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お通夜の夜

「マスター、酒井は来たか」
「いえ、まだお見えになってません」
「そうか、ワシはちょっと買物してくるから、もしヤツが来たら、ここで待てといってくれ」
「はい」
 江波はドアを開けて半身だけ店内に入れて、それだけをいうとバタバタと出て行った。
 午後7時。店を開けてすぐの時間。ここ海神で待ち合わせをしているらしい。江波が喪服を着ていたところを見ると、不祝儀事らしい。夜だから通夜だろう。
「こんばんは」
 江波と入れ替わるように初老の男が入ってきた。江波と同年輩だ。喪服は着ていない。
「鏑木さん、酒井と江波は来たあ?」
「酒井さんはまだお見えになってません。江波さんはついさっき来られましたが、すぐ出て行きました」
「おれ、服着替えてくるわ。二人が来たらここで待たせといて」
 幸長も江波と同じように、あわてて出て行った。他の客はまだ一人も来ていない。マスターの鏑木が一人でグラスを磨いている。酒井、江波、幸長の三人は海神で待ち合わせて通夜に行くのだろう。
「酒井は来たか?」
 江波が帰ってきた。
「酒井さんはまだですが幸長さんが着ましたよ」
「で、幸長はどうした」
「着替えに帰ってます」
「段取りの悪いヤツだなあ」
 江波はカウンターに座りかけた。
「あいつの家はここから15分ほどだ。往復30分。酒井もまだ来てないし、ワシ、また買い物に行ってくるわ。この数珠古いねん、新しい数珠買うてくる。30分以内に帰って来る」
 江波が再び海神を出て、10分ほどで幸長が来た。
「あれ、江波は?」
「数珠を買いに行かれました」
「落ち着きのないやっちゃな」
「もうお宅まで帰られたのですか」
「電話して女房に車で喪服持ってきてもろた。着替えるから奥貨して」
「どうぞ」
 幸長は喪服を持って、海神の奥に行った。午後8時をまわっている。客がぽつぽつ入り始めた。
 江波が帰ってきた。
「数珠、気にいたのがないから買うのやめた。酒井は」
「まだです。幸長さんは今、奥で着替えてます」
 幸長が喪服を着て店に出てきた。
「お、江波、やっと会えたな」 
 幸長、江波の隣に座る。
「酒井はどうしたんやろ。遅いな」
「そのうち来るやろ。ちょっと1杯だけやっとくか」
「そやな。鏑木さん、水割り。ワシのボトルがちょっとだけ残ったやろ」
 二人は軽くグラスを合わせて飲んだ。
「酒井のやつ遅いな」
 江波のボトルが空になった。
「マスター、おれのボトルは」
 鏑木が幸長のボトルを出した。ほとんど空だった。
「ところで、マスター、最近、酒井はここへ来るか?」
「いえ。お見えになってません」
「お前は合ったか」
「いや。お前が今日のこと電話したのと違うのか」
「いや、電話じゃない。メールを打ったんだ」
「返信は?」
「来てない」
「ところで、今夜はだれのお通夜だったかな」
「もう一杯飲んで、二人で先に行こうか」
「そやな。酒井のボトルを飲もう。お待たせ代や」
 カラン。入り口のカウベルが鳴った。初老の男が入ってきた。
   
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