虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

拝啓 ICHIROさん

2010-09-24 | 塾長日記
拝啓 ICHIROさん

今日の10年連続200本安打をお祝い申し上げます。
いつもICHIROさんから「小さなことの積み重ねの大切さ」を
学ばせていただいています。



200安打を達成した時のコメント集を見つけました。
確かな足跡を感じます。

<2001年:8月28日=132試合目、中安打>

「(日本とは)野球そのものが違いますから、
 単純に比べられませんね。数字はシーズンを過ごすうちに、
 ぼんやりと見えてきた気がします」

<2002年:9月22日=156試合目、左二塁打>

「200本は得点(100)と2つ、僕が数字で挙げられるもののひとつ。
 僕の中では大きな価値がある。安打はいつだって難しい。それに変わりはないです」

<2003年:9月20日=155試合目、適時打>

「200という数字がいかにタフな数字かよく分かった。
 簡単には口にできない。メンタル面がいかに肉体に影響するか、すごく感じました。
 こういう苦しみはプロになってからはない」

<2004年:8月26日=125試合目、中本塁打>

「あと1本になってからの10数打席はやたら長く感じましたね。
 (本塁打で達成に)男前じゃないですか。狙ったと言いたかったところですが。
 常にプレッシャーを感じていられる選手でありたい」

<2005年:9月30日=160試合目、右安打>

「(チーム低迷もあり遅いペースに)キレそうになったがキレなくてよかった。
 200という数字がそれを解き放ってくれた。シーズン前、
 いろんな人に『まずは200本ですね』と言われて、
 ものすごいストレスになりましたね」

<2006年:9月16日=148試合目、左安打>
 
「重かったですね。解放されました。(メジャーデビュー以来)続けてるんでね。
 途切れていれば別でしたけど。何回やっても強い自分にはなれない。
 リラックスするには、この日を迎えるしかなかった」

<2007年:9月3日=135試合目、右本塁打>

「(クレメンスから本塁打で達成し)しばらく出ていないホームランが
 ここで出るのは何かあるよね。ちょっといい感じだなと思って
 『よー、いい感じ。いい感じ』って思いながら走った。
 (クレメンスは)ビッグネームだから、いい記念になりますよ」

<2008年:9月17日=151試合目、遊撃内野安打>

「めちゃくちゃしんどかったです。今年は何としても200本を外せない年。
 0から意識する年でしたからね。めちゃくちゃうれしい。
 それを見せるか見せないかですけどね」

<2009年:9月13日=出場128試合目、遊撃内野安打>

「解放されましたね。人(の記録)との戦い、争いに終わりを迎えることができた。
 そこからくる解放感。(地元に戻る)ぎりぎりで達成できた。
 (左ふくらはぎ故障で欠場した)あの8試合がなければ地元の人が喜んでくれた。
 (運を)持っているのか持っていないのか分からない」

<2010年:9月23日=152試合目、中前安打>

「1年目に、彼(対戦相手の投手)からヒットを打てますか、という質問が飛んできた。
 でも(いまは無安打だと)なぜヒットが打てないんですか、という質問に変わった。
 周りを変化させられたことにちょっとした気持ちよさはある。
 (ローズの記録は)ぜひ超えてあげたいと思いますね。
 (投手有利の時代にも)僕の中にオプション(選択肢)がある。
 対応の引き出しが幅を生む」


元気をいただけるICHIROさんに乾杯!



四畳半スクール永田さんもICHIROさんが大好きです。



ささやかな自己満足です。









コメント (5)
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