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インターネット広告はまだまだ使い物にならないのでは?

 アマゾンや楽天など、ネットで買物をすると、雫石さんには、こんな商品がお勧めです、と広告のメールが来たり、次にそのサイトを見ると同様の広告が掲載されている。本を買うと、同じ著者の別の本を勧めてくる。実にこまめなことである。
 最近の若い人はあまりテレビを観ない。新聞や雑誌もあまり読まない。かようなマスコミに接している時間よりインターネットをやっている時間の方が多いだろう。
 だとすると広告もインターネットを使った広告が主流になるだろう。ネットの広告はターゲットにピンポイントで効果が期待できる広告を打つことができる。マスコミ広告が、ターゲット以外にも広告を打つじゅうたん爆撃なら、ネット広告は、ターゲットを狙い撃ちする狙撃といえる。男子高校生に育児用品の広告を打っても無意味だ。こういうことをマスコミ広告はやってきた。ところがネットの広告なら、妊娠している女性や、その夫に対してだけ広告を打てる。実に効果的である。
 とは、書いたものの、はたしてそうであろうか。小生のこのブログを見たり、小生が検索サイトでどんな言葉を検索したか、あるいはどんな商品をネットで買ったかが判れば、小生が落語ファンであることは推測できる。雫石鉄也は落語好きだ。では雫石さんには次の商品がお勧めです。といって、三遊亭円楽や林家正蔵のDVDを勧めても、「ふん、草深い武蔵野はアズマエビスのイナカ落語が」といって、鼻の先でせせら笑って相手にしない。これが6代目笑福亭松鶴や当代桂米朝、5代目桂文枝のDVDなら大喜びで飛びつく。
 また小生がSFファンであることも見抜かれているだろう。だからといって、J・G・バラードやトマス・M・デッシュといった作家の本を勧められても「わしゃ、にゅーうぇーぶはSFをつまらなくしたと思うておるんじゃ」といって敬遠する。エドモンド・ハミルトンやE・E・スミスなら「わお、スペオペや」といって飛びつくかもしれない。
 インターネットの広告が使い物になるのはまだまだ時間がかかりそうだ。それに思想信条の自由をいかに保障すべきかという問題をクリアすべきだ。その人がどんな本を読んで、どんなモノが好きかを、特定の人物、団体、組織が知ることは、大きな問題だ。
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