年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

2024年麻布十番納涼祭り

2024年08月25日 | 宅老のグチ
この前都立中央図書館へ行った時、麻布十番商店街で納涼祭りの告知広告を見ていて、先に在日韓国人歴史館での展示 BC級戦犯の問題をはっきり見たく、力道山生誕100年の展示、さらに高校野球の結果表示もどう変化したか、確認したかった。つまり麻布十番行きは野次馬と言うことに尽きる。BC級戦犯問題は戦場のメリ-クリスマスという映画で、捕虜の扱いで戦後に占領軍によって裁かれた。この問題は日本捕虜誌という本を著した長谷川伸の本を読んで知識としてあったが敗戦間際に徴兵された兵士にとって、国際法の知識があったのだろうか。捕虜の扱いが日露戦争の時までは良かったが、次第に見下し感と捕虜への態度が変わっていったという。
 何回か朝鮮半島の人達の渡日の様子を歴史館で展示物を見たか、日本が明治維新後にすぐにハワイ等に出稼ぎ移民をした歴史と気持ち的に合致しない。どこに差があるのだろうか。日本人は出ても戻る意識が根本的にあったのだろうか。タクワン貿易の歴史から、そのように感じる。
 麻布十番の祭りは日本では一番想像できない祭りで、太鼓の演奏もあるがジャズ等の洋楽の多い祭りで、異国文化が日本文化に混じるとこのような祭りとなる。屋台より、簡易テントの出店。日本酒よりビ-ル・ワインで肉系のつまみ。それゆえ子供の姿はいるのだが目立たない大人の男女の祭り。

 暑すぎ、混みすぎ すぐ退散。この祭りは年寄りと子供には不適切な祭り。来週は台風の週。どんな水難があるのだろうか。それてほしい。

 都立中央図書館で読んだ本は昭和25年の埼玉県水害誌という本でカスリ-ン台風の被害等の記録の本で決壊の原因は小さく戦時中の大蔵省が利根川決壊の現場に予算を付けなかったという。今の日本史では戦時中の木の伐採と台風としているが、普通の大雨のカスリ-ン台風。房総沖を通過していている。この水害が昭和22年の作柄が豊作予想だったのが埼玉県を大不作となった。寅につばさの朝ドラで餓死した裁判官は1947年(昭和22年)10月11日に33歳で餓死した.。記憶に残る台風となる。ここからララ物資が日本に来るようななった気がする。日本の赤化を恐れた様子が見える。
今度の台風は令和のカスリ-ン台風となって欲しくない。今の量販店のコメ売り場は空っぽで台風の被害があればコメ騒動となる気がする。すでに観光土産が米となりつつある。地球温暖化でコメの品質が悪く、貧乏人は何を食するのだろうか。忍者は霞を食う。空気は読んでも食って腹は膨れず、怒りが膨れる。でもまだ米は激安と思う。
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