年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

フィラデルフィア万博 /米国建国100年祭

2024年08月14日 | 福神漬
石井研堂の明治事物起源 缶詰の始まり に次のような文章がある。
明治8年1875年米国費府(フィラデルフィア)に、大博覧会あり、事務官関沢明清出張し、閣竜(コロンビア)州において、缶詰法を学べり。本邦すでに缶詰法行われたれど、その排気法等なほ不十分にて、久しき貯蔵に堪えざりしによる。
関沢明清
フィラデルフィア万国博覧会に参加。欧米の進んだ水産技術に衝撃を受け、日本にとっても水産業振興策は重要施策と考え、アメリカ式近代捕鯨やサケ・マスの人工ふ化、缶詰製造法を習得し、日本に導入した。
日暮里諏訪台の浄光寺にある、福神漬顕彰碑の揮毫者は大日本水産会の村田保。関沢明清と共に水産伝習所(今の東京海洋大学の前身)の充実に力を入れました。福神漬缶詰は普通は農業と関連があると思われますが缶詰の事業には水産系が輸出産業として必要だったのです。水産業は季節によって漁獲できず、缶詰工場の稼働率が維持できないことがあります。その点漬物の福神漬は軍の需要のため安定していました。ロシアとの戦争後に軍用の福神漬缶詰が激安で払い下げられ缶詰が日本人に副食として普及していきます。
 フィラデルフィア万国博覧会はアメリカ独立戦争開始百周年記念の博覧会で、アメリカ独立は翌年の1776年の事でした。フランスのナポレオンの長期に食料が保存でき、持ち運びできる食品の懸賞が缶詰の始まりで、そこからドイツ・イギリス・アメリカで缶詰が普及改良されていきました。
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