年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

東京新聞の旧築地市場の地下の浴恩園の遺跡報道8/8日

2024年08月09日 | 宅老のグチ
急に旧築地市場の地下から大名庭園が見つかったという報道があった。実に驚く書き方である。この庭園は築地市場で働いている人は、正門前と大江戸線築地市場駅入り口の間に金属板に説明がある。

中央区の観光案内から「現在の雑踏の巷である中央卸売市場の地は、かつて天下の名園とうたわれた浴恩園があったところです。浴恩園は、寛政四年(1792年)白河楽翁公(松平定信)が一万七千余坪の地を得て隠居した地で、園内には春風池、秋風池、池を囲む築山などがあり、まさに塵外の別天地といわれていました。旧園の跡は関東大震災で消滅し、その面影を刻んだ銅版画が築地市場正門脇歩道の塀に掲示してあります。

 築地市場移転問題での論争中に移転反対・築地再建で動いていた人たちは、浴恩園遺跡を語らず、再建の支障となることを恐れていた。その根拠として鉄道開業時の汐留停車場の遺跡調査が長引いていて、結局妥協の産物言うべき新橋停車場の復元が残っている。高輪台の物流博物館には貨物停車場となった汐留のジオラマと写真が残っている。日本の物流の変遷は欧米に比べて水運以外は非常に遅れていて今でもその後遺症が残る。山と川、頻繁な天災が日本の発展を妨げている様子が見える。

 築地の再建でTVのコメンテイタ—が新宿等の駅改良工事で、無休で工事を行えるから、築地再建でも出来るはずといっていた。これは実情を知らない暴言で、浴恩園問題を知らない発言でもある。築地市場の地下には、時代順に示すと、浴恩園・江戸時代中期、海軍伝習所、海軍経理学校、米軍ランドリ-(洗濯場)原爆マグロ(ビキニ環礁で被爆したマグロが築地市場で行き先が無く、埋め立て廃棄)

 結局また妥協の産物として浴恩園がどこかに残ると思うが、新橋停車場のような現地保存はあまりにも跡地の中心にあって、無理とおもう。汐入の庭園は浜離宮とか清澄庭園もある。

 築地市場の地下の問題は雇用の問題と誰も知らない。築地で働く人たちは経営者の親族で無いとほとんど新卒で働いている人は少なく、転職組が大部分である。体力系の仕事で運転免許の方が学歴より必要性がある。荷受けだけが新卒の入社がある。後は事務系の女性の新卒が目立つ。

 このことから一部分の再建工事が築地市場で進み、そこで次の建築工程問題でとん挫した。400億円捨てることになった。この理由は場内の売り場の工事による部分移転で、買参人と工事現場と仲卸店舗の分断が地下の遺跡調査で長引く懸念があった。すると分断された地域に一時移転となった水産仲卸店は売り上げが激減する可能性が出る。東京都は売り上げ減の補償は前例がないため、無保証。これでとん挫した。複数店舗を持っている水産仲卸は激減した工事移転の店舗から、移動させることが出来るが、単独店は廃業に追い込まれる。従業員がライバルの仲卸に移動するためである。給与が下がる店には居られないからである。築地市場の水産仲卸店舗位置は重要で、4年に一度の店舗移動は公平感の演出でもあった。位置によって4年間の売り上げが変わる。青果部の仲卸は水産ほど店舗位置は重要ではない。それはセリが終わると直接八百屋等の車に積み込む。水産仲卸はセリ場から自分の店舗に持ち込むことが多い。大口は青果と同じ。

 豊洲では多分店舗移動は個別だろう。設備費用が掛かりすぎるし、売り上げがス-パ-中心となり店舗は料理人だけとなる。
コメント
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