9月1日は私の独立記念日。
毎年この日を迎えると、 20年間お世話になった
前職の社長に挨拶に伺った時のことを思い出す。
2004年、本当に裸一貫でのスタートであった。
その当時、私を助けていただいた同じ塾屋のW塾長さんがいた。
印刷機もコピー機もない私に「いつでも使いに来てください」と。
嬉しかった。とは言っても毎回毎回「お借りします」ということも出来ない。
何としてもコピー機くらいは自分で買えるような塾にしなければと思った。
教材のコピーもそのW塾長さんに迷惑を掛けられないのでコンビニで行った。
そのコンビニも昼間の時間だと他のお客さんに迷惑を掛ける。
だから深夜1時過ぎに体験生のコピーなど5教科分を準備していた。
2時間位掛かったと思う。
そこのコンビニ店長さんも毎日夜のシフトはご自身が入ってみえて、
一番つらい仕事はご自身でなさっていた。
お互い「ガンバリましょう」と声を掛けあっていた。
コンビニでビールを買いたかったがお金がないので、発泡酒を手に取る。
それもえんどう豆の発泡酒「ドラ○ト」しか買えなかった。
これがその当時はうまかった。
私を支えていただけたW塾長さんと飲む機会があったが、
その時は「アサヒのスーパード○イ」だった。
実に高貴な味がした。そしてこれを飲めるようになりたいと思った。
車も資金繰りの為に乗用車を売り払って、20万の中古軽トラックを買った。
この軽トラでどこにでも出かけて行った。
軽トラでの私立高校説明会の話はもうここではしないが、
この時ほど「なにくそ!」と思ったことはなかった。
今に見てろって心に誓った。
私はこの仕事しか出来ない。まったく潰しの利かない堅物の男だ。
塾の教室現場に拘って、授業中は電話も出ない。
営業電話は「興味ない」の無愛想な返答。
目の前の子どものことだけを考えてこの12年走ってきた。
私の分身の上野塾は当初私の代で完結すればいいと思っていた。
それが全国各地の塾屋さんとお会いするようになって少しずつ変わってきた。
友人の向上館熊谷さんに初めてあった時に私は質問を投げかけた。
「熊谷さんの夢は何ですか」と。
すると熊谷さんは「私は経営者を育てることです」と。
私よりもひと回り以上も若い男が堂々と私に話しをした。
これには衝撃を受けた。当時の私は考えもしなかったことだった。
独立から丸12年。今日から13年目に入る。
今、自分の夢は熊谷さんと同じ夢になった。
仲間教師たちが自身の力で塾を作って、
一国一城の主になっていって欲しいと本気で思っている。
私は2020年に一旦今の形にピリオドを打つ。これは決めている。
これからの4年が自分も仲間教師もこだわりの本気の生き方をすることで
次のステージが見えてくると思う。
今日の9月1日と言う節目。大事にしたい。
周りの皆さんに支えられて今の形が創れた。
今日まで本当にありがとうございました。
そしてこれからもどうか宜しくお願いします。