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とつぜんSFノート 第50回

 森見登美彦の「宵山万華鏡」を読んだ。森見の「異世界京都」ワールドを堪能できる作品だった。森見の作品は「四畳半神話体系」「夜は短し歩けよ乙女」「有頂天家族」など京都を舞台にした作品が多い。いづれも他の都市にない、京都だけが持つ独特の雰囲気を素材に、森見が作家としての想像力、妄想力を思いっきり羽ばたかせて創り上げた独特の「異世界京都」である。
 これらの森見作品を一番楽しめる方法。それは現実の京都に行くことである。それも清水寺とか金閣寺とかいった定番の観光コースから外れた、小さな路地に行って、できれば迷子になることをお勧めする。京都は碁盤の目に区切られたブロックに毛細血管のように細かい路地が入り組んでいる。そういう所をウロウロすると森見ワールドが実感できるだろう。
 星群の会は昔は京都で例会をやっていた。創立者の悠々遊さんは京都の人だし、会員にも京都人が多い。山本弘、菅浩江、といった星群出身の作家も京都人だ。中西秀彦氏は、京都の古くからの印刷会社の若旦那だ。これらの方々はいづれも典型的な京都人だ。
 小生は神戸人だが、星群の例会で毎月京都へ行っていた。星群祭の打ち合わせやなんやかんやで、多い時は毎週京都へ行っていた。主に、烏丸、堀川、御池、河原町、丸太町周辺をうろうろしていたが、ある程度は京都の匂いを嗅いできたつもりだ。
 京都いうのは、実に奥深い所で、よその土地の人間が観光にやってきて、二日や三日滞在しても絶対理解できない。京都は、まさしく異世界、魔界といってもいい奥の知れぬ土地なのだ。何かで読んだか、聞いたかした話だが、京都という土地は何層にも階層があって、外国人(日本人もふくむ。京都人にとって箱根より東は外国)が何十年住んでも、1層めかせいぜい2層目の表面をさっとこすっただけ。京都生まれ京都育ちで、京文化を深く理解している人でも5層目までたどり着いている人は少ない。杉本節子さんみたいな人で7層目ぐらいだろうか。小生のごとく神戸人が時々京都に遊びに行くくらいなら、1層目どころが、京都の上空をふわふわ浮遊しているだけで、京都の地面にさえ足をつけることができない。
 こういう京都人にとって、薩摩や長州、あるいは多摩といった土地の人間は、まごうことなき外国人だったわけで、幕末の動乱は京都人にとって迷惑なことだったと思われる。特に会津(外国)の殿様預かりで、徳川(これも外国人)の手先新撰組など、乱暴狼藉を働くから京都人にとって恐ろしい印象が強い。今でも壬生あたりで新撰組の噂話をすると、唇に指を当ててシーといわれるとか。
 なんでも京都の地下には豊富な地下水があって、水の心配がないということは、いろんなことが安心。だから京都の人はいつも余裕があるとか。だから、京都の地下にもぐって、栓を抜いてやったら、京都の連中、「えらいことどすえ、えらいことどすえ」といってあわてよる。おもろいな、といった不心得ものがいた。
 京都というところは、ことほど左様に摩訶不思議で実に興味深い土地である。昔は月に一度は、河原町へんで飲み歩き、酔眼朦朧の目で京都の夜をふらふらと徘徊したものだ。酔っぱらった小生にも異世界京都を垣間見られたかどうか、今となっては記憶がない。
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