拝啓 ICHIROさん
今日の10年連続200本安打をお祝い申し上げます。
いつもICHIROさんから「小さなことの積み重ねの大切さ」を
学ばせていただいています。
200安打を達成した時のコメント集を見つけました。
確かな足跡を感じます。
<2001年:8月28日=132試合目、中安打>
「(日本とは)野球そのものが違いますから、
単純に比べられませんね。数字はシーズンを過ごすうちに、
ぼんやりと見えてきた気がします」
<2002年:9月22日=156試合目、左二塁打>
「200本は得点(100)と2つ、僕が数字で挙げられるもののひとつ。
僕の中では大きな価値がある。安打はいつだって難しい。それに変わりはないです」
<2003年:9月20日=155試合目、適時打>
「200という数字がいかにタフな数字かよく分かった。
簡単には口にできない。メンタル面がいかに肉体に影響するか、すごく感じました。
こういう苦しみはプロになってからはない」
<2004年:8月26日=125試合目、中本塁打>
「あと1本になってからの10数打席はやたら長く感じましたね。
(本塁打で達成に)男前じゃないですか。狙ったと言いたかったところですが。
常にプレッシャーを感じていられる選手でありたい」
<2005年:9月30日=160試合目、右安打>
「(チーム低迷もあり遅いペースに)キレそうになったがキレなくてよかった。
200という数字がそれを解き放ってくれた。シーズン前、
いろんな人に『まずは200本ですね』と言われて、
ものすごいストレスになりましたね」
<2006年:9月16日=148試合目、左安打>
「重かったですね。解放されました。(メジャーデビュー以来)続けてるんでね。
途切れていれば別でしたけど。何回やっても強い自分にはなれない。
リラックスするには、この日を迎えるしかなかった」
<2007年:9月3日=135試合目、右本塁打>
「(クレメンスから本塁打で達成し)しばらく出ていないホームランが
ここで出るのは何かあるよね。ちょっといい感じだなと思って
『よー、いい感じ。いい感じ』って思いながら走った。
(クレメンスは)ビッグネームだから、いい記念になりますよ」
<2008年:9月17日=151試合目、遊撃内野安打>
「めちゃくちゃしんどかったです。今年は何としても200本を外せない年。
0から意識する年でしたからね。めちゃくちゃうれしい。
それを見せるか見せないかですけどね」
<2009年:9月13日=出場128試合目、遊撃内野安打>
「解放されましたね。人(の記録)との戦い、争いに終わりを迎えることができた。
そこからくる解放感。(地元に戻る)ぎりぎりで達成できた。
(左ふくらはぎ故障で欠場した)あの8試合がなければ地元の人が喜んでくれた。
(運を)持っているのか持っていないのか分からない」
<2010年:9月23日=152試合目、中前安打>
「1年目に、彼(対戦相手の投手)からヒットを打てますか、という質問が飛んできた。
でも(いまは無安打だと)なぜヒットが打てないんですか、という質問に変わった。
周りを変化させられたことにちょっとした気持ちよさはある。
(ローズの記録は)ぜひ超えてあげたいと思いますね。
(投手有利の時代にも)僕の中にオプション(選択肢)がある。
対応の引き出しが幅を生む」
元気をいただけるICHIROさんに乾杯!
四畳半スクール永田さんもICHIROさんが大好きです。
ささやかな自己満足です。
今日の10年連続200本安打をお祝い申し上げます。
いつもICHIROさんから「小さなことの積み重ねの大切さ」を
学ばせていただいています。
200安打を達成した時のコメント集を見つけました。
確かな足跡を感じます。
<2001年:8月28日=132試合目、中安打>
「(日本とは)野球そのものが違いますから、
単純に比べられませんね。数字はシーズンを過ごすうちに、
ぼんやりと見えてきた気がします」
<2002年:9月22日=156試合目、左二塁打>
「200本は得点(100)と2つ、僕が数字で挙げられるもののひとつ。
僕の中では大きな価値がある。安打はいつだって難しい。それに変わりはないです」
<2003年:9月20日=155試合目、適時打>
「200という数字がいかにタフな数字かよく分かった。
簡単には口にできない。メンタル面がいかに肉体に影響するか、すごく感じました。
こういう苦しみはプロになってからはない」
<2004年:8月26日=125試合目、中本塁打>
「あと1本になってからの10数打席はやたら長く感じましたね。
(本塁打で達成に)男前じゃないですか。狙ったと言いたかったところですが。
常にプレッシャーを感じていられる選手でありたい」
<2005年:9月30日=160試合目、右安打>
「(チーム低迷もあり遅いペースに)キレそうになったがキレなくてよかった。
200という数字がそれを解き放ってくれた。シーズン前、
いろんな人に『まずは200本ですね』と言われて、
ものすごいストレスになりましたね」
<2006年:9月16日=148試合目、左安打>
「重かったですね。解放されました。(メジャーデビュー以来)続けてるんでね。
途切れていれば別でしたけど。何回やっても強い自分にはなれない。
リラックスするには、この日を迎えるしかなかった」
<2007年:9月3日=135試合目、右本塁打>
「(クレメンスから本塁打で達成し)しばらく出ていないホームランが
ここで出るのは何かあるよね。ちょっといい感じだなと思って
『よー、いい感じ。いい感じ』って思いながら走った。
(クレメンスは)ビッグネームだから、いい記念になりますよ」
<2008年:9月17日=151試合目、遊撃内野安打>
「めちゃくちゃしんどかったです。今年は何としても200本を外せない年。
0から意識する年でしたからね。めちゃくちゃうれしい。
それを見せるか見せないかですけどね」
<2009年:9月13日=出場128試合目、遊撃内野安打>
「解放されましたね。人(の記録)との戦い、争いに終わりを迎えることができた。
そこからくる解放感。(地元に戻る)ぎりぎりで達成できた。
(左ふくらはぎ故障で欠場した)あの8試合がなければ地元の人が喜んでくれた。
(運を)持っているのか持っていないのか分からない」
<2010年:9月23日=152試合目、中前安打>
「1年目に、彼(対戦相手の投手)からヒットを打てますか、という質問が飛んできた。
でも(いまは無安打だと)なぜヒットが打てないんですか、という質問に変わった。
周りを変化させられたことにちょっとした気持ちよさはある。
(ローズの記録は)ぜひ超えてあげたいと思いますね。
(投手有利の時代にも)僕の中にオプション(選択肢)がある。
対応の引き出しが幅を生む」
元気をいただけるICHIROさんに乾杯!
四畳半スクール永田さんもICHIROさんが大好きです。
ささやかな自己満足です。