あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

初秋の散歩道

2022-09-12 23:27:06 | いろいろ
 夕方、ポチと散歩しながらの写真です。ボケた写真ばかりなのはポチを連れてあわただしく写したからです・・・と言い訳しておきます(ほんとは腕が悪い)
 
 9月1日、初めて彼岸花が咲き始めたのに気づきました。去年はずいぶん早くから咲いた印象でしたが今年も早いです。彼岸が近づいたら咲くというイメージでしたが、最近はそうでもないみたい。
 カラスウリは実をつけていますがまだ花も咲いています。
 6時38分
 カラスウリの開花は、どうも日没には関係なく時間に関係があるのではないかと仮説をたてて観察していましたが、7月も8月も、6時半ころにはこんな状態です。おそらく開花は7時半ころ。7月には見えていた、開ききった姿も、今ではほとんど暗くて何も見えません。
 
 
 このあたり一帯ヤブミョウガの群生が広がっていた場所
 
 実ができて色づき始めました。


 咲き始めはもっと花がまとまって素敵なのですが、えらく広がって自由奔放な姿になっていました。
 
 7月終わりころのヤブミョウガ


 
 実といえば
 え? と思って改めて見直したのですが
 
 
 これ、アカメガシワの実がはじけて種になったところ。今までどうして気が付かなかったのでしょう。
 
 もとはこの畑の持ち主が植えたのでしょうが、オシロイバナが今になってにぎやかに咲きだしました。夏のイメージが強かったのですけど。
 
 
 夕方の光の量のせいか色がいまいちですが、本当はもっと色鮮やかで、たかがオシロイバナともいえないくらいきれいです。
 
 
 「ばあちゃん、オシロイバナはね、朝学校へ行くときは咲いてないんよ。学校から帰るごろには咲いとんよ。」
 「へえ~~ そうなん?」
 私は半信半疑でしたが、先日朝通りがかったら本当にまだ咲いていませんでした。
 
 ヘクソカズラも花いっぱいです。
 
 
 なかなか個性的な花で私は好きですけど、これも蔓ですから・・・・

 
 同じくつる性のガガイモ
 つる草の花って、なかなか魅力的なものが多い。
 
 
 ガガイモは実も大きくて好きなのですが、去年は実を見つけることができませんでした。今年は青い実を見てみたい。花のある場所を覚えておこうと毎日眺めていますが、似たような草むらで花がなくなるとわからなくなるのです。困ったもんだ。
 
 ゲンノショウコ



 これも群れ咲いているところがあります。種がおもしろい形になるらしいので今年こそは見てみたいと思います。

 秋らしいものではないけれど、先日の台風の影響で雨が降った後、大きなキノコが出ました。
 オオシロカラカサタケ
 



 白くて大きくて、見つけると嬉しくなるキノコです。

 そしてー
 散歩するころにはチョウが眠りにつく時間



 
 今シジミチョウと小さなガがたくさんいて、私たちが通ると一斉に飛び立ちます。けっこうたくさんいます。この畑の持ち主が極力農薬を使わずに栽培する方針らしいので、そのおかげでしょうか。
 
 
 
 そのシジミチョウなんですが、飛んでいるところを見ると羽がきれいな空色のと黒っぽいのと2種類いるみたいです。あのきれいな空色を何とか写したいと思うのですが、じっとしているときチョウは羽を広げてくれませんので。
 
 セミはいつの間にかいなくなり、スズムシとコオロギが賑やかに鳴くようになりました。
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芋虫ミステリー

2022-09-10 21:48:19 | 生き物

 すみません、今日も芋虫写真ばかりです。

 ダム巡りからはじまった蚕のお話はまだ続きがあります。

 ことの発端は、私がメダカの水を換えようとして、いつもの箱を覗き込んだことに始まります。この前の桑の葉がひからびたま残っていました。

 何?これ。



蚕のミイラ?


  
 私はぞっとしました。まさか娘がたくさんの蚕を持て余して?いえ、そんなはずはありません。もらった蚕は10匹、羽化したのも10匹。それじゃ、この蚕のミイラは?

 記憶をたどっていくと、葉っぱを数枚入れたまま放置していたことを思い出しました。前回書いたように、この箱に水を張って、とりあえずのつもりで桑の枝を数本突っ込んだことがありました。その後葉がしなびたので枝を捨ててしまったのですが、下のほうのかろうじて水揚げをしていた葉だけはもぎとって箱の中に入れておきました。その後新しい葉をもらったために利用せずそのままになっていたのです。

 その時こんな虫はいませんでした。

 もしかして、あの数枚の葉に卵が産みつけられていて、それが孵化して、ここまで大きくなったとか?とするとこの白い芋虫は自然界にいるクワコかもしれません。クワコは蚕の原種です。クワコの存在はれんげさんのブログで知りました。きっとそうだわ。水揚げをしない葉がしなびて食べるものがなくなって死んでしまったに違いない。

 ああ~なんてかわいそうなことを。一気にひねりつぶすのならともかく餓死させるなんて・・・

 先日葉っぱをくれたKちゃんにこのことを話しましたら、植物大先生のKちゃんもクワコのことは知らなかったそうです。だとすればまだ幼虫がいるかもしれない。そしてさっそく桑の木に確認に行ってくれたそうなんです。

 「お蚕様の一生」の記事を書くにあたって、この桑の枝の写真を見つけしみじみとみてみましたら

 葉っぱが穴だらけ!!

 



 ということは? クワコはすでにあの大きさで枝にくっついていた!

 それに気づいて娘のところに行ったら、「Kちゃんが桑の木を見てくれたんよ。」と緑色のものを差し出しました。それは

 





 すでに繭になったクワコの姿でした。すごい、このあたりにもクワコがいるんだ。びっくりです。

 そうそう、もう一つヤママユの繭のその後。いつまでたっても変化なしです。去年の繭と同じく越冬するのかもしれません。

 それではこの機会に、もう一つの残念な芋虫のことを。

 前蛹にまでは無事だったブドウスズメ

 

 
 大雨の降った翌日黒くなりかけたまま死んでしまいました。もちろん雨があまり当たらないように蓋をしていました。地面の上なら死ななかったかもしれない。後悔先に立たず。水はけの悪いコンテナが良くなかったのだろうと思いました。ブドウスズメが地面にもぐってさなぎになるのか、地表で葉っぱなどをかぶってさなぎになるのか、一応調べてはみたのですがその生態がわからなかったので前蛹になったその場から動かさなかったのです。
 
 生きていたころのいさましいブドウスズメの幼虫





 成虫の姿を見てみたかったな。

 

 もう一つ、ハウスの中できれいなアゲハチョウをの死体を見つけました。



 黒の多いタイプ。ハウスの中で行方不明になった幼虫の中にそんなのがいましたね。花のない今の時期に外から中に入ってくることはあまりないと思いますので、あの時の幼虫が羽化したものの外へ出られなかったのかと考えたのですが。それともまたフィンガーライムの木に卵を産み付けに来たとか?

 今までたくさんの虫や幼虫を紹介してきましたが、今年は今まで見たことがなかった種類の幼虫にも出会えました。私の周りには、思っている以上にたくさんの生き物が暮らしていたのです。

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お蚕さまの一生

2022-09-09 23:59:00 | 生き物
 順序が逆になりましたが、蚕の成長をまとめてみました。全部芋虫とガの写真だけです。あしからず。
 
 8月11日、10匹の蚕をもらってきました。
 
 昔は周桑平野ではその名の通り養蚕が盛んだったと聞いています。地名に桑村とか桑の木というのが残っています。農家にとって蚕は現金収入を得られる大切な生き物だったそうです。お蚕様と呼んで大切に世話をしたそうです。
 当時の名残はあちこちにあって、散歩道にも桑の木はありますし、レモン畑の端っこ、多分境界代わりに残しているのであろう木もあります。けれど、そういう木は果樹園の農薬が飛んでこないとも限りません。だからうかうかと食べさせるわけにはいかないと思いました。
 幸い実家には母が実を食べるために植えた木がありましたし、われらが植物大先生のKちゃんの畑にも無農薬の木があるというし、桑の葉をスムージーにして飲んでいるという人もいるしで、餌は十分手に入りました。
 
 翌々日 (8月14日)
 
 この日Kちゃんが大量の桑の葉を枝ごと持ってきてくれました。けれど、
 
 朝から蚕の様子が変だというのです。餌を食べないんだとか。
 
 
 葉っぱを食べず頭をもたげて何やら探すようなそぶりでした。これはもしや?
 繭を作るときにそういう動作をすると、博物館の館長さんから聞いていました。しかもおしりから糸を出しているのもいます。
 
 
 念のため、繭を作る枠を入れてやったみたいです。けどちょっと早いよね、21日ごろだと思ってたのにーと娘。
 
 枠の中で・・・
 
 
 この写真、よく見ると・・・・おしりのほうに何かくっついています。洋服を脱ぐみたいに何かを脱いでいる最中なのでした。 蚕は脱皮をしていたのです。蚕は最後の終齢虫になりました。
 
 きれいに脱ぎ終わった殻。 その上にあるのが「おめん」というやつかな?
 
 
 
 脱皮している間餌を食べなかったものだからー
 夕方にはせっかくの桑の葉がしおれてしまいました。
 


 この日娘たちは出かけるので、とりあえず外に置いてあったメダカの水替え用の箱に枝を突っ込んでおきました。桑の葉って、ちっとも水をすわないのですね。昔養蚕農家が朝早く葉を摘んできては蚕に与えていたというのはこういう訳だったんだと思いました。
 
 またまたとりあえず、下のほうのかろうじて生きのよかった葉っぱだけを与えて翌日、今度は娘が直接採集に行ったみたいです。冷蔵庫の野菜室は桑の葉に占領されていました。
 
 8月15日
  脱皮の終わった蚕たちの食べること食べること。見ていて気持ちのいい食べっぷりでした。
 
 
 館長さんから、蚕は繭をとるために人間が改良を重ねてきた生き物だと聞きました。だから自然の環境の中では生きられないんですって。野生の芋虫たちは人が見ていると動かずじっとしていることが多いように思います。葉っぱや茎の陰でひっそりと身を守っているのですから。でも家畜化された蚕は人が見ていようが見ていなかろうがお構いなしに食べていました。
 
 顔がー 新幹線みたい。
 


 
 8月22日
  1匹が葉っぱの中で繭になっていました。
 
 

 
 トイレットペーパーの芯で作った部屋に入ろうとしているのもいます。





すでに繭を作りかけているのも


作りかけの薄い繭から蚕が盛んに頭を振って糸を出している様子も見えました。


 
 8月23日
  7匹が繭になりました。
 


  まだうろうろしているのもいます。
 


 翌日にはすべて繭を作りました。中で繭を作り続けます。そしてさなぎになると振ったらからからと音がするのでわかるそうです。
 産業としての養蚕はこれで終了。繭は冷凍庫に入れられて死んでしまいます。そのあと茹でて糸を取られるのです。
 
 お蚕様として大切に育てられたものの、最後は美しい糸をとるために殺される・・・人に利用されるだけの一生は哀れなようでもあり、どうせ成虫になったところで飲まず食わずのまますぐに死ぬのだから、十分に役立って死んでくれた蚕たちはさほど悲しい一生ではないのかもしれないし・・・
 私と娘は蚕を飼うにあたって話し合ったことがあります。それは、繭ができたあとの蚕をどうするかということです。わずか10個の繭から取れる糸はほんのわずかでしょう。なにかまとまったものでも作れるというならともかく、自分の好奇心を満たすためだけに殺すのはやめようと。試しに糸を作るならとぎれとぎれにはなりますが穴の開いた繭でもできそうです。
 羽化したガをどうすればいいかも館長さんにお聞きしましたが、家畜として長い年月をかけて改良されたかいこは野に放しても生きられないということでした。
 
 
 9月4日
  第1号が羽化しました。しかしこれは真っ先に葉っぱにくるまれて繭になったのとは違います。オスのほうが早く羽化し、あとからメスが出てくるそうです。繭第1号はメスかもしれません。

 
 美しい、リボンのような羽をもったガでした。ウマオが、「ぼく、蚕が一番(好き)になったと言いました。
 このおしりの形。羽化第1号はやはりオスのようです。

 穴の開いた繭



 9月5日 
  メス1号誕生 メスはお腹がぷっくりです。
 
 


 
  交尾をはじめました。
 
 
 メス2号はオス2匹で奪い合い


 
  
   
 9月6日
  産卵を始めました。
 

  産んだばかりの卵は透き通ったクリーム色。 お菓子のグミのようでおいしそう。
 
  産卵は翌日も続きました。と、ここで昨日の記事に戻ります。
 
  先にも書きましたが、羽化してからの蚕は飲まず食わずで、子孫を残すと死んでしまいます。 
 
  かいこの飼い方パンフレットの最後には
 「たくさんのことを教えてくれたかいこに感謝して、土にうめてあげましょう。」とありました。
 
















 
 
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蚕の産卵

2022-09-08 22:37:24 | 生き物
 久しぶりにウマオとポポー畑に行った日。
 そろそろ帰りたくなったウマオに、「これだけね。」と待たせながらネットをかけていたら娘から電話がかかってきました。そろそろ帰ってこい、かな?
 ところが
 
「蚕が産卵してるよ。」「え? すぐ帰る。」
 
 大急ぎで片付けていたらウマオも収穫したポポーを運ぶお手伝いをしてくれました。が、急ぎすぎて扱いがややぞんざいに。 完熟したポポーは皮が柔らかく、自分の重みで皮にネットの跡がつくくらいなのです。ほら、畳に座っていると自分の重みで足に畳の跡が付くでしょ・・・わかる人にはわかる。
 でも、この際大目に見ましょう。家に着くなりウマオは玄関に飛び込んで
「もう、産んですんだ?」
「まだ産みよるよ。」
「よかったぁ~」
 
 透き通るような繊細な羽をふるわせて卵を産んでいました。
 
 
 こんなお顔です。

 
 キッチンペーパーのへこみを利用しているみたいです。

 
 産んだばかりの卵は淡いクリーム色
 
 
 今卵を産んでいるメスは羽化した雌の4匹目らしいです。
 それより先に羽化した雌たちが産んだ卵は色が黒くなっていました。
 
 
 2匹分の卵

 
 赤い点々は娘が卵をチェックしたサインペンの跡。わざわざ数えたの!? これ全部で1000個近くあるそうです。
 別のところではまだまだ産みそうな気配。
 この卵全部で2000個以上になりそうだけど、どうする?
 とてもとても飼育はできません。シルク博物館に相談してみようということになりました。



 そのうち娘は1分ごとに何個産むか数えだしました。データを取っておけば来年理科研究に役立つかもしれないと。それを聞いていたウマオ、
 「いやだ、ぼくダム新聞を書くの(怒)」
 
 一番はやっぱりダムだったか・・・・
 
 
 
 
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ポポーの収穫

2022-09-07 20:32:17 | 野菜・果物・料理など

 新学期が始まってからは、朝、ポポー畑に出かけています。

 完熟して落ちてきた実が地面にたたきつけられないように、ネットで受け止める作業をしているのですが・・・

 



 これ、実が成りすぎじゃない? 今年は小さい実はどんどん落としながらネットかけをしているのですが、それでもこんなに。

 摘果したポポー。もっと早くに摘果しておくべきでした。



 一枝に3房も実がなっていますが、多分一枝にひと房でいいんですよね。そのひと房に実が2~6個もなっていますから、ここに写っているだけでも約20個。

 



 

 収益のために植えているわけではないので栽培も自己流です。

 この、丸々と太った実がかわいいと思うんです。

 



 剪定も何もせず、密植したままで間引きもせず、茂り放題伸び放題ですので、ネットかけもなかなか。これも時期が遅かったの間に合わなかった実がつぎつぎと完熟して落下してきます。

 それを拾うため枝の下に潜り込んだら、何か黄色い花のようなものが。

 





 

 キノコでした。かわいい~

 よく見ると、マッチ棒の先よりももっと小さい、それこそボールペンの頭みたいなのが出かけています。

 



 

 で、写真を撮っているとそばに

 なんと、一つの木にこんなにもニイニイゼミの殻が。

 



 

 今年あまり見なかったなあと思ったけどこんなところにはたくさんいたんですね。それにしてもなぜ、この木だけ? 

 



 

この木が一番古い木で、ニイニイゼミが真っ先にここに産卵したとか? 10年ほど前に植えた第1号の木の一つではあるでしょうが。

 ニイニイゼミって、羽化までに何年かかるのでしょう。やはり7年くらいかなあ。

とついつい意識は生き物のほうに。 相変わらず効率の悪い仕事をしている私です。

 日が高くなって暑くなったら作業終了。

 そのころにはきのこがこんなになっていました。その間約30分。変化が速いですね。

 

 そんなこんなでネットかけはなかなかはかどりません。短い時間では完熟した実を集めるのが精いっぱい。それよりも何よりも、貰い手探しも大変なのです。人と会う予定があれば必ずポポー持参。珍しいので喜んでもらってくれますが、リピーターは少ないです。特に若い人には人気がなくてー 豊かな時代に育った人には甘いだけでは魅力がないのでしょうね。高齢者はおおむね好きと言ってくれます。とりあえず今はせっせと種を取り除いて果肉を冷凍しています。そのうちなにかおいしい食べ方を工夫することにします。 

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ポポー畑の生き物

2022-09-05 23:49:55 | 生き物
 夏休みの間、ポチの散歩が終わるとポポー畑に行っていましたが、ウマオがお供をしてくれていました。草刈りやらネットかけやら収穫やら、私が作業をしている間、ウマオは虫を追いかけています。
 
 ポポー畑はもともと稲を植えていた田んぼで、そばに川が流れています。乾ききった畑作地とちがって、水辺を好むイトトンボやカエルもいます。
 あ、バッタ! あ、カマキリ!
 ウマオには新鮮だったようです。いちいち構ってはおられませんが、カマキリを捉まえたというので写真を撮ってやりました。
 
 う~~ん、コカマキリっぽいけど。
 
 カマキリが苦しそう。おなかをつかまず、胸をつかまなきゃ。けどカマキリって田舎の子でも怖いですから、これでもすごくがんばったのです。写真がボケボケで、何カマキリかよくわかりません。オオカマキリもまだそれほど大きくはなってない時期なので、私には何とも言えません。
 
 ここのカマキリ、褐色が多いです。
 
 
 微妙に色が違うんですよね。
 
 それからハラビロカマキリかな? 
 
   
 びっくりしたのは、黒いカマキリ。残念ながらどの写真もボケていました。大きさはコカマキリくらい。調べてみたらコカマキリには、暗褐色のものもいるらしいです。けど、わたしは初めて見ました。



 私が草刈りをするまではここも虫天国だったのだと思います。大きくて立派なバッタも。



 どうりでウマオが飽きずに付き合ってくれるはずです。
 
 ネットかけをしようとして手触りの違いにぎょっとしたものは?

 
 大きさまで似ているので、ポポーの実の一つかと思いました。泥でできた巣です。多分ドロバチの巣だと思うのですが、この形と大きさのは初めて見ました。中が見えるかな?

 
 わかりませんでした。
 これをどうすべきか、悩んだ末に、ポポーと一緒にネットをかけておきました。ハチがいたとしても出入りできる隙間は十分開けてあります。

 秋の日暮れは早い、いくらも作業がはかどらないうちに
「おなかすいた。家へ帰ろ。」
「はいはい。」まだ、手元は見える、本当はもうちょっとやりたいんだけど。
 
 
 
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夏休みの思い出3 戦時下の学校と 開明学校

2022-09-05 00:41:46 | お出かけ

 さて、メインの、戦時下の子供たち展

 



 
 
 
 学校日誌には、「英霊出迎え」「遺骨交付式」「志願兵見送り」「空襲警報発令」など、戦時下らしい言葉とともに子供たちは「堆肥集め」「わらびとり」「桑皮はぎ」「南瓜植え」など食料生産にも動員されていたことがわかります。
 
 


 私の母は、戦時中小学生でした。とにかくおなかがすいていたと、いつも言っていました。そして野草を見つけると、おいしかったと言ってよく料理してくれました。それらが「決戦食」と呼ばれていたとは。



 私が子供のころはまだ、川でタニシを取ってきて食べていましたね。 

 灯火管制下の家の中や

 戦時中の人々の服装



 千人針

 

 アメリカ軍戦闘機の燃料タンク

 



 孫たちには初めてのものばかり。理解するには詳しい説明が必要でしたが、私も戦争を知らない世代ですから十分な説明はできませんし、時間も足りませんでした。ただ孫たちが興味と関心を持って見てくれただけでも、ここに来てよかったなと思いました。

 予定よりもずっと長く滞在してようやく出口に来ました。次は開明学校に行きます。

  宇和町は古い建物の残る町。

  旅館松屋

 そうそうたる著名人がこの宿に泊まっています。

  そんな街の、長い坂の続くその先に開明学校はありました。

  突き当りはお寺で、その左下にあります。



 


 学校は1階と2階の一部屋は資料室、あと、1室が明治時代の教室をそのまま保存しています。

 



 こんなにひっついた(くっついた)机だったん?
 

 授業に使った掛図にも興味津々

 先生のまねごとをしてみたり 

 見るだけでなく、体験できるというのは楽しかったようです。私は何度か来ているのであまり新鮮味はなく・・・疲れました。

 もう少し街並みを見て回りたかったのですが、ウマオがこれ以上歩くのを拒否。それじゃどこかで休んで帰りましょうということになりました。

 少しだけ歩いて酒蔵を改造したカフェ「池田や」で休憩。自家製フルーツソースをかけたかき氷がおいしかったです。

 ところで、いただいてきた蚕は?

 車に放置して熱中症にでもさせたら大変。どこへ行くにも私が大事に連れ歩きましたよ。

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夏休みの思い出2 昔の暮らしを訪ねて 

2022-09-03 22:34:12 | お出かけ
 蚕をいただいて、さあ次はどこへ? 山財ダムへは行かないそうです。先日のドライブはかなりしんどかったらしい。山道ですからね。
 おなかもすいたし、とりあえず宇和町まで出てみようということになりました。途中道の駅で食べようと思ったけどなかなか混んでいたので鯛だけ買って(30センチ近い大きいのが2匹で500円以下!)宇和町中心部にある「ゆるりあん」のフードコートでパスタを食べて、宇和町で行ける場所を3つ提案しました。
 
 コメの博物館ー長い長い廊下があってZ1グランプリ(雑巾がけレース)ができるよ。 
 ばあちゃん、ぼく、雑巾がけ苦手なこと知ってる? 却下
 
 県立南予歴史博物館
 何のイベントやってる? たしか、ちびまる子ちゃん。 却下
 
 開明学校
 なに、それ? 明治時代の学校が残ってるの。 そこ行きたい!
 
 というわけで、開明学校に行くことにしました。
 
 開明学校は隣接する民具館とセットで入場できます。まず、民具館の駐車場に車を止めチケットを買いに入りました。開明学校だけのつもりでしたが、入り口にこんな看板を見つけて、ここも見たいと、トラオ
 


 
 
 民具館のロビーには
 子どものころあった移動パン屋さん「ロバのパン」の模型。受付の女性が出てきて、乗せてくれ、いろいろ説明してくれました。ここでも職務以上の手厚いおもてなしを受けました。スイッチを押すと音楽も流れます。
 
 


 
 
 が
 
 
 ♪ ロバのおじさんチンカラリン・・・ ではなくて
 ♪ 出来立ての夢を乗せて ロバのパンがやってくる・・・ でした。
 
 私の記憶では後者は時代としては新しく、ロバではなくて車で販売していたころの歌だと思います。
 
 それから、足ふみミシン。これも実際に使わせてもらいました。けど、足でコントロールするって難しいよね。
 
 
 手動式のクレーンゲーム
 
 
 これをできるのは土日だけと書いてありましたが、多分サービスでさせてくれたのだと思うけど、ウマオはあめ2個をゲット
 
 それを受けるお皿が
 
 
 
 ホウロウ製のエビ柄。これ、私が子供のころ家で使っていました。

 さあ、展示品を見てみます。

 いくつかのテーマごとに道具がぎっしり。
 

 
 
 亥の子の道具
 
 私が3,4歳のころは松山市でも亥のこの行事はありました。なつかしい。とりいれの終わった時期の亥の日に、綱のついた石を子供たちが振り下ろして各家の発展と幸福を願う歌を歌います。
 
 収蔵庫兼展示場のような民具館はとにかく展示物が多かったです。孫達には物珍しく、娘には子供時代を思い出すなつかしさがあり、年寄りの私には、暮らしの大変さを思い出させるものでした。
 
 特にみんなで盛り上がったのは給食
 
 わたしが小学校2年の時給食が始まりました。 左上脱脂粉乳のミルク
 
 
 娘の時代 牛乳瓶が重くて給食当番は大変でした。 そして冷凍ミカン
 
 
 
 孫の時代 牛乳は瓶から紙パックに。
 
 町に一つはあった写真館
 


 
 
 
 マニアにはたまらないであろうカメラの数々。しかもこれ、シャッターを押したり、撮る真似をするのも自由なんです。重さや手ごたえを感じられるように。
 
 なかなか先へは進めませんねえ。 続きは次回に
 
 
 
 
 
 
 
 
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夏休みの思い出1 蚕が絹糸になるまで

2022-09-01 23:29:55 | お出かけ
 2学期が始まりました。やれやれです。もう今年の夏は・・・・連日の猛暑日で外で遊ぶこともできないし、コロナの感染者がけた違いに増えてうかうか人ごみに行くこともできないし・・・・京都の祇園祭、ツアーをキャンセルしました。いまだに悔しい。まだ観光客の少ない今がチャンスだったのに。これが学校があるときなら自主隔離ですむのですが、夏休みは孫たちの家庭教師兼専属料理人兼遊び相手、うかうかとコロナに感染するわけにはいきませんから。
 
 さて、野村ダムへ行った日から1週間後、私はトラオたちと2回目の南予へお出かけしました。ダム巡り? いえいえ、お目当てはこれ。
 
 
 娘はやっぱり蚕が飼いたかったようで。ならばついでに前回残した山財ダムへ行ったら?と提案したところ、じゃあもらってこよう、ということになったのです。
 
 野村シルク博物館。今回は館長さんが説明をしてくださいました。そして、外にあったヤママユの卵についても詳しくお話してくれました。
 
 これがネットに産み付けられたヤママユ
 
 
 
 これをいっぱい集めていました。
 なんか、石灰をまぶすって言ってたけど? そんなことして大丈夫?
  
  ネットから取り出して集めている卵。
  こんなに無造作に扱っても生きている!
 
 
 
 
 博物館の外にハウスがあってカシの木が植えてありました。(ああ~、クヌギかもしれない。忘れました)ここで幼虫を育てるそうです。
 
 
 その横を通って私たちは製糸工場を見せていただき、さらに近くにある養蚕農家へも案内していただきました。
 回った順序とは逆になるのですが、蚕が生糸になるまでを説明します。忘れていたり間違っていたりすることもあるかもしれませんが、メモを取ったわけではないのでお許しを。それと、ここからは蚕の画像のオンパレードですので、幼虫の嫌いな方は要注意です。
 
 蚕の卵は別に生産者さんがいるそうです。
 この農家では、幼虫を繭になるまで育てています。
 
 同じ時期に繭を作るよう石灰をまぶして成長を止めるのだとか。
 


 
 これが蚕。超過密です。


 脱皮して2齢虫、3齢虫と大きくなっていくのですが、写真がどれがどれだかわからなくて・・・ごめんなさい。




 
 繭ができるといよいよ製糸です。
 
 工場には3台の機械が並んでいました。
 湯がいた繭から出る糸口を見つける道具
 
 糸をまとめて撚りをかける機械に入れます。
 
 
 
 糸を繰っていくとだんだん繭が透き通ってきて中が見えだします。興味深くてずっと見ていました。ウマオは「くさい」と言って入り口付近に移動。匂いに敏感な子です。トラオはというと、眠いと言って車の中で待機。
 残念、社会科の授業で習う富岡製糸工場はこんな機械がずうっと続いて、小さい子はトラオくらいの年齢だったんですよね。そして製糸工場独特のにおい。当時の女工たちの過酷な労働が想像できました。いい勉強の機会だったのに。あとで、「どうして起こしてくれなんだん?」と怒っていましたが、トラオは眠いときめちゃくちゃ不機嫌だから、だれも起こしたくなかったのです。
 
 糸をはぎ取られた繭から出てきたさなぎ。もちろん死んでいます。これは鯉のえさにするそうです。娘が「よかった、捨てないで最後まで利用してるんだね。」と言いました。
 
 
 最初の糸口となった部分。これも捨てないで、化粧品などに加工されます。
 
 
 人間のために死んでいった蚕たちを見てちょっと悲しくもありましたが、さなぎに至るまで余すところなく利用されているのは救いでした。
 
 こうして貴重な体験をしてシルク博物館を後にしました。 もちろん蚕もいただいてきましたよ。まもなく繭になるまでに成長した蚕10匹。館長さんは餌にする桑のことも心配して、どうしても手に入らなければ送るから、とまで言われたのですが、私達にはいくつか農薬のかかってない桑の木があるのを知っていましたのでそれはお断りしました。













 
 
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