虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

よく頑張った!

2010-06-30 | 塾長日記
期末(中間)の得点がほぼ出揃った。
現時点での塾内順位 <一部中学未判明>

 1位 477点(中1女子)
 2位 470点(中3女子)
 3位 462点(中1女子)
 4位 461点(中2女子)
 5位 460点(中1男子)
 6位 450点(中3女子)
 7位 447点(中1男子)
 8位 445点(中3男子)
 9位 444点(中3女子)
10位 442点(中2女子)
11位 436点(中2女子)
12位 435点(中3女子)
13位 434点(中1女子)
13位 434点(中1女子)
15位 432点(中1女子)
16位 428点(中1男子)
17位 420点(中2男子)
18位 416点(中3男子)
19位 414点(中3男子)
20位 413点(中2男子)
21位 412点(中3男子)
22位 407点(中3男子)
22位 407点(中1男子)
24位 406点(中2女子)
24位 406点(中2女子)
26位 403点(中2男子)
27位 400点(中1女子)

5教科、100点以上アップ者も現時点で3名いる。
塾生全体の塾内平均点も30点以上アップしている。



上野塾は入塾試験を行って、成績優秀者だけを
受け入れている塾ではない。
やる気があれば誰でも受け入れる塾だ。
ご縁をいただいたら、私たちから縁を切ることはしない。

個々には課題の残る生徒もいる。
そう言った生徒には早速、
教科担当者が2者面談を開始している。

目標や夢を持つことが
成績向上に繋がる大きな要因になることを感じて欲しい。
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先輩から後輩へ

2010-06-28 | 塾長日記
本年1月に行った新年度説明会のDVDを今日ここにアップした。
受験を目前に控えた先輩達が後輩塾生に贈るメッセージがある。

期末試験も終了し、夏に向けて最後の中体連の大会も迫ってきている。
それが終了すると一気に受験モードに移ることになる。

今の時間をどう過ごすか、
塾の教師をどう活用するか、
二度と帰らないこの夏をどう過ごすか・・・。

先輩達のエールを聞いて欲しい。

収録時期が真冬と言うこともあって
映像内はストーブが赤々と燃えている。
子ども達の服装も完全な冬の装いで
今の時期に見るのは少々暑苦しいかも知れないが
先輩達の生の声を聞いて、この夏の栄養剤にして欲しい。

上野塾説明会動画.wmv

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魔法の赤ペン 10本目の提出

2010-06-26 | 塾長日記
昨日、魔法の赤ペン10本目の提出が出た。
使い切った赤ペンはどんな魔法を子ども達にかけてくれたのだろうか。



前回の期末試験と今回の期末試験でなんと「137点」アップの
塾生がこの赤ペン提出者にいる。
一生懸命やったね。
自分で自分に見事な魔法をかけたよ!
おめでとう!!
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私学渉外担当のH先生から学ぶ

2010-06-25 | 塾長日記
この時期、私学渉外担当の先生が塾訪問に歩かれている。
中には突然お見えの担当者も見えるが、
このH先生は当たり前のことだと仰るが「事前アポ」をきっちりお取りになる。

このGJ高校のH先生とは全くの同世代。
私が昭和35年生まれ、H先生が36年生まれ。
互いに持つ子どもの年代も近い。

このH先生は今の渉外担当になられる前に
新設学科の立ち上げを経験され、
その学科に入ってきた子ども達と懸命に戦った実経験を持たれており
教室現場がとても良く分かってみえる先生だ。

「俺がお前達の太陽だ。お前達は俺の向日葵だ。
 俺が右に動けばお前達は右を向く。
 俺が左に動けばお前達も左を向く。
 そんな関係を創って行きたい・・・
 ってまっしぐらに進んだ時代があります」と照れくさそうに話される。

私のブログもよく読まれているとのこと。
塾会のこともよくご存知であった。
一度塾会に参加させていただきたいと。
私は「どうぞ、いつでもご参加ください」とお伝えした。

子ども達には何が必要か。
強い吸引力を持った人が必要。
システムじゃない。
すべて人ありき・・・。
これが今日の我々同世代の結論だった。

学校宣伝は、ほんの3分。
それでいい。
この先生がいる学校なら子ども達にも紹介できる。

持ってきていただいたポスターを早速貼ろうと言う気持ちになって
ポスターを広げると、なんと元塾生のYSが登場していた。
階段を降りられるH先生をお引止めして、
「この生徒、先ほどお話した上野塾の塾生ですよ。
 気持ちの優しい子ですから。宜しくお願いします」・・・って。



近い将来、このH先生を塾会にご招待したくなった。
そして同世代の子ども好き、教室現場好きのオッチャンと
一杯飲みたくなった。
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歴代記録更新!

2010-06-24 | 塾長日記
期末試験結果が出始めている。

昨日の本校中1で上野塾歴代最高得点の更新が行われた。
昨年の472点の上を行く、『477点』が出た。
2科目が100点。1科目が99点。
凄いことが起こっている。

また今年4月入塾した中3生で
昨年度期末の数学得点が37点であった男子生徒が『93点』
人生が変わるよ!!

今日、明日と期末試験が行われる中学もある。
みんな、頑張って来いよ!
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知らなかった・・・

2010-06-21 | 家族
知らなかった。
私の娘がこんなこと書いていたなんて。
本人の許可は取っていない。
でもこの文章はみんなに感動を与えると思う。
永田さん、美川さん、小林さん、青木さん、林さん、
遠藤さん、藤川さん、佳奈子さん、西さん、黒田さん・・・
とよ爺先生、かねごん先生、学び舎小林先生・・・
みんなみんな、いい塾を創りましょう。
素敵な父の日の贈り物です。

---------------------------------------
娘のブログより


少し前のことだけど気持ちが落ち着いたってゆうか....
やっと思ってる事がまとまってきたから書くことにします。

6月11日に..うちゎ..お母さんからその事聞いたの。
お父さんの塾の友達の先生が事故にあった。
って。。。

その先生ゎ.まだまだ若くて.家にも来たことあって。
でも.その時は実感0に近かった。

毎日.その先生の情報は入ってきたよ?!
だけど.うちゎ馬鹿なので...
その時も実感0だった。
実感0ってより.なんか信じてた。

うちのおばあちゃんは小脳梗塞で倒れたことある。
うちの犬だって命が危険って何回か言われたことある。

でも.みんな奇跡ぉきてるうちゎ16年間の
人生の中でまだ.身内とか身の周りの人を
亡くしたことがないの。

奇跡ばっかり見てきてた。
だから.今回も奇跡は起こるんだ。
って信じてた。

でも6月13日に.その先生は亡くなった。
その日初めて現実みた。

その日は.○○ちゃんの誕生日だったょ。
その日が.すごく幸せな人もいれば
すごく悲しい人もいるんだね。。。

こんなの辛すぎるね。みんな幸せだったらいいのに。
......初めて知った。

いっつも.お父さんゎお風呂でボソボソ話してるけど←笑
11日くらいから.ため息ばっかりだった。
人が亡くなるってこんなに辛いんだ。

先生が亡くなったのゎほんとに寂しい。
ほんとに辛い。だけど.いっぱい学んだょ

先生が作った歌
絶対忘れない。

先生のこと忘れない。
先生の分まで.もっといい塾をつくろうとする
お父さん.塾の先生たちゎすっごい素敵やと思った。

こぉやって人ゎ強くなるんだね。
みんな大好きだよ。もぉ辛い思いしたくないな。
いなくならないでね。

先生.うち頑張るね。
お父さんの事も他の塾の先生のことも
ずーーっと見ててね。

みんな大好き。
忘れない。

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人として、大人として・・・

2010-06-19 | 塾長日記
○○様

いつもお世話になっています。
昨日は私共の連絡の不手際でご迷惑をお掛けしました。
お母様から欠席のメールは私の携帯に間違いなく入っておりました。
私が当日の担当スタッフに連絡を入れるのを忘れており、
お母様にはご迷惑をお掛けしたことをお詫び申し上げます。

今週は私の塾仲間が交通事故で他界しました。
青信号で交差点に入ったのに相手が信号無視で突っ込んできて
相手は軽症だったにも関わらず救急車を呼ぶこともしない。
通夜にも告別式にも顔を出さない。
人としてあってはいけないことに強い憤りを感じていました。

そんな気持ちを抱いて今週の授業に入ったわけですが、
○○さんが英語の努力結果(小テスト)でカンニングをして
答案を書いていることに気が付きました。
私は人としてあってはならないことだと判断し、
テスト用紙を没収し、皆の前で自分が今行ったことを言わせました。
子どもやることですから大きな悪気があった訳ではありませんが、
事の善し悪しの分別を大人がきっちり伝えて行く義務が
我々にはあると思って子ども達と接しています。
もしこのことで○○さんが塾に行きたくないと思ってみえるようでしたら
このメールを見せてやってください。

『○○さん、授業の時はつらい思いをさせてごめんなさい。
 子どもの時に間違いを起こすことは許されます。
 しかし大人になって嘘をついたり、人道に外れたことをすると罰せられます。
 もう誰も信じてくれません。今回の件はそれを気付かせてくれる
 いい機会だったと思います。自分のしたことを反省して
 もうこんなことはしないと強く心に刻むことができればそれでいいのです。
 子ども達はこうやって成長して行くのですから。
 ○○さん、待っていますから』

このこと以外が塾を休む引き金になった場合は、
この件はお母さんの心の中に閉まっておいてください。
これが上野塾の塾長の考え方なのだと思っていただければ結構です。
○○さんを責めないでください。子どもはこうやって成長して行くのですから。

前述のメールの件、本当に申し分けありませんでした。重ねてお詫び申しあげます。

                            上野塾 上野義行
-----------------------------------
お母様から夕方電話をいただいた。
「先生のお考え良く分かりました。
 子どもにも話しました。申し訳ありませんでした」と。
私は「こちらこそ、宜しくお願いします」と・・・。

ありがとうございます。

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男たるものは・・・

2010-06-18 | 塾長日記
今回の森裕也さんの通夜、告別式を通して多くの男気に触れた。
森裕也さんのお父様の配慮で、地元三重県で通夜と葬儀を執り行うのではなく
裕也さんを1番知る地域(塾のある海部郡大治町)で行なわれた。

永田さんは裕也さんとの最期の別れを現塾生と卒塾生にしてもらおうと
今までの生徒名簿を片手に全ての元塾生に連絡を入れた。
既に住所が変わってしまっている塾生宅もあったが
子供同士の繋がりで連絡をして欲しいと発信した。

通夜が行われる15日は現塾生の中2が宿泊研修ということで
最期の別れが出来ない。通夜も告別式も参列できない。
そこで永田さんは通夜が行われる前日、森さんが一時眠る別の斎場へ来るように案内した。
我々は塾で永田さんの帰りを待ったが、なかなか戻れるような状態ではなかった。
次々と森さんにお別れをしたいと言って、中2生に留まらず
卒塾生も保護者様も駆けつけてみえた。

彼はお父様のご配慮に応えることは
皆で森さんを送り出してやることにあると判断し
通夜では昨日の記事ように200名を越える参列者であった。

告別式の日は昼間なので塾生は学校の授業があるが、
学校の先生に頼んで途中授業を抜けて来た子どももいた。
学校の先生に事情を話したら「行ってきなさい」って言っていただけたそうだ。
実に温かい担任の先生だと思った。
その子どもたちを送迎していただいた保護者様にも頭が下がった。

永田さんはその気持ちの優しい子ども達にお礼を言って
森さんの最期を見届けるように話していた。
そして告別式も終わり最期のお別れの時に
永田さんは森さんの横に座り込んで最期の別れをしていた。
眼を真っ赤にして、一時も森さんから眼を離さず話しかけていた。
森さんのお父さんやお母さんにも自分の思いを伝えた。
あの場にいた参列者は永田さんの男気を感じたことだろう。
男の自分がその姿を見て『男やのう・・・』って思ったのですから。

永田さんは自分の立ち位置を心得ていた。
参列者の皆さんに気配りする姿があった。
それを見た永田さんのお父さんがひと言私に言われた。
「久(ひさし)は今日、いっぱい泣きおったな・・・」って。
その眼には我が息子の取るべき行動に拍手を贈る眼差しがあった。
永田さん、立派だった。

そして森さんのお父さんにも男気を感じた。
私が森さんのお父さんの立場だったら、もっと取り乱していただろう。
自分の子どもが、ある日突然天に召すことになったらやりきれない。
それは森さんのお父さんとて同じこと。
それをぐっとこらえて気丈に振舞ってみえた。
煮えたぎるであろう感情を心の中にしまい込み
参列者の方々と冷静にお話をされ、命の大切さを話されていた。
「これが男か」って思った・・・。

『まだまだ俺はひよっこじゃ』って・・・。
人生奥深い、その域に到達するまで
もっともっと器量の大きく、懐が深い男にならねば・・・。
この2日間で大きな勉強をさせていただいた。

私はこの学びを活かせる男でありたい。
心からそう思った。
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森裕也 永久に・・・

2010-06-17 | 塾長日記
↓四畳半スクールと上野塾だけで始まった第1回塾会
 森の初めての研修授業。塾会の目的は教務指導力の向上から始まった。



↓会を重ねるごとに塾会賛同塾も増え、森の授業力もアップしてきた。



↓白衣染めのコスチュームから森は、より高いステージに立つようになった。



↓このグレーのコスチュームが森のトレードマークになった。



↓TDSのビアバーにて。
 森はすでに酔っ払いモード



↓それが6月13日、突然の交通事故で帰らぬ人に・・・。



↓通夜・・・。
 大粒の雨が降りしきるなか200名を越える
 参列者が集まった。今までの塾生さんたちの
 ほとんどが集まったと言う。 



↓彼が我々のことを想って綴った「J-LOVE」が流れる。



↓自らが作詞をした我々の「J-LOVE」ソング。



↓それを見入る塾生と保護者様



↓彼が染めたグレーのコスチューム。



↓この裾部分に書いてある「ド素人はスッコンデロ!」
 こんな風に言われないように自分の授業ももっともっと精度を上げる。
 そうでないと森に示しがつかない。



↓告別式は昨日の雨はすっかり北に通り過ぎ、快晴となった。



↓森の愛煙のSPIRIT煙草。
 皆で森を想いながら一服した。残りの煙草を
 本校ICHIRO室に永久に保存する。



50からの塾人生は、人生最期の10年として捉え、
自分が満足する塾を必ず創り上げる。
それを決意させてくれた森の旅立ちの日であった。

森裕也よ。
俺達の心にはずっと生きているから・・・。
決して忘れない。
いつも見ていてくれよ。

J.LOVE.wmv


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森が飛び回っているよ

2010-06-16 | 塾長日記
通夜・告別式も終わり、ひとり教室にいる。
爽やかな風が通り過ぎていく。

そんな中、永田さんからメールが届いた。
今日までのお礼とこれからの自分のことが
謙虚に綴ってあった。

ずっと森は俺たちの心の中にいるよ。
また風が吹いた。
森が皆に会いに来ているよ。
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森裕也の為にも・・・

2010-06-15 | 塾長日記
6月13日、塾の仲間の森裕也が逝ってしまった。
救急病院に行って彼の顔を見た時は涙が溢れた。
何故この若さで・・・。
「何もお前は悪いことしとらんじゃないか!」って叫んでいた。
昨日は塾仲間が名古屋の斎場に集まって森裕也に別れを告げた。

俺たちは立ち止まっておれない。
森裕也の為にも自分の立ち位置にしっかり根を下ろして
強い根っこのある塾を創り上げる使命がある。
それを改めて感じた。

今日の授業、森裕也が後押しをしてくれているようで
元気・覇気が自分の身体の中から湧いてきた。
森裕也もこんな上野であって欲しいと思って
天から見ている気がしてきた。

今日は森裕也の通夜。
精一杯の心を込めた見送りをしてくる。
森裕也と縁があった子ども達も明日斎場に集まってくる。

森裕也、作詞・作曲の「J-LOVE」を彼自身が歌ったDVD。
明日もきっと流れることだろう。
裕也が私たち塾会メンバーに残してくれた贈り物なのだ。

J.LOVE.wmv




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三者懇談から学ぶ

2010-06-11 | 塾長日記
上野塾は5月17日から全塾生(高校部除く)の
三者懇談を実施している。
最終日は6月18日となっているが、
丸1ヵ月のロングランである。

期末試験にむけての学習法や
塾での様子、自宅での様子を
塾生本人、親御さん、教師とで
20分~30分、話をさせていただく。

その中でこんなお母さんに会った。
「ものごとを決める時は本人に考えさせます。
 最終的には私たち親が決めますが、
 頭ごなしに 一方的な結論は言いません。
 一度本人が考えてからです」と。

こういったスタンスだと子どももひとつのことを決める時に
自分なりの考えや自分の意思が入る。
たとえ自分が思ったことが通らなくても
能動的な時間を持つことができるわけだ。

話が終わって帰られる際、
塾から渡した資料を見てお子さんにひと言。
「この資料はあなたが持ちなさいね。あなたのですから」・・・。
決して褪めた言い方ではなく愛情に裏づけされた口調で。
見事な親子関係を築いてみえる親御さんだった。


上野塾年間行事紹介はここ
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黒々とした髪???

2010-06-10 | 塾長日記
昨日の岩手の大検セミナーの金田先生こと
かねごん先生の記事にコメント入れたら
こんなリターンをいただいた。

--------------------------------
<上野のコメント>

かねごん先生、こんにちは。
素敵ですね。

ザビエル宣教師に似た、
前世牧師のかねごん先生。

なんかつながりますね。

自由帳のイラスト是非アップしてください。
そのイラストを背景にした
第2弾かねごんカブトムシPVを
とよ爺先生が作ってくれますよ。

見たいな~。

<かねごん先生のコメント>

上野先生コメントを頂きありがとうございます。
塾の子供達は僕を肴にして、いつも戯れています。
ハゲネタは一番笑いが取れやすいので僕は楽をしていますが(・・笑い)。
上野先生の黒ぐろとした髪が羨ましい・・・。

--------------------------------

この黒ぐろとした髪???
私の髪は細く、赤茶色でこしのない髪です。
パーマネントでごまかしているだけです。
決して黒々とした髪ではありませんので。

連続投稿を維持する為に、
ネタがない時は、人から借りることも・・・。
お許しください。


もう少し見たい方。
中年リーゼントはここ
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今日はお袋の81回目birthday

2010-06-09 | 家族
今日6月9日はお袋の誕生日。81歳になる。
2007年1月に小脳梗塞で岐阜日赤に入院し、
幸いにも大きな後遺症も出ることなく、
今はゆったりとした人生を送っている。

48歳で親父と死別し、その後33年間一人で生きてきた。
この歳になると連れ合いがいないことを寂しく思うようだ。
50代のころは母子寡婦連合の会長を引き受け、
自分と同じような母子家庭の母親支援に飛び回っていた。

親父が死んでから生きて行くために自動車免許を取得した。
自動車学校は若者がごった返すなか、一番高齢な免許取得生だった。
自動車学校を卒業する時、同期生を代表して誓いの言葉を読んだ。
それが自宅の座敷に掲げてある。

昨日は免許の更新に必要な高齢者講習を受けに行った。
私のような田舎住まいでは自動車がないと身動きが取れない。
自転車に乗れなくても自動車には乗れる。
自動車の運転も我々から見ると実にたどたどしい動作での
ギア操作やハンドルさばきであることは言うまでもない。
あまり遠くに行かないようにと言っているが
自宅から半径15キロくらいは走り回っているようだ。

去年、軽自動車を新調した。高齢者に新車を販売する
ディーラーの営業マンも気を遣っていた。
「息子さんに許可を取らなくてもいいですか?」って。
「私が乗るんだから私が決める。代金も私が払うからいい」って。
女手ひとつで私と妹を育て、男社会で生き抜いてきたお袋だから
孫の面倒も見終え、自分の身体が思うように動かなくなった歳になっても
気持ちだけは毅然としている。

精一杯働いたのだから、これからは季節を感じて
ゆっくりゆっくり生きてくれればそれでいい。
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亀山が訪ねてきた

2010-06-08 | 塾長日記
高井の紹介を先日した。
就職内定を得て、晴れて来春は社会人だと・・・。
そのブログを読んだ亀山が日曜日に自宅に顔を出してくれた。

「消防士試験に向けて頑張っています。
 今日は模試がありました。
 A判定をもらいました。
 また、自動車会社の営業マンの就職内定も頂きました。
 中学生で言う滑り止めです」って・・・。

塾に興味はないか?と私が尋ねると
「大いにあります。その気持ちはいつまでもあるでしょう。
 でも今は消防士一直線で進みます」って。



若いから果敢にチャレンジすればいい。回り道をしてもいい。
納得できる、人のお役に立つ仕事と出会うことだ。
そんな話をしながら彼が差し入れに持ってきたスーパードライを
私は遠慮なくいただき、彼はノンアルコールを飲んでいた。

そんな日曜日の深夜であった。亀山の紹介はここ
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