お借りします」ということも出来ない。
何としてもコピー機くらいは自分で買えるような塾にしなければと思った。
教材のコピーもそのW塾長さんに迷惑を掛けられないのでコンビニで行った。
そのコンビニも昼間の時間だと他のお客さんに迷惑を掛ける。
だから深夜1時過ぎに体験生のコピーなど5教科分を準備していた。
2時間位掛かったと思う。
そこのコンビニ店長さんも毎日夜のシフトはご自身が入ってみえて、
一番つらい仕事はご自身でなさっていた。
お互い「ガンバリましょう」と声を掛けあっていた。
コンビニでビールを買いたかったがお金がないので、発泡酒を手に取る。
それもえんどう豆の発泡酒「ドラ○ト」しか買えなかった。
これがその当時はうまかった。
私を支えていただけたW塾長さんと飲む機会があったが、
その時は「アサヒのスーパード○イ」だった。
実に高貴な味がした。そしてこれを飲めるようになりたいと思った。

車も資金繰りの為に乗用車を売り払って、20万の中古軽トラックを買った。
この軽トラでどこにでも出かけて行った。
軽トラでの私立高校説明会の話はもうここではしないが、
この時ほど「なにくそ!」と思ったことはなかった。
今に見てろって心に誓った。

私はこの仕事しか出来ない。まったく潰しの利かない堅物の男だ。
塾の教室現場に拘って、授業中は電話も出ない。
営業電話は「興味ない」の無愛想な返答。
目の前の子どものことだけを考えてこの12年走ってきた。
私の分身の上野塾は当初私の代で完結すればいいと思っていた。
それが全国各地の塾屋さんとお会いするようになって少しずつ変わってきた。
友人の向上館熊谷さんに初めてあった時に私は質問を投げかけた。
「熊谷さんの夢は何ですか」と。
すると熊谷さんは「私は経営者を育てることです」と。
私よりもひと回り以上も若い男が堂々と私に話しをした。
これには衝撃を受けた。当時の私は考えもしなかったことだった。

独立から丸12年。今日から13年目に入る。
今、自分の夢は熊谷さんと同じ夢になった。
仲間教師たちが自身の力で塾を作って、
一国一城の主になっていって欲しいと本気で思っている。
私は2020年に一旦今の形にピリオドを打つ。これは決めている。
これからの4年が自分も仲間教師もこだわりの本気の生き方をすることで
次のステージが見えてくると思う。
今日の9月1日と言う節目。大事にしたい。
周りの皆さんに支えられて今の形が創れた。
今日まで本当にありがとうございました。
そしてこれからもどうか宜しくお願いします。

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