goo

さすらいのラーメン屋

「それではよいお年を」
「よいお年を」
 3次会をやったスナックの前でみんなと別れた。師走の金曜日、夜の11時30分。忘年会花盛りだ。繁華街は赤い顔をした人々が行き交っている。道端の電柱の影にしゃがみこんでゲーゲーと小間物屋を店開きしている若い男。上役らしい初老の男に、無意味に身体に接触されている若い女。チェーン店の居酒屋の前で、財布を出して千円札を数枚ヒラヒラさせている学生らしき男女数人。割り勘で勘定しているのだろう。
 小腹がすいた。ラーメンを食っても終電に間に合うだろう。同じよう考える人も多いらしく、どのラーメン屋も満席だ。一軒空いてそうな店を見つけた。このあたりはよく飲みに来る。だから、どこにどんな店があるのか、だいたい記憶している。ところがこのラーメン屋は記憶にない。新規に開店した店だろう。あるいは以前からあったけれど、私が記憶していなかっただけかもしれない。飲み屋街のラーメン屋なんて、縁日のお好み焼きの屋台みたいなもので、しごく当たり前にたくさんあって、いちいち覚えていない。
 なんのへんてつもないラーメン屋だ。黄色い看板と赤いのれんに「ラーメン」とある。屋号はどこにも書いてない。店の入り口に立つ立て看板にも「ラーメン」とあるだけ。なんという店なんだろう。どんなラーメンを食わせるのだろう。博多風?東京風?和歌山風?外から見ただけでは判らない。
 この店にするか。のれんくぐる。ごく短いカウンターだけだ。その前に椅子が1脚置いてある。まさか一人で満員の店か。
カウンターの向こうに初老のオヤジが一人。他に店員はいない。壁にメニューがない。カウンターの上には何もない。メニューもない。こしょうや七味、ラー油といったラーメン屋の必須アイテムもない。割り箸が置いてあるだけ。
椅子に座る。オヤジは黙って麺をゆで始めた。
「メニューは」
「ありません。うちはラーメンしか出せません」
「どんなラーメンですか?とんこつとか醤油味とか塩とか味噌とか」
「ワシのラーメンです」
 そういうとオヤジは背を向けて、麺を入れた大鍋を見つめている。大量の湯がグラグラに煮えたぎっている。
「あの、この店、定員は一人かね。一度に一人の客か。こんなんで商売になるのか」
「ウチは客は一人だけ。お客さんが食べ終わったら閉店する」
「今日は開店してから、私以外客はなかったのか」
「今日、この場所でオープンした」
「すると、私はこの店のただ一人の客かね」
「そうです。だまっていてくれませんか」 
 そういうとオヤジは湯から麺を引き上げて、ザルですばやく湯切りをした。麺を鉢に入れ、盛大に湯気を上げている寸胴からスープをすくって鉢に入れた。焼豚と青ねぎを入れた。
「おまち」
 麺とスープ、焼豚と青ねぎ。それだけのラーメン。食べる。う~む。 
 それから三日ほどあと。昼間、取引先に行く途中、忘年会をやった居酒屋の前を通った。ついでにあのラーメン屋はどうなっているか見てやろうと思った。確か、すけべなビデオを売ってる店と、お好み焼き屋の間にあったはず。あった。しかし店の前には、「当店は閉店しました」と張り紙がしてあった。ちょうど昼時だ、お好み焼き屋に入った。店のおばさんに隣のラーメン屋のことを聞いた。
「ああ、あのラーメン屋ねえ。一日だけやって店閉めましたよ。どんな事情があったんでしょうかねえ」
 え、そのラーメンの味?お値段?それは自分で確かめて。あなたの街でまだ開店してなかったら、あなたが、その街でただ一人のお客になるかもしれない。 
 
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )