あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

沖縄旅行番外編 食べたもの 買ったもの 

2023-05-13 23:56:00 | 沖縄旅行 2023

 今回の旅行、グルメ旅ではありませんので、ガイドブックに載るようなお店には行っていません。なにしろ一日目からコンビニ弁当ですからね。推して知るべし。一軒だけ人気のお店に予約しようとしたのですが、2日前には予約でいっぱいだったそうです。

 ただ、沖縄料理の主な物は食べておきたい、ということで、ホテルのビュッフェでは沖縄っぽいものは必ず食べてみました。記録として残しておきます。さらっと読み飛ばしてください。
 
 2日目の朝、昨日のコンビニの仇をとるように色々なものを食べました。
 
 手前のはジューシーと呼ばれるひじきの入った雑炊。出汁は豚からとるらしいです。普通は炊き込みごはんなのかな?雑炊はちょっとご飯が柔らかすぎて好みではありませんでしたが、スーパーで買って帰ったジューシーのもとで炊いたご飯はおいしかったです。
 ピンクの器のは油味噌。これも豚の脂と細かい肉が入っていました。しかし、これを食べるのなら白いご飯にしなくては。ちょっと失敗。
 


 ヨーグルトソースはもちろんマンゴー
 水饅頭の餡は紫芋です。紫芋を使った食べ物は色々ありました。特にスイーツ類。ジュースはシークヮーサージュース。トラオがこれをいたく気に入って、帰るまで毎日シークヮーサーばかり飲んでいました。畑に一本植えますかね。
 スイカ、わたしには初物です。甘かった。

 
 自販機にも沖縄のお茶、さんびん茶が売られています。ほんのりジャスミンの香がするお茶でした。


 2日目のお昼は沖縄そば。フクギの森にある人気のそば屋さんで。
 わたしは三枚肉そば


 トラオはソーキそば。


 娘は沖縄そば定食。ウマオはそばを少しだけ。

 お肉がほろほろ。おいしかったです。
 
 1日目から気になっていた沖縄ぜんざいを
道の駅許田で食べました。氷金時かな?と思ったのですが、小豆餡ではなく金時豆を甘く煮たものの上に白玉団子と氷が乗っていました。おいしかったけど全部食べたあとは身体が冷えました。氷のシーズンには早すぎました。


 
 2日目の夜は「やっぱりステーキ」で、ステーキ100グラム。残念ながら、沖縄で有名な88ステーキではありません。とにかく夜の知らない道でも迷わず行けるところを探しましたから。
 これで100g。お隣の女性が、山盛りのご飯とステーキ300g食べているのを見ちゃった。そのくらい食べるものなんですねえ。
  
 別に節約するつもりではなく、多少弱りかけた胃にはこれで十分だつたのです。孫たちはハンバーグとステーキのセット。
 レアの状態で出てきて、自分で、小さく切って熱々の皿で好みの焼き加減にします。このシステム、とてもいいです。というのも、わたしはよく焼かないと肉を食べられないので。
 安く上がりました。
 このお店、スーパーの2階にあって、この後地元の食材をたくさん買いました。





 サーターアンダギーのもと 唐辛子のオイル漬け…  お土産になかなかよかったです。


  
 ガンガラーの谷のそばのカフェでベトナムのバインミー。そろそろ疲れが胃にきてます。トラオと半分こ。

 
 3日目の夜は、前回アップした市場の魚料理です。そうそう、オリオンビールも飲みました。
 
 4日目の朝食から

 紫芋のバター


 ジーマミー豆腐と 右のは温野菜に雑穀のトッピングをしてたかな? 下の二つは?
 



 上の右は確かパパイヤの炒め物だったと思います。へちまも食べたと思うのですが、どれがどれだかわからなくなりました。
 下左は紫芋のコロッケ
 カップの中、温野菜の下にらふてーがあつたかもしれません。

 
 ハイビスカスティー。きれいな色。うちにもハイビスカスはいっぱい咲くのですが、どうやったらお茶にできるんだろう。


 以上。
 
 特に豪華な食事もせず、お土産は食べるものばかり。沖縄ガラスなど魅力的な物はありましたが、もう物を増やしたくないので買いませんでした。30年も前に買った沖縄ガラスの瓶と、焼き物の花瓶はお気に入りで、今も飾ってあります。お陰でお小遣いもあまり使わず、かなりの節約旅でしたが、今のわたしには身の丈に合った旅でした。
 男の子の孫たちと泊まりがけで旅するのは最後かもしれません。楽しい旅ができて本当によかったです。

 長々と引っ張りましたが、沖縄旅行記はこれで終わりです。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
 
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沖縄旅行12 4日目

2023-05-12 23:20:25 | 沖縄旅行 2023

 沖縄旅行最終日 国際通りをぶらぶらして昼過ぎには空港へ行く予定です。

 この日を思い出して残念なのは、すぐそばに屋台村があり、伝統工芸館がありでそこを観光する時間もあったはずなのにどちらにも行かなかったこと。で、何をしていたかというと

 ホテルの向かいにある公園をぶらぶらしてました。

 市民のための公園だと思います。

 大きなヘビのような遊具があって、緑の多い公園でした。

 





 私が気になったのは、沖縄中どこにでも見られたこの花。公園の草むら一面に咲いていました。わたしは多分シロノセンダングサだと思ったのですが、これがなかなかややこしいのです。

 うちの方では白い舌状花のないコセンダングサがほとんどですが、たまにこのタイプのセンダングサがあります。だけど一回りも二回りも小さいのです。

 これはホテルの庭に咲いていたのを適当に潰して押し花にして持って帰ったものですが

 一番大きいところで4センチもあります。
 
 それで、うちのほうにあるのがコシロノセンダングサ、沖縄のはシロノセンダングサだと勝手に思いました。そこで娘がいつものKちゃん先生にラインしたら「アワユキセンダングサ」だの「タチアワユキセンダングサ」だのと言う返事が返ってきました。 
 アワユキセンダングサは侵略的外来種に指定されているそうです。繁殖力が強く在来種を駆逐する困った植物らしいです。九州南部、沖縄。小笠原諸島、先島諸島に定着しているそうです。しかも一年中咲いているとか。なるほど、これはアワユキセンダングサ、もしくはタチアワユキセンダングサという花だったのか。なお、帰ってから調べたところシロノセンダングサもコシロノセンダングサも同じものらしいです。

 よくよく見ると、咲いている場所でちょっとずつ違っているのです。

 残波岬の花

 





 白い舌状花(以後、便宜上花びらと言います)は5枚が多かったです。

 

 ガンガラーの谷の花

 花びら6枚、しかも形が桜のように切れ込んでいます。

 
 これはコスモスそっくり

 
  花びら8枚



 では公園の花はどうか。わたしは観察を始めました。

 花びら6枚

 
 花びら8枚

 
 花びら7枚
 
 
 なんという虫かしら。

 
 花びらが細いです。葉を見るとうどん粉病みたいになっているので、病気のせいでこうなったのかもともとなのかわかりません。



 いろいろなバリエーションを探していたら思わぬ時間を食ってしまいました。
 
 路上生活の猫。寒そうでした。
 
 まだまだお昼までには時間がありましたが、娘はもう空港に行くと言います。しまった、公園で時間をつぶしたりせず、伝統工芸館にでも行けばよかった。
 19キロ近いスーツケースと大きなバッグをごろごろ押して(重くて引っ張れません)駅まで行きました。それぞれ自分が持てる荷物を持っていましたから誰も手伝ってくれませんし、段差を持ち上げるのは大変でした。
 歩きながら、お土産物屋さんばかりだなあと思いました。でなければ飲食店。観光客がいてこその商売です。
 「これは・・・コロナの頃は本当に大変だっただろうね。」
 
 ゆいレール
 
 
 沖縄の空港は、これでもかというくらいランが飾ってあります。これ全部コチョウラン。



 ずいぶん早く着きましたが、それでよかったのです。搭乗手続きにめちゃくちゃ時間がかかりました。というのも、来るときに機械でチェックインしたら4人ともばらばらの席になりまして・・・生まれて初めて飛行機に乗る子たちがですよ。 幸い親切な方が席を変わってくださいました。ほんとうはいけなかったのだろうけど。
 帰るときはそんなことのないようにカウンターでチェックインすることにしたのですが、それが長蛇の列でした。そして昼ご飯を食べることもできずに飛行機に乗り込んだのでした。
 お弁当もこれしかなくて、しかも買うのにも並ばなければなりませんでした。
  
 

 そして最後の駐車場トラブル

 松山空港で、車を置いた場所がわからなくなりました。私と一緒に荷物番をしていたトラオ、母の入っていった三階建ての建物を見て「俺たち2階に停めてそこが屋上だったんだから、三階建ての建物を探すのはありを得んじゃろ。それに空港に入ってからもかなり歩いたから、入り口から一番遠いあの建物だと思う。」

 それもそうだ、ちょっと見てくるね。と私が探しに行って、簡単に車が見つかりました。トラオ、ナイス推理。車を探すのに30分はかかったと思います。

 こうして私たちは無事帰ってくることができました。うれしいことにまだ桜がきれいで、私たちはわざわざ遠回りして重信川の桜を見て帰ったのです。

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沖縄旅行11  牧志公設市場と三つのホテル

2023-05-11 09:15:07 | 沖縄旅行 2023

ゆ さて、ガンカラーの谷の後、那覇へ引返してレンタカーを返します。この時間の制約があったため、沖縄ワールドにも寄れませんでした。孫たちごめん。結構大人向けの旅だつたかも。

 レンタカーを返した後、タクシーでホテルへ行きました。夕方の混雑の道を難なく連れて行ってもらえました。
 
 パームロイヤルHAHA国際通り 
 
 エントランスから何やら東南アジアの雰囲気が漂っていました。
 
 


プールがあって


 本物やらレプリカやらの美術品が随所に飾られていて

 
 
 
 ホテルの一角にクロアチア領事館が入っているそうです。
 エレベーターに乗るには部屋のカードキーを差し込まなければなりません。セキュリティーは厳しいと思いました。
 
 ホテルはにぎやかな国際通りに面しており、ゆいレール(那覇空港と市内をつなぐモノレール)の牧志駅へも歩いて5分という立地の良さ。ホテルの前には沖縄屋台村。近くには島唄のライブも聞ける食堂など、食べるところには事欠かないようでしたが娘には思惑があって、あえて公設市場へ行くことにしました。その公設市場もホテルからは10分もかかりませんでした。
 
 大通りから、斜めに通っている小路を行き・・・
 なぜか30年前の道の記憶がありました。そうそう、昔ここで、中がオレンジのサツマイモやら、地元で冠婚葬祭に食べるというお菓子やらを買って流しのタクシーに乗って、運転手さんが地元のとまちがえましたっけ。あの日大通りではデモが行われていて、デモ隊がサンシンの音楽とともに歩いて驚きました。
 
 お土産屋さんの立ち並ぶ小道を奥へ奥へと歩いていくと、新しくなった牧志市場に着きました。 市場の入り口近くのブースは魚屋さんばかりです。赤や青の魚が並んでいました。昔これが珍しくて、見るだけで楽しかったのです。あの時はもちろん生ものは買うことができませんでしたが今回は買います。というのは、買ったものをここで料理してもらって食べることができるのです。娘は学生のころ海に潜るために来たことがありますが、その時に熱帯魚を料理してもらって食べたのだそうです。それを子供たちにも体験させたかったそうなのです。
 
 私たちが買ったのはこの二つ。
 イラブチュー(アオブダイ)とヤコウガイ

 
 夜光貝! 生きていたら光るんでしょうか。
 アオブダイは文字どおり深い青色をした魚です。店員さんがそれをもってすぐ二階に案内してくれました。
 
 アオブダイの半身とヤコウガイの半身をお刺身に。ヤコウガイはウマオの顔の半分くらいの大きさでした。
 


 
 
 娘が海ブドウが食べたいと言ったらサービスでつけてくれました。プチプチと口の中ではじけておいしいんですよね。
 
 のこりは唐揚げと
 豪快! 

 
 バター炒め



 とてもおいしくて、子供たちが大半を食べてしまいました。
 私が、貝殻をもらえませんかとお願いしたら、きれいに洗って袋に入れてくれました。やったー、記念に飾っておきましょう。
 
 おなか一杯になったところでお土産屋さんを覗きながらぶらぶら歩きました。ここで最後のお買い物です。しまったねえ、早々と水族館で買わなくてもここへ来ればなんでもありましたのに。それに前日の夜にはスーパーで地元の人が日常買っているスパムやレトルトのラフテーなども買いましたし、きれいな箱入りの品でなくてもよかったのです。
 
 ここで話は遡ります。今回泊ったホテルのことを少し。
 ホテル選びに際して私たちが一番こだわったのは立地でした。次の日の最初に観光する場所に一番近いところを、と選んだのは大正解。
 
 1日目に泊った、美ら海水族館の隣のロイヤルビューリゾート美ら海。当日は満室でした。
 
 バタバタして外観の写真を撮ることも忘れていましたが、ただ寝るだけではもったいないホテルでした。部屋からすぐプールに行けるようになっています。手前の四角いものは、水着のままでくつろげる小さなあずまやのようなもので、各部屋に一つついており、ハイビスカスの垣根で仕切られています。
 
 
 プールの向こうはビーチです。
 
 ロビーの片隅にはプレイルーム。
 館内スタンプラリーが行われていて、子供たちは朝食後の短い時間で館内をくまなく見て回りました。
 
 
 
 部屋は床も壁も天井も白で統一されており、サンゴ礁の海の壁が楽しい。
 
 
 生まれて初めてこんなホテルに泊まったウマオは大喜び。水族館よりも何よりもホテルが気に入ったのです。
 着いていきなり夜中の2時就寝というハードなスケジュールでも、歩いて5分で水族館に行ける距離にあったため寝坊もできました。(結局は車で行ったけど)
 
 2日目に泊ったのは首里城に近いダブルツリーbyヒルトン。順調にいけば夕方でも歩いて散策に行けるかな、という気持ちでした。
 
 坂道を下っていくと広い駐車場がある、この景色に見覚えがありました。なんと30年ほど前に泊ったホテルと同じだったのです。そのころはグランドキャッスルとかなんとか。





 
 高台にあるために那覇市内が見渡せます。
 
 夜景がきれいでした。
 
 同じ方向、朝
 
 








 一日目のホテルがよほど気に入ったのか、早くホテルに行きたくてたまらなかったウマオです。
「ウマちゃん、今度のホテルはもっと豪華かもよ。」と予想していた割にはシンプルな普通のホテルでした。
 
 電気を消すと天井にこんな模様が浮かびます。



 ここはカードキーで、人数分だけカードが渡されましたが、さっそくウマオが1枚なくしてしまい弁償する羽目になりました。
 
 無理にこのホテルでなくてもよかったかな?という気もしましたが。
 というのは、首里城公園まで歩いていくには距離があり、到着も遅かったので、夕方の散策とはいかなかったのです。ライトアップされているから夜でも行けはしましたが、まずは食事です。近くに飲食店がないので車で街に出なくてはなりません。夜の知らない道を走るのはかなり勇気がいりました。結局は、シンプルにたどり着けて、駐車場がわかりやすくて、ステーキの食べられるとのころ、という良い場所を見つけ、無事に食事ができました。おまけにそばのスーパーで地元の人が食べているのと同じ食材をお土産に買うことができたし、ライトアップされた守礼の門も遠くから見ることができたのです。
 もし、食事優先で国際通り近くのホテルに泊まったとしたら、翌朝は、常に渋滞するという道を時間をかけていく羽目になったでしょうから、首里城の近くでよかったと思いました。
 
 この日は私一人でツインの部屋を占領できました。早くも山ほどに増えた荷物を整理しなければならないので助かりました。何しろ娘たちの買ったものが・・・・
 9本のサイダー。
 美ら海水族館の自販機で買ったサイダーがとても気に入ってお土産に買ったらしいのですが、めちゃくちゃ重くなることは想定外だったらしい・・・・とても手で下げて歩ける重さではなく、しかたなく私の衣類を予備のバッグに入れて、スーツケースの中にサイダーを入れることにしたからです。もう~~~ 最終日のホテルがパームロイヤルでよかった。重い荷物をゴロゴロ押して歩いても5分で駅に着くのですから。それでも大変でした~ 空港で重さを計ったら19キロ近くあったのですよ。今思えば、各自1本ずつホテルで飲めばよかった。
 
 というわけで、ホテルにも大満足の旅でした。
 
 
 ※ 記事数が多くなりましたのでカテゴリーを分けました。今までの記事はカテゴリー「沖縄旅行2023」でお読み頂けます。
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沖縄旅行10 旧海軍司令壕跡

2023-05-09 01:02:00 | 沖縄旅行 2023
 沖縄旅行3日目 実際の行程とは順序を変えています。
 
 旧海軍司令壕跡公園
 ガンカラーの谷に行く前にここに来ました。
 
 なぜかここだけ手元にパンフレットがありません。わたしの知っている乏しい知識と、ネットを頼りにまとめましたが、ここでは沖縄戦の経過や惨状を述べるのが目的ではありません。史実については曖昧で誤解もあるかもしれないことをお断りしておきます。
 
 
 
 長い階段を上った先にある慰霊塔。
 ここは旧海軍司令壕跡公園です。

 
 沖縄旅行の計画にあたって、娘と私は悩んでいました。 第2次世界大戦で唯一、住民を巻き込んだ地上戦があった沖縄。それに触れずにはいられませんが、気が重かったのです。
 しかし、「沖縄でどこへ行きたい?」と聞いたときトラオは即座に「旧海軍司令壕跡」と答えました。牛に引かれてではありませんがトラオの希望に応えるようにしてここを訪問場所に加えました。 
 
 階段を上がると海の見える広場に来ます。 
 
 慰霊塔や仁愛の碑の横を通り

 
 ビジターセンターへ。

 
 ここは公園として遊具や昆虫採集広場などが整備されているそうです。さほど広くはない駐車場は満車ではなく、ただ広々と静かでした。
 
 壕は旧海軍関係者によって遺骨収集され、公園として整備された施設だそうです。児童生徒向けの平和教育なども行われているそうです。
 重い気持ちで入ったものの、悲惨な戦闘の写真はありませんでした。意図的なのか、戦場の写真そのものがないのかわかりませんが、ほとんどが降伏後の住人の姿、収容所の暮らしなどでした。米兵との交流を写した写真も多数ありました。それはそれで考えさせられることがたくさんありましたが。

 
 歳をとると若い頃には見えなかったものが見えてくるものです。70年間の経験が共感と同情とを増幅されるのです。 親を失った子の写真を見ればそれが幼かったわが子に重なり、老人を見れば頼る者もなく捕虜になったその不安がわがことのように思えます。残されたこの人たちはこの後平穏な人生を送ることができたのだろうか、一人一人の行く末が気になりました。
 昔、沖縄旅行をした時はひめゆりの塔ができたかできないかの頃で、旅行社の作ってくれた行程を貸し切りタクシーでまわりました。その中に戦争に関わる施設はありませんでした。けれど、その時運転手さんが話してくれたことを今も覚えています。沖縄の人で、一人でも家族を失くさなかった人は一人もいないと。沖縄戦では住民の四人に一人が亡くなっていたそうですから。ここに写っている人たちも悲しみを背負って生きたに違いないと、勝手に想像して目の奥が熱くなりました。
 
 私がもっとも心を打たれた写真
 


 難民キャンプなどの写真でも見られる青空教室です。どんな状況下でも学び続けようとするのは世界共通なのかもしれません。いや、困難な状況だからこそ、祖国再建の決意を持って学んでいたのでしょう。学びは大人にとっても子どもにとっても希望の象徴のように思えました。
 
 
 展示を見ながら下へ下へと下りて行きました。



 見学者は多くはありませんでした。その中にトラオと同じ年頃の少年がいて、誰よりも熱心に見入っている姿が印象的でした。

 
ここからは地下壕へ入ります。

 
 3000人の兵士によってつるはしで掘られたという壕です。現在公開されている部分は300m、まだ公開されてない場所があると言うことです。



 当時のままの形状で保存されています。
 わたしは同じような施設をベトナムで見ました。ホーチミン市の大統領府、現在は迎賓館として使われているその建物の地下に、非常時に備えた部屋がありました。その時感じたことをこのように書いています。
 
「それはなんとも奇妙な感覚を呼び起こさせる施設でした。 わたし自身は戦争を知らないにもかかわらず、何か、今自分が戦争に関わっているかのような、妙に生々しい臨場感がありました。」
 
 しかし、ここはそんな生ぬるい表現で伝えられるものではなかった。
 
 
 兵士たちは普段は周辺の民家などで過ごし、爆撃があるとこの壕に逃げ込んできたそうです。時には廊下にまで人があふれ立ったまま眠る兵士もいたとか。
 ジオラマで再現されたものではない、本物の戦場がここにありました。
 


 幕僚室 1945年6月13日 ここで太田司令官以下6人の幕僚が手りゅう弾で自決しました。手りゅう弾の跡や血痕がそのまま残っています。



 暗号室 作戦上重要な部屋だったのでしょうが、中を写していません。
 


 医療室
 とはいうものの驚くほど狭いのです。 6畳もない部屋のように見えました。





 壁に太田司令官が、自決する一週間前に海軍司令部に送ったという電報の現代語訳が掲げられていました。ここの展示では唯一、沖縄戦の悲惨さを言葉で伝えているものです。できれば画像を拡大して原文で読んでいただきたいです。
 ところが! 最後の一文が写っていません。
 


 ここでわたしは初めて、通りすがりにざっと見た「仁愛の碑」がその電文であったことに気づきました。改めて「仁愛の碑」を見てみます。最後はこのように締めくくられていました。「沖縄県民、かく戦えり。県民に対し特別のご高配を賜らんことを。」
 


 この電報は東京の司令部に届いたのだろうか、届いたとしてもだれもどうにもできない事態になっていたはず。そうとわかっていても伝えずにはいられなかった県民の困窮と献身。司令官の良心と、後世に託す願いを見た思いです。われわれはその願いにどう応えてきたのだろうか。ちくりと、申し訳なさと後ろめたさとがよぎりました。
 
 
 発電室
 


 
 
 下士官隊員室 ここも狭い。
 
 
 まるで牢獄のようです。



 
 司令官室
 

 
 作戦会議もここで行われたようです。

 
 信号室
  写真なし
 
 出撃出口 格子の向こうの狭い扉が出撃出口。兵士たちは勝ち目のない戦闘に出て行き、ほとんどのものが帰ってこなかったそうです。
 
 
 先ほどからアジア系の人と思われる家族が前を歩いていました。小さな子供にときおり説明をしたりしていたのですが、ここで丁寧に手を合わせて出ていかれました。平和を願わない人なんてどこにもいない。それなのに今まだ愚かな戦争を続けているという現実。歴史から学ぶことをやめてはならない、悲惨な記憶は後世に伝えなければならない、そんな思いを強くしました。
 
 再び駐車場へ戻って遠くの海を眺めました。来た時とは全く違う気持ちで海を眺めました。那覇へ上陸したという米軍はあの海の向こうからやってきたのだろうか。圧倒的な戦力を見ながらここに立てこもった人々はどような気持ちで一日一日を生き延びたのか。
 
 
 駐車場横の草地ではセンダン草にタテハチョウが。

 
 これは何というチョウでしょう。美しい模様でした。この模様を写すためにしばしチョウを追いかけました。
 


 こうしてのんびりとチョウを追いかけることのできる幸せ。今の日本の平和は沖縄の貴い犠牲の上に築かれたのだということを忘れてはならないと思いました。

 だからね、ガンガラーの谷へ写真映えだけを求めてやってきたお嬢さんに、わたしは少々腹を立てたのですよ。

 長く重い文章をここまで読んでくださってありがとうございました。



 
 






 
 
 
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大捕り物

2023-05-07 20:28:35 | お出かけ
 バウムクーヘン作りの続きです。
 大捕り物が始まりました。

ああ、あっち行った、こっち、網が要る、持ってきてー

まぁ逃げるの早いこと。
逃げ回るネズミの形を見て、思いました。これはモグラじゃないかな?とにかく静止画像を見なければなんとも言えないわ、と、わたしもスマホを構えて参戦。
とにかく写真に収めたくて追いかけます。娘たちは捕まえたくて追いかけます。近くにいた他の家族が呆気に取られているのにはお構いなく、必死で追いかける私たち。 
 
 ブレずに撮れた奇跡の一枚です。
 
 


 やっぱりモグラでした。なぜ昼間にここへ?
 
 しかし、モグラは炭焼き小屋の端っこに置いてあったロッカーの下に入り込んでしまいました。
諦めてまたみんなで食べていたら、
 
 あ!また来た!
 
 さっき追いかけ回された同じ所に来るなんて、どうしたんでしょうねえ。
 
 今度は手元に網があります。何度もモグラの上に被せることはできたのですが、敵もさるもの、その度にすり抜けていくのです。地面がでこぼこなので隙間ができてしまうのでした。
 しかしついに、網の周囲を靴でふみつけて隙間を塞ぎました。
 何か入れ物、むしかご取ってきて!次々と指図する娘に誰もついて行けません。ようやく虫かごがきたものの、どうやって入れようか?
「噛まんよね?」と、わたし。
「噛まん」娘が断言。
モグラのこと何も知らないのに、噛まないと断言できるのか?と、私はちょっと不満ではありましたが、両手で網ごとそっとすくい、虫かごの中に入れました。石が入っているのは、私が石ごとすくいあげたからです。
 


 子どものモグラです。施設のスタッフを巻き込んでの大騒動。呆気に取られていた家族も覗きに来て撮影会が始まりました。そして、しばらくみんなに見せてあげようと、受付側の薄暗い影に置きました。モグラは多分日光に弱いと思うので。
 どうして同じ所に出てきたんだろう? みんなで考えたのですが、もしかして、穴を掘れる場所がない? そのあたり一帯、舗装はされてないのですが、砂利を敷き詰めて地面を固めていましたから。
 モグラを預けて、わたしはその辺を散策しました。
 
 どっどどどどうど…時折風の又三郎みたいな風の吹く日でした。
 


 去年、草木染め教室で教えてもらったサワグルミに花が咲いていました。
 
 雌花


 雄花


 紐状の花が楽しいです。去年はついに、実が熟したところを見ることはできませんでした。今年は見てみたいものです。


 孫たちは、生まれたばかりのひよこに名前もつけさせてもらったんですよ。朝のカエルのお兄さんが、ひよこの品種と特徴を書いた紙を持っていて、子供たちか言った名前を書いていきます。
ここで訂正
カエルのお兄さんこそが、ふれあいの里の所長、田村さんでした。まだ読んでなかったタウン情報紙を整理方々読んでいて気づきました。田村さん、ごめんなさい。カエルのお兄さんだなんてねえ。失礼しました。
 
 あと一羽、この子の名前がない。
 
最後にケイタが恥ずかしそうにくーちゃんと言いました。
 
 よし、これで終わり
 
 え? 言いなりの名前なの? たくさんの候補から選ぶんじゃなくて?
 
 はい、今つけたままの名前です
 
 子どもたち、ずいぶんいい加減な名前を付けていたんです。でも、鶏が大きくなったら案外似合う名前になっているかもしれません。ところがお兄さん、「今度来た時は、我々の胃の中かもしれない」なんて言うのです。雄鶏だと朝の3時から鳴いて困るんですって。卵を生んでくれたらバウムクーヘンづくりなどに利用したいと言っていました。ふれあいの里の運営はまだまだ進化中。
 
 孫たちとパパが遊んでいる間、わたしと娘は古いプールを眺めました。ひっきりなしにカエルが鳴いていたので正体をつきとめようと。
 
 プールも使えるようにしたらいいのに。
 維持管理が大変だから今のスタッフの人数では無理なんじゃない? 監視員だって要るし。
   毎日浄化装置を運転して停止して 塩素投入を1,2回 水質検査 一杯仕事があるんです。
 
 釣り堀とかは?
 それでも、危険防止のため一人はここに付いとかないかん。
 
 年に一回、魚の手づかみ大会とかは?
 年に一回でも、そのためのプールの掃除、水替え、魚の仕入れ…今の人数では無理だろうねえ。
 
 ついにカエルが現れました。けど遠いなぁ。カエルはだんだん声のする方に近づいていきました。そして見えなくなりました。
 


 いったい何というカエルなんでしょう? 大きさはうしがえるくらい大きいのですが、あの、牛が鳴くような声ではありません。ヒキガエルかな?でも、ヒキガエルはもっとかわいい声らしいしー
 カエルを追いかけているうちに、偶然面白いものが写っていました。右の赤い丸。大きなトンボです。オニヤンマではなかったと思います。色がエメラルドグリーンでとてもきれいなトンボ。ギンヤンマかなぁ?
 


 壁面には大きな抜け殻がいくつもくっついていました。
 


 それから、イモリが時折浮かんできては赤い腹をひるがせて潜っていったり。
 濁った水の中は生き物天国になっているのかもしれません。へたにいじらないほうがいいかもよ。
 孫たちは実桜の赤い実を集めてお店屋さんごっこをしたり、タンポポの綿毛を飛ばしたり、野苺を摘んだり、自然の中で思いっきり遊びました。素敵な1日でした。



 来る時写せなかったので、今花盛りのシイの木を写して帰りました。
 そうそう、モグラは帰る時、裏山のふかふかの土の上に離してやりました。
 
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バウムクーヘンづくり

2023-05-06 14:24:01 | お出かけ
 ショック、沖縄旅行記10が消えました。もう何日も前からちょこちょこ書いていて、今日感想などをかき足したら完成だったのに。
 考えてみれば、世間は大型連休の真っ最中。何もこんな時に重い内容の記事を載せることもありますまい。気を取り直して、ちょこっと楽しい記事を書き直すことにしました
 
 連休中、軽く風邪をひきまして、体力温存に努めておりました。(ぐうたらしてただけ)ほぼ、90%治ったかな?という日、ヨウコの家族とバウムクーヘン作りに行きました。ウマオも一緒です。
 場所は石鎚ふれあいの里です。去年の秋以来半年ぶりのドライブでした。去年は月一回の草木染め教室に通いました。もう、慣れた道をスイスイと‥でもなくて対向車が途切れなく現れました。普段は、一台も通らない道です。さすが、行動制限のない大型連休。
 予約の11時より30分近く早く着きました。 駐車場もほぼいっぱいで、上の方にある数棟のキャビンの宿泊者もいるようでした。
 
 受付をしに事務所へ行ったら
 
 生まれたばかりのひよこ



 昨日今日で生まれて、羽が乾いたらこちらは移すそうです。
 
 
 それから大きなカエル。動かないので作り物かと思いました。
 カジカガエルですって。大きい。わたしの思っているカジカガエルは小さくて黒かったのに。子供の頃カジカと思っていたのはなんだったんだろう。


 リュウキュウカジカガエルも小さかったのに。受付のお兄さんに、沖縄で撮ったカジカガエルを見せてあげて、しばしカエル談義に話が弾んだところで、ウマオと川に降りて行きました。
 きれいな水。爽やかな緑。5月らしい良い日でした。









 ここから対岸が見えるのでヨウコたちが来たらわかると思っていたのですが、見過ごしたみたい。電話で呼び出されました。
 すでに必要な道具も材料もそろっていました。
 バウムクーヘン二本分の生地、竹の棒、炭、火バサミ、ノコ、包丁、マナ板
 


 はじめに竹をあぶつて油を出します。それをゴシゴシ拭いて伸ばします。これで焼きあがったとき竹から外しやすくなるんだそうです。



 油が染み込んでサラッとしたら真ん中に生地をかけます。滴り落ちる生地を回しながら落とし



 火にかけてまんべんなく焼けるように回します。



 焦げ目がついたらまた生地をかけ、回しながら焼いてーの繰り返し。

 
 子供たちはちょっとやってみたけど、すぐに遊びに行ってしまいました。
で、子供たちをヨウコパパに任せて、わたしと娘が気長に焼きました。これがなかなか難しくて、1、2秒目を離すと焦げてしまいます。タラタラとしたたり落ちる生地は、均等に丸くはなってくれません。炭火は常に強火を保たなければならないし、なかなか忙しい。
 
 わたしは途中までは上手にできていたと思っていたのですが、最後の最後で乾燥して粘り気のある生地になってしまったのをかけたら、マヨネーズを絞り出したみたいになってしまいました。
 
 ケチャップをかけたフランクフルトみたい。

 
 でもいいのいいの、どうせ食べるんだから。
 焼きあがったバームクーヘンを覚ます間に頼んでおいた昼食を食べました。 事務所の横に小さなレストランがありますが、お願いすればこちらまで持ってきてくれます。ここの名物は山菜料理ですが、今年確保していた山菜がなくなったので今日が最後の提供だと聞いて、まよわず山菜定食をお願いしました。

 
 てんぷらの中にカラスノエンドウの天ぷらがありました。花も一緒に揚げてありました。かわいい。
 
 食べ終わってしばらくみんなで遊びました。 小腹がすいたところでいよいよ切ってみます。
 
 



 ふふ・・・途中で気を抜きましたね。真ん中あたりがしっかり焦げていますけど、ちゃんと焼けているし、いい匂いがしてるし、おいしかったです。みんなで大満足して食べていたら
 
「あ! ネズミ!」娘が叫びました。
「何、何? もしかしてヤマネ?」
「ああ、あっちへ行った」と大騒ぎになりました。
 
                     ー 続く ー
 
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沖縄旅行9 ガンガラーの谷

2023-05-04 17:09:00 | 沖縄旅行 2023

 

 順序から言うと次は旧海軍司令壕跡ですが、ここは特別な場所、旅の締めくくりに最後に述べたいと思います。

 ガンガラーの谷、ここは私が行きたかった所です。古代の鍾乳洞が崩れ落ちそこに亜熱帯植物が茂るという特異な景観の谷。ガイド付きのツアーでのみ入ることができます。

 沖縄ワールドと共用の駐車場を抜けて森の中へ。

 



 駐車場の脇にはセンダングサの花が咲いていたのですが、残波岬で見たのとは少し雰囲気が違うようなのです。が、これについてはまた後で。

  とまっているチョウはイシガケチョウ



 洞窟へと下りる道

 



 短い道でしたが別世界に入り込むようなワクワク感。

 途中にクワズイモの花が咲いていました。

 



 

 首里城公園ではすでに実になっていましたが、こちらではまだ花でした。

 と、いきなり目の前に洞窟が現れました。傘のように見えているのはツアー参加者だけが入れるカフェです。 

 



 

 いったん受付をして食事をしに外へ出ました。当日訪れた人は予約で一杯でお断りをされていました。よかった、早くに予約していて。

 予約の2時前にまたここへ来ました。先のグループが出発するのを待ちます。あれ?1日3回のツアーではなかったのか。なんだかひっきりなしに出ているみたい。

 





 出発前に概要のガイダンスがありました。そしてお茶の入った水筒が配られました。

 

 ガンガラーの谷は、古代の鍾乳洞が崩れ落ちてできた谷です。だから鍾乳洞の一部も残り、亜熱帯のジャングルもありですが、古代の人々が住んでいた形跡が残っており、今も発掘作業が続けられています。

 



 

 ケイブカフェをでるとそこは熱帯植物の茂る森

 











 

 川も流れていました。この川は地上から続いているそうです。かつて、牧場のあった場所から汚水が流れ込み、一時この谷は閉鎖されていたとか。今は、その問題も解消されています。先には、車が通る県道の真下に出る場所もあり、 地元の人の生活のすぐそばにある不思議な谷でした。

 



 

 森の中を行くと二つの洞窟がありました。

  イガキ洞(母神)中は礼拝所になっているそうです。入れません。



 イグナ洞(父神)入り口でカンテラを渡してもらい、数人ずつ入ります。狭いです。


 どちらがどうだか忘れたけど、ともに、子宝祈願、安産や子供の成長をねがう人々がお参りする場所だそうです。
 名前すら覚えにくい。



 
 大岩をくぐり抜け


 また違った空間に。


 森の主、ガジュマルの大木。ここで撮影タイム。ガイドさんに記念写真を撮ってもらいました。


 広角で撮ってくれたという写真。おお!足がめちゃくちゃ長い。
 


 
 
 一組ずつ撮影する間にお茶を飲み休憩しました。そして、ガジュマルの前でにこやかにポーズをとるお嬢さんを複雑な思いで眺めました。
 
 二人連れのお嬢さんたち、背中の2分の1が正三角形に開いたトップスにおしゃれなビーチサンダル、もうひとりはベリーショートのパンツにピンヒールのかなり高いの。よくここまで足を怪我せずに来れたなあと感心したり、カやアブに襲われたらきれいな肌がどうなるだろうと思ったり(本当に刺されたらおもしろいのに) 見つめるわたしの顔、ちょっと意地悪な顔になっていたと思う・・・
 というのもついさっきまで太平洋戦争中最大の激戦地だった沖縄の悲惨な歴史に重い気持ちでいたものですから。
 
 大きく穴の開いた空間。穴の上は日常の生活が営まれています。これが映画ならさしずめ現代から古代へタイムスリップする通り道の穴。
 
 
 左の階段は現地の人のお墓です。今もお参りされているのだとか。

 そして私たちはスタッフ手作りだというツリーテラスへ。え?こんなに大勢上がって大丈夫なの?と思いましたが、階段は頑丈で、テラスは広かったです。下はジャングル。遠くに海が見えました。
 
 


 
 最後の洞窟 
 ここは今も発掘調査が行われています。
 
 
 湊川人を葬ったと思われる石棺と人骨が出てきたところ。

 
 湊川人の暮らしの遺跡はここから少しはなれた海近くにあります。ツリーテラスから見た湊川フィッシャーと呼ばれる遺跡。海の手前に橋がありますが、その右のたもとあたりに、沖縄で発見された湊川人の遺跡があるそうです。
 
 
 発掘現場を見学したところでツアーは終わりです。出口を抜けるといきなり世俗の世界に帰ってきました。そこは沖縄ワールドの裏手の方でした。
 30年前はここへきてハブとマングースの戦いとかをみた記憶があります。大蛇を首に巻いて撮った写真が残っているはず。娘はもう一度ハブを見たいようでしたが、別に入場料を払わないといけないと聞いて断念。
 
 ここにもヒスイカズラの美しい花が咲いていました。
 


 

 

 

 

 

 

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沖縄旅行8 金城ダム

2023-05-01 00:59:00 | 沖縄旅行 2023

 今回の旅行でウマオが一番行きたかったのが金城ダムです。昨日もいくつかダムのそばを通ってそのたびに喜んでいましたが、金城ダムだけは下りて事務所までいかなくてはなりません。なぜならダムカードがもらえるからです。

  車で約20分。あの清掃員さんたちが言っていたように、歩いていける距離ではありませんでした。ただし、登山のつもりで一山越えれば別ですが。

 道から見下ろしたところ。途中に急な階段が。向こうの建物が管理事務所でしょうか。



 天端。車は進入禁止ですね。



 ここもコンクリートではなく、亀甲模様の石畳でした。


 ダム湖 あまり広くないです。
 

と?


ウマオたち、坂を降り始めました。
えー、ここを行くのか。天端を通らずに?
 
しかたなく降りてみると、下は公園になっていて、車で来ることができたのでした。
 


 何の花でしょう。



 木には何やらくっついています。下の方の白いもの。



 びっくり! これ、コチョウランですよ。

 別の木にも



 わたしたちがフウランを木に着生させるように、こちらではコチョウランをくっつけているのでした。コチョウラン自体は日本原産ではないですから、自然にこうなったわけではないと思います。ここではコチョウランも外で冬越しできるんですねえ。

 下に下りて正面から見たダム
 




 こちらから見るダムは、まるで城跡のように風格があり、堂々としていました。

 コンクリートの打ちっぱなしではないんですね。




 下りた分だけ階段を上って管理事務所へ。息がきれました。
 ここで解説を読んだり





 珍しい花を見たり



 景色を見ながら、散歩していた地元の方とお話ししたり
 
 




 
 その方のお話によると、高級マンションだそうです。
 
 
 住宅街のすぐ近くにあるダムなのでした。
 



 トラックの横に大きなバルブのようなものがあってなにやらぶら下がっているので見に行きました。

 
 平和への願いはこんなところにもありました。



 

 今度は天端を通って車に戻りました。



 古いように見えますが、つなぎの部分はコンクリートでした。平成12年完成、首里城を模して造られたということで、まだ新しいダムでした。
 ウマオが、「ばあちゃんのダムカード、○○君にあげていい?」と聞いてきました。もちろん。
一番の仲良しに、良いお土産ができました。
 









 













 

 

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