年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

都立中央図書館の個人伝記の所で

2024年08月01日 | 宅老のグチ
35度を超える暑さで、自宅蟄居の生活をしていて、オリンピックばかりの報道で、テレビ無しの生活から家から外出したくなった。いきなり定刻のバス便が目の前を通過して行ってしまった。多くのバス停の時刻表は予定時の1から2分遅れで着くのだが夏休みの期間に入り、暑さでノロノロ高齢者の外出が減り、さらに車の交通量も減っている気がする。バス便は一定の停留所で時間調節するので暇な時には定時に着く。この暑さで遮る日陰の無いバス停で待つ時間を減らす歩き方をしていた。分速80Mは不動産屋的歩行速度だが自分はこの速さでは夏でも冬でも汗をかく。そこで汗をかかない速さで歩くと適度の風で冷やされる。35度を過ぎていて、分速60M台で歩き、信号待ちもあって、バス停寸前で予定のバスがでてしまった。そこで罰として10分待つ。
 大江戸線麻布十番駅で降りて都立中央図書館へ行くのだが、坂が多くユックリ歩いていても汗が出る。図書館はエアコンが効いているのだがハンカチはすぐに汗でびっしょり。
 検索のパソコンで三野村利左衛門を検索するが、開架の所にある様で,蔵書の場所の地図をプリントし3階の個人伝記の所へ行く。アイウエオ順に個人伝記は並んでいて、時々並び替えてある。み の所で2冊見つける。ふと目をそらして、特攻セズ 美濃部正の生涯 境 克彦著 -- 方丈社 -- 2017.8 という本が目に付き、3冊を持って空いている席に座って読む。三野村利左衛門は叔父の特攻と福神漬に関係がありそうな予感がしていて、あくまでも予感なので、期待はしていない。それでも読んでいると隅田川を散歩していて、三囲神社を訪問した時、何か三井関係の奉納が多いと感じていた。三囲という感じから、三井というようだ。江東区の郷土資料を収蔵している深川図書館は大江戸線白河清澄駅に近い。この図書館で明治16年の東京高等法院で福島事件の裁判があって、その判決文の中で被告人の住所が深川伊勢佐木町となっていて、深川図書館の人とその場所を探した。今は区画整理があって、さらに道路拡張もあり、それでも清澄庭園は動いていないので、おおよその位置は地下鉄の公園出口と思った。多くの地所が三野村と三菱となっていた。
 東京の下町は関東大震災と昭和20年の大空襲で被害を受け、区画整理で地図での捜索と記録収集は難しい。都立中央図書館で三野村清一郎著の本が検索で出てこない。家で検索すると出る。おかしい。この件で深川図書館へ行くしかないとおもう。
 3冊目の特攻セズ 美濃部正の生涯を読み始めて、いつものように書き出しと、最終章を読む。びっくり仰天。こんな人がいたのだろうかと思うと日本はまだ見捨てられないいい国とおもう。特攻の会議で上官に別の攻撃方法があると進言し、それでも特攻を命じるなら、自分が1番機に乘り、後部席に命令を下した上官が乗るように言ったという逸話が残る人だった。この部隊は終戦時迄残っていた芙蓉隊と言い静岡県にあった秘密部隊だった。戦後に高級自衛隊の幹部となった人でもあった。この本を読むために図書館へ来たのではないと思い出し、元の書架に戻したあと、時計を見ると時間が2時間も経っていないので、根気が切れていないと感じ、二宮尊徳・報徳思想の本があるところへ行った。書架はおおよそ60センチの幅に書籍はあった。中国と日本との学者たちの本があって、またチラ読みすると中国の農民の経済活性の方策として報徳思想を研究しているようだ。実にいい所を研究していると感じる。昭和初期に農本主義ということで、色々な問題を解決しようとしたが、世界大恐慌という問題を解決できなく大陸侵攻と言うことで不況を脱出した。今中国は不動産不況から出ようとしているが、日本も研究している30年デフレも日本が結局何の良い政策が無かった。やっとデフレが終わりそうだがこれは日本政府の力・政策で無いことは自明でウクライナ戦争による恩恵と言うしかない。デフレマインドが戦時と言うことで、命が消えることを自覚することとなった。平和マインドが戦時マインドに切り替わりつつある。日本は準戦時経済に向かいつつあって、好景気の直前でもある。
 これは朝鮮戦争が始まり、兵站基地となった日本が復活した事例がある。
コメント
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