旅立つ子ども達に贈る言葉
本日は上野塾卒業式に参列してくれてありがとう。
卒塾式ではなく、卒業式にした訳を話します。
あなた達はひとつの業(ぎょう)、
[業とは仕事、技、なりわい、学問を指します]にひとつの区切りをつけ、
新たな旅立ちの日を迎えました。
区切りを付けることは「節目」を付けること。
これから更に伸びていくため、自分自身を強くするため、
幾多の困難に遭遇しても折れない心と行動力を備えるために
一区切りの節目を付けることが必要だと感じたから
上野塾卒業式を開きました。
みんな! 卒塾はしないでください。
ずっと上野塾と関わりを持ってください。
大学受験の報告、就職の報告、結婚の報告、
将来のあなた達の子どもを私達に見せに来て下さい。
そんな節目節目に上野塾を思い出してくれれば
私達はこの上ない幸せを感じます。
今日という日は、決してあなた一人で迎えられた訳ではありません。
私が「尊敬する人は誰ですか」と問えば
間違いなくあなた達は「お父さん、お母さん」だと答えるでしょう。
いや答えるべきですよ。
親にとって子どもは宝者。親は自分の子どもに命を賭けられます。
自分の子どもの命が危ない時、躊躇せず自分の命を投げ出すのは
あなた達のお父さんでありお母さんなのです。
これは親になって初めて分かることです。
あなた達もその年齢になったらきっとこの言葉の真意が分かると思います。
でもあなた達のことが可愛くて可愛くてたまらないから、
大事に大事に育てるのか?腫れ物に触れるように接するか?・・・。
いや違います。それはあなた達の自我が育っていない幼少の頃は
溺愛することもあります。
しかしこの十五歳の歳を迎えたあなた達を
オブラートに包むように接する親はおりません。
現に上野塾に通わせていただけたことが
あなた達の自立を願うお父さん、お母さんの思いなのです。
それに応えたく私たちはあなた達と接してきました。
教室にいる時の私や西国原や杉浦はみんなの親父。黒田は母親。
迫田一輝、遠藤慎太、上野純平、安田健大、加納匠、高木滉太は兄貴、
迫田恵理子は姉貴。
そして新年度から常勤教師として加わる、林佳奈子、渡辺ちひろも
今後上野塾の中で役割を担って、
正面から子どもたちにぶつかって行ってくれると思います。
今日ここにいる私たちは本当に厳しい父親、母親だったと思います。
でも今日の私たちはどこにでもいるようなオジサン、オバサンです。
何故だか分かりますか?
それはあなた達が立派に業(ぎょう)を成し遂げ、
私たちの役目は果たしたから普通のオジサン、オバサンになったのです。
私はこんな言葉をふと目にしました。
私の考えと相通じる感覚を持ったので伝えます。
『鏡は先に笑わない』・・・。
「自分が笑わなければ子どもは笑わない。
親が楽しんだり努力したりすれば子どももついてくる」と・・・。
私は塾の中でもみんなや仲間の教師達にこんな思いで接しています。
夢を持つことの大切さ、それに向かって進むことの尊さ、
結果が出ない時の自分のあり方、取るべき行動の本意を考えます。
でも私はよく失敗をします。
一人で思い悩んだりすることも人一倍多い人間です。
しかしまた歩き始めることの勇気も覇気も持ち備えています。
今日はそんな私の気持ちを汲み取ってくれた塾長補佐集団が
あなた達に最後の言葉を贈ります。
最後に本日参列していただいた保護者様、
お忙しいところ本当にありがとうございます。
卒業証書もありません。気の利いたサプライズもありません。
あくまでも自然体で上野塾らしくこの卒業式を執り行います。
宜しくお願い致します。
平成二十五年三月二十三日
上野塾 塾長 上野義行