風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

脱出

2011年02月02日 | 雑感
立春を明後日にひかえ、幾分日差しが春めいてきたようにも感じられます。
そろそろ春からの畑のスケジュールを考えなくてはなりません。
多くの野菜は連作(同じ場所に同じ科目の作物を植え育てること)を嫌いますから、
どの場所に、どの作物を植えていくかをあらかじめちゃんと考えておく必要があるのです。

今回の東京の禅道場での講演会というかワークショップのテーマは「就活キャリアデザインと禅」というものでした。
大学で学生のための就活に対する心構えや方向付けの仕方を教えている先生をゲストパネリストとして招き、
学生や経営者の話を聞いて議論を深めていくというやり方でした。

経営側の言い分は、採用してもすぐに辞める、ハングリー精神がない、頑張りが足りない、などでした。
経営側からすれば、弱肉強食の競争世界の中で、雇おうにも雇っても使い物にならないと感じているようでした。
一方、若者からは、そういう厳しい情勢を百も承知ながら、とにかく自分の道をこつこつ探していくというような姿勢でした。
経営側はそうした若者のマイペースな、大人しい態度に煮え切らない感じを持つのも無理がないように思いました。

要は、もう時代は動いてしまっているのを経営者側が、社会が気づいていないのです。

資本主義が世界中の隅々にまで張り巡らされてしまっている現在、その資本主義のシステムから離脱しようとすることは、
たちまちの貧窮を意味します。
それを承知しながら、若者の間には、そのシステムに絡め取られるよりも、自分のしたいことをしていこうとする動きが大きくなっています。

もう若者は本能的に知ってしまったのです。
大人たちがそういう資本主義経済の中で、上昇志向や競争心をテコにして頑張って作り上げた世界第二位の経済大国の現実の有様を。
こんな現状が誰もが歯を食いしばってまで追求実現しなければならない社会なのでしょうか。
どこにもゆとりも豊かさもありません。
生産力が飛躍的に増大したおかげで、物が余り、デフレになり、お金の循環が滞り、失業者が増えていきます。
こんな社会をそのまま維持するために誰が頑張れるというのでしょうか。

問題は、このままで地球が崩壊するなどと言いつつも、経済的成長拡大を唱え続けるしかない企業、メディアを含めた社会体制そのものです。
こういう次のステップへの潮流に無理解な世相に対して、若者たちは怒るわけでもなく、諦めているわけでもありません。
今までの日本の状況が経済拡大への道をひた走った経緯を、またその状況下ではそうすべきであったことを理解はしているのです。
ただ、これから先人たちとこれまでと同じような競争に明け暮れる同じ道を歩むことはできないし、歩みたくもないのです。

ただし問題は深くて、巨大です。
例えば、自然との共生を考えて農林水産業に身を投じても、そのほとんどが食べることができずに挫折します。
手に職をと思っても、旧態依然の職人の世界は、余りにも狭い世界です。
木材を使った大工さんなんかは、これから可能性があるのではないかと思うのですが、
なにせそういう世界に参入しようとする若者がいたとしても、社会的なバックアップシステムがほとんどありません。

過渡期というのは、こういう混乱とシステムの崩壊を経るものなのでしょう。
でも、今生きている若者には辛いものがあります。
何せ先が見えず、なにもかもが不安になってしまっても仕方がないような状況です。
もはや国政にはなにも期待できない状況ですし。

若者の状況がさらに悪化し、社会不安が増大すれば、日本の社会全体が不安の連鎖に巻き込まれます。
時代の潮流が変わってしまっていることにそろそろ社会全体が気がつかなければ、ことは深刻です。

暴力的な巨大金融資本の網の目から日本は脱出すること。
ぼくにはそれしか道はないように思えます。
もちろん経済的には2流、3流の国に陥落するでしょう。
でも、世界からひっそり身を引いて、大方失いかけている日本の美質を取り戻した方が、将来的には安泰だとぼくは強く思います。
明治頃まで日本人の8割は農民でした。
今の農民の割合は1割もあるのでしょうか。
とにかく最低限食べられるようにはする、ということを確保するのが急務だと思っています。
石油、軍事、金融と押えられ、さらに今後は食料までコントロール下に入っていくでしょう。

時代錯誤のタワゴトに聞こえるでしょうが、このままグローバル経済に巻き込まれて行ったら、
日本は骨の髄までしゃぶられて終わる感じがします。