年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

台風の余波の雨模様なので

2024年08月27日 | 宅老のグチ
先日埼玉県立熊谷図書館で司書さんがカスリ-ン台風の本を検索し、出してもらう内に郷土資料の部屋の本を眺めていた。気になる本が1冊あって、手に取ってみた。埼玉県の忠魂碑という本で中身を読むと、神社の神職さんが氏子さんからの問い合わせで、神社内の慰霊碑について聞かれたが、知識なく元締めの埼玉の神社組織の人に問い合わせたことからこの本が出来たようだ。
 この本の題名にあるように忠魂、慰霊、留魂等々の様々な慰霊を意味する言葉で石碑が埼玉県の神社、学校、墓地、寺院等に建てられている様子が見えます。公的施設である公園等にも戦没者慰霊碑がある様子が見えます。この本が都内で読むことが出来るか調べると埼玉県は多くの市の中央図書館で読むことが出来るが、東京は読めないようだ。
 戦後に占領軍の指令で軍国主義の遺物の破壊が命令されていたが埼玉県の小学校の一部に慰霊碑等が残っている。特攻で戦死した叔父の出身小学校には日露戦役の出征兵士の碑がある。GHQに対する反発があったのだろうか。
 カスリ-ン台風で大被害となり、豊作予報から不作となり、割り当て供出米制度の不備からGHQに対して、戦前の軍部と同じように強制されたコメ供出に反発があった想像できる。そこにはヤミ米需要があって、高価格でさらに物々交換の様子が文献から見える。
 今度の日本本土にやってくる台風10号は新米の出回りを遅らすかもしれない。煽り行為はすでにあって、様々な情報が出回っている。
 宮崎沖の地震、それによる備蓄、異国人観光客需要、昨年度の高温障害による不作、低品質、ウクライナ戦争による代替食料の高騰によるコメへの需要移動などが想定できる。すでに激安量販店には最低量の値上げした米しか入荷していない様子が見える。コロナの初期のトイレットペ-パ-の買い占めに似ている。
1993年、日本は深刻な米不足にあえいでいました。同年の日本の米の生産量は979万3000トンと、前年比74.1%にまで落ち込みます。原因は1913年以来、80年ぶりの大冷夏でした。緊急輸入となったのですが、コメの品質が日本人の好む米でなく、パサパサとした米で炒めて使うしかなく、箸ではポロポロとこぼれた思い出があり、最終的にはかなりのコメが余った。そして翌年は猛暑となり大豊作で平成の米騒動の記憶を無くした。農業にはこのようなことがある。人は普通の事が長く続くと、常態として記憶の上書きがあって過去の記憶を消し去る。
 平和が79年続いていて、常態としているが、世界は戦時となっている。食がいつでも自由に確保できるのが常態ではない。今度の10号のコ-スによって大被害と言うこともありうる。

コメント
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