風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

アメリカ

2011年09月06日 | 雑感

今でもあるのかどうかは知りませんが、ぼくがアメリカ旅行したときはグレイハウンド・バスのフリー乗車券でした。
要するに、何週間とか何ヶ月とかその期間内は乗り放題という乗車券です。
ぼくはもっぱら町と町との間の、夜行のバスを利用していました。
町と町の間といっても、半日位は平気でかかりますし、宿代が浮くからです。

一度だけ預けた荷物が紛失した以外は、なんの不足もトラブルもなく、十分に活用させて貰いました。
長距離バスというのは、主に低所得層の人々が利用する交通手段で、まぁ、それなりに色々なことを見聞できました。
そのバスの停留所なんですが、日本ではバスターミナルというのですが、アメリカではバスディーポといいました。
また、田舎町ではそれが町のそれなりの中心地にありますが、大都市になりますと、ものすごい辺鄙なところにあります。
ロスアンジェルスやサンフランシスコのそれは、とてもとても危険な香りのする区画のど真ん中にありました。
そういう危険なところに降りたって、宿探しを始めるわけです。
そういうスリルというのは、女性にはお勧めしませんが、男性にはその片鱗でも味わっておくのをお勧めします。
アメリカの暴力を描いた映画がとたんにリアルに迫ってきます。

まぁ、アメリカというのはなんでもダイナミックなわけです。
風景も、町の人々のダイナミズムも、食べ物も、なにもかもダイナミックです。
繊細な合わない人には合わないでしょう。
ぼくは繊細でありませんから、とても心地よい空間でした。

ニューヨークに夜に着き、これまたちょっと危険な香りのする地区にあるホテルに飛び込みで宿を取りました。
すぐ近くに42丁目というポルノ街があり、そのホテルは8番街というちょっと不気味なところにありました。
心細さには慣れていましたから、エイヤと外に出て、歩いて行けるタイムズスクェアで携帯のラジオを買いました。
7ドルくらいだったと思います。
アメリカのFMの放送局は驚くほど多種多様で、チャンネルさえ合わせれば、好きな音楽が聞けないことはまずないでしょう。
中庭に面しているせいで日の当たらない小汚く狭い部屋で、そのラジオはとても重宝しました。

朝起きればどこかに朝食を食べに行かなければなりません。
朝日が輝くニューヨークは、ひたすら屈託がなく、活動的です。
近所の適当なダイナー(食堂)に入ります。
セットを頼むと、ベーコンエッグと、トーストと、フレッシュジュースと、飲み放題のコーヒーです。
バス旅行の最中には、大きなバスディーポにはたいてい付属しているバーガーキングのハンバーガーで食事で済ませますから、
そのセットの朝食はぼくにとってはとびきりおいしく感じられました。
そとには映画で見たようなニューヨークの朝の風景が広がっています。
誰もが必死に自分を支えようとしている街。

そして昼間は、地図を頼りにひたすら歩きます。
歩かないと、街の細部が分かりませんし、その頃は体力的に平気でどこまでも歩けたからです。
ブロードウェイをひたすら南下し、チャイナタウンに入り込み、リトルイタリーをきょろきょろして、
それでまたホテルまで歩いて帰ったりしました。
中華料理店やイタリヤ料理店に入るお金はもちろんありませんでしたので、ひたすらうろついただけです。
お金はありませんでしたが、美術館だけは贅沢に回りました。
なんというか、文化にしてもダイナミックなアメリカでした。

その後も何度かアメリカに行く機会はありました。
というか、一年ほどの語学留学もしました。
でも、最初のグレイハウンド・バスによる貧乏旅行に勝る経験はないかもしれません。

サンタフェ、サンアントニオ、サバンナ、ボストン、とても素敵な街でした。
アメリカ人は、多くの日本人がそうであるように良い人かどうかでは生きていない気がします。
自分をどう完全燃焼するかという真剣勝負をしている気がします。
日本人の生き方とアメリカ人の生き方を本気で融合したら、何かすばらしい人間像が見えてくるような気がするのですが。